病んではないよ、みたいな(笑)

誕生日を迎え、20歳となってしまった私だが、そろそろ「はっぴー」birthdayではなくなってきていることに気がついた。私の中で20歳というのは区切りだった。酒飲めるし煙草も吸えるし、色々契約もできるし。とりあえず20歳になると出馬以外の大体のことは出来るのである。世界征服とか。あれは20歳になったものにしか出来ない。年端もいかぬ小童(こわっぱ)の悪役(ヴィラン)に憧れる者共は、こぞって世界征服をしたがる。彼奴ら(きゃつら)には出来ない、正直問題(笑)。まあ小ガキだからね。許したる。童部(わらわべ)というのはワルに憧れるものである。その経験を経て、20歳になるのだ。さふいふ奴らは1度は必ずSEKAI NO OWARIの「天使と悪魔」を聞いて感銘を受けている。ちなみにセフレを探す大学生はクリープハイプを聞いている、というのも本当である。セックスをエモい何かだと勘違いしているあいつらはセックスに溺れる自分を肯定したいだけなのだ。所詮交尾、と二次創作の中でチョッパーが言っていた。彼はちゃんとルフィ(ゴム)をつけろ、と忠告していた。男同士でも、だ。みなさんも気をつけるように。そういえばネットの友達が避妊失敗して中絶してパパ活親にバレて怒られてた。気をつけないとね、ゴムには。
話が逸れてしまいましたね。小島よしお。私は自分のやりたいように話しますよ。私のノートなんでね。嫌なら読むのやめてください、とか言いませんよ。読み始めたなら最後まで読めよ、責任持って。

ふと大人の階段を飛び降りたくなる。誕生日とはそういうものである。20年間頑張った。がしかし、頑張り屋さん、閉店である。
「🎶私もうやめた。世界征服やめた。今日のご飯考えるので精一杯。」である。私の人生は「頑張らない」人生だ。「中途半端な」人生だ。「有言不実行」とも言い換えられる。正直問題、死ぬために生きているようなものである。私のやりたいことってコレじゃないんだよな、と思いながらもやりたいことが分からず惰性で生きている。「死」とは人間の完成だと思う。ワンピースでカイドウも言っていたが、大いに共感である。じゃあ、「生」ってなんなんだろうか。死の反対が生なら、完成の反対である未完成ということになる。生きているうちは未完成のままなのだ。こんなにも曇っているのか?「生」って。私は出来ないくせに完璧主義でせっかちなので、早く完成したい。基本的に死んだ人間は美化される。私も早くそれになりたい。自殺は怖いので、誰かトカレフで1発急所(脳幹)を撃ち込んで欲しい。狙撃銃でも良いのだが、出来れば1発で殺して欲しい。なるべく苦しみたくない。こんな感じでやんややんや言っているうちは結局死ねないのだ。所詮私は時代の敗北者じゃけえ。
そんな敗北者の私だが、実は最近は勉強を頑張っていて、そりゃーもう頑張っているのである。偉いんちゅ、多様性。
まあ、成功したら、報告する?かも?しれないね。もし会って成功してたら言うよ、笑ケド会う時とかないよね。普通に(笑)。私に会いたい人は連絡をよこすように。

私は月に1度くらい自己肯定感高い期がくる。(すぐ終わる)これは何故なのか理由はわかっている。小ガキの頃の私は自分のことを可愛いと思っていた。周り(身内)に可愛い可愛いと言われ、それを信じ続けた哀しいモンスター、これが私である。可哀想な頓挫衛門😞。可愛くない自分を認めたくないと心のどこかで思っているせいで、そのようなバケモノ期が来てしまう。身内の可愛いと言うのは詐欺だ。絶対に信じてはいけない。ワンクリック詐欺と同じくらいタチが悪い。あれはなにも顔の造形美のことを言っているのではない。あれは、自己肯定、自己愛のあらわれだ。自分と似ている存在を肯定したいだけなのだ。少なくとも年老いた今の自分よりは可愛いのだから。その頃は本気で自分が女優になりたいと思っていたのだ。あ、今あの頃って言いましたか?えー、嘘です(笑)今でもアイドルになりたいし、女優やらタレントやら声優になりたい。別になれると思っては無い。なりたい、だけだ。Twitterは嘘をつかないと決めた。それによって嫌われるのであれば、仕方の無いことなのだ。取り繕わずに好いてくれる者だけが、残ればいい。


嘘です全員私のことを肯定してください。普通に(笑)
私の人生に足りなかったものは美貌でも頭脳でもない。自信だ。慢心だ。私は自己分析だけは得意なので、自分ができないことを知っている。劣っていることを知っている。そんなこんなで立ち踏みしていても、時はタイソンゲイのように足早に過ぎ去っていくのだ。
なんで自己肯定感高いブスってあんなに自己肯定感高いの❓😫😖自信のあるブスってなんか幸せそうだからムカつくんよね。と私はよく言っているが、当然である。あいつらは「小ガキの私」を失わずに生きている。私は誰かに肯定されないと生きていけないが、あいつらは自分でそれを日常的にできるのだ。私は自分で自分を肯定できない上に、肯定してくれる人もいないため、こんなことになってしまった(笑)ケラッ今私は自分を見つめ直しているが、私は自分のことを可愛いと言ったりブスと言ったりコロコロ変わるでしょう。あれは、何も気分がコロコロ変わっている訳では無い。変わってないのかよ!1本取られたよ!
とまあ、冗談は置いておいて。私は今この瞬間、鏡を見ていないので、可愛いはずなのだ。しかし、鏡を見てしまうと、何故かブスがそこにいる。(笑)これなのだ。これを毎日しているのだ。鏡を見ていない瞬間は、くっそ可愛いな私と思っている。加工後の写真を見る時もだ。
鏡を見ると、おかしい。通用してない。可愛いはずなのに可愛くない。このギャップが、醜形恐怖症や、自己肯定感低い割に自己愛が強い化け物を生むのだ。私はガッツのある醜形恐怖症なので、普段から「鏡を見るな‼️破壊しろ‼️加工をしろ‼️整形しろ‼️」をスローガンとしている。
鏡を見ることから、死ぬことまで。全てがめんどくさい。私は可愛くもないし、勉強もできないし、運動も出来ない。何も生み出せないからめんどくさい。成功体験が欲しい。あらゆることから逃げ続けたら「生き恥」と化してしまった。これから、どうすればいいんだろう。。。


PS:1日10時間勉強を目標にしています。私が何を勉強しているのか、当たった人には教えてもいいよ、秘密は守ってね。多分当たんないけどね!!

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