踊り子さんの器とは

今もですが、出口の見えない人生のどん底で、私にとって1日中何も考えずにいられる空間がスト劇場にはあります。その中で、応援したくなった踊り子さんはお気にになったし、お気に以外でも、素晴らしい時間を提供してくれた踊り子さんには時折チップを渡したりします。

そんな中、あるSNSで、ある踊り子さんの意思表示に対して、間接的にストの魅力を広めることになると好意的なコメントをしました。ただ、それについて、私にはそんな考えはなく、私は私がそうしたいからそうしているだけで、あなたは何もわかっていないと言われてしまいました 苦笑。

正直ショックでした。言われ方もきつかったですが、ストリップ は自由に表現ができて、いろんな楽しみ方があり、人に迷惑や誹謗中傷などしなければ、演目も含めてどう捉えるかは受け手の自由で、懐の深い世界だと思っていました。また、それが好意的に人それぞれ解釈するなら、それはそれでいいのではないかと。だからこそ、なにか居場所を否定されてしまったような気がしました。。。彼女からすると、自分の意図と異なる価値観を持って解釈されるのが嫌だったのかもしれません。大袈裟になりますが、表現の自由の裏側にあるのは、受け手の自由でもあると思います。そうしたことが、ストリップ という芸を発展させてきたのではないかと個人的には思います。ただし、しつこいようですが誹謗中傷などの意図で捉えるのは論外です。

日常生活や仕事などにおいて、自分とは異なる価値観に遭遇したとき、尊敬出来る人や凄いなぁと思える人は、そういう意見や解釈あるんだと受け止めてくれる度量が広い人が多かったように思います。それを踊り子さんに例えてみると、いろんな価値観などを受け入れられる人は、より幅広い表現が出来るのではないかと。それが表現者としての器なのかもしれません。また、演目など繊細に表現する人であるならば、言葉という表現にも繊細であって欲しかったなぁと。彼女は、SNSなどで彼女自身を傷つけるような表現については厳しい意見をしていた人だったけに、より残念でした。

彼女には時折チップを渡したり、お気にに近い存在だっただけに、反論などしたい気持ちもありましたが、そういう踊り子さんもいるんだなぁと受け止め、距離を置いくのが賢明なのかなぁと。。。人間関係と同じですね。

#ストリップ #スト活 #踊り子 #ストリッパー

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