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全部が”必要な”まわり道だとしたら

全部が”必要な”まわり道だとしたら
あのシーンで
このフェーズで
手を抜くだろうか

全部が”必要な”まわり道だとしたら
こんな経験、無駄だ
無駄な時間だった と
経験を無碍にするだろうか

全部が”必要な”まわり道だとしたら
紡いだ全てのご縁を
ご縁を繋いでくださった方を
蔑ろにするだろうか


私は40年弱生きてきて

不要な
無駄な
まわり道

無い方が良かったと
心から後悔する
経験 

最初に戻ってリセットしたい
ご縁

これらは一つもないと断言できる

精神病院を抜け出して自殺未遂をしたことだって
仕事が続かなくて履歴書に経歴が入らないことだって
100万円の美容器具をローン組んで買ってしまったことだって

全部、無駄な経験なんかじゃない


ご縁などは特に
それぞれのタイミングで
感謝をもって手放すことは
もちろんあるけれど
無駄なご縁なんて一つも無い

一見ネガティブな出来事に出くわした
その瞬間は
「もう嫌だ」
「リセットしたい」

はたまた
「皆んな敵」 だと

そんな一時的な感情は
反射的に出ることはもちろんあるけれど

時間を置けば置くほど
その経験は良くも悪くも
『風化』し
『美化』される。

それでいいんだ。
「生きる」ってそういうことだと私は思う。

そして
『風化』し
『美化』された経験や思い出は

必ず自らの魂や精神の
血となり肉となる。

「我ながら濃い人生を送っているな」
と、いつか

笑いながら
感慨に耽りながら
心の中で手を合わせながら

糧となった経験が
じんわりと自分の内側に
沁み渡っていくのが感じられる時が来る

私はこう考えられるようになって
生きやすくなり、
恨みや後悔、自責の念ばかりだった過去が
「全部私の一部」なんだと
抱きしめられるようになった

全部が”必要な”まわり道だとしたら
あなたは今どう生きますか?
あなたは今起きている現象をどう捉えますか?



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