【ご報告】「頓挫衛門のことが大好きなみんなへ」

大学生の恋愛は、エロ無しでは成り立たない。大人になるということはそういうことなのである。彼らはエロのために生き、そして死んでいくのだ。
先に宣言しておくが、性欲はある。が、性交渉、俗世的な言葉で言うセックスという行為をしたくない。たまごっち界では、『みくす』と言う。みくすというのは、男性器を女性器に突っ込むという、悪魔的行為である。快楽を伴うと巷で話題だが、痛いに決まっている。そもそもそこはなにか突っ込む場所ではない。どちらかと言えば赤ちゃんの出口だ。そういった意味では、ァ○ルみくすと同じようなものなのかもしれない、いや同じであると断言する。ミニマラエケチェン坊主=ンチといった具合であろう。
出てきたところに、「ナニ」を突っ込む、これは最早動物の帰巣本能と言っても過言ではない。やはり欲ある動物たちは来たところに戻りたいものなのだ。
林間学校でのホームシックのあの気持ちと、ほぼ同じようなものだ。あの頃は何も出来ずわんわん泣いていたが、時が経ち、彼らは腰を振りあんあん鳴くようになるのだ。これを成長と言わずしてなんと言えようか。

しかし、世間はそれを許してはくれない。セックスを伴わない恋愛などないのだ。あるとするのなら、それは聖人君子同士くらいだ。プラトニックな恋愛というやつだね。二次創作で降谷零がよく言っている。それはそれで良さそうだが、長くなりそうなのでこの話はまた次回の韻踏合組合談議で。セックスのせいで恋愛のハードルがぐっと上がる。「こいつに抱かれても良いのか」という選択肢が増えるからだ。残念ながらそこでイエスとなったものはいない。何故判断する側だと思っているのかは謎だが、これは私の人生であり、私のnoteなので自由にやらせてもらおうと思う。
元より、男叩きのためのTwitterだ。私は生涯、ヴィーガン、フェミニスト、九州女児という業(カルマ)を抱えて生きるのだ。余談だが昨日の夜ご飯は焼肉だった。九州女児とフェミというのは相容れない存在と思われがちであるが、実はちがうのだ。私たち九州女児は、男を持ち上げ、生きてきた。そうするしかあの離島(マリージョア)で生きる術はないからだ。男の言う通りに家事をし、頭を地面に押し付け、3歩下がり、酒を注ぎ、セクハラを笑ってやり過ごし、男の余りの玄米と味噌と野菜を少し貪り、顔や体を殴られ、顔を踏まれながら生きていく。命懸けで、生きているのである。顔を踏まれたその地面から、フェミニストは産まれる。年を経ることに育ち、やがて大木となる。その大木こそが、私だ。

そんな怪物(バケモン)が如何様にして男と性行為出来ようか、いや出来ない。えろい事に興味が無いと言ったら本当に嘘になるが、やるかやらないかはまた別問題である。ペンギンが、わざわざ崖から飛び降りるかという話なのである。ペンギンだって飛ぶことに興味が無い訳では無い。彼らだって、鳥なのだから。彼らは今にも崩れそうな崖に立っているのだ。ペンギンは、九州女児だ。もう、飛び降りるしかない。不可能などない。遠い国シガ県のニンゲンという種族が「鳥ニンゲンコンテスト」なるものを開いているらしい。同じく飛べないはずのニンゲンも頑張っているのだ。ニンゲンに出来て、九州女児に出来ないことなどない。勇気を出せば、空も飛べるはず。
(ここですかさずスピッツの曲を流す、感動のシーン)
さて、しかし何事にも練習が必要だ。九州女児何某は賢いのだ。空を飛ぶ練習はどんなものか知らないし、知る由もないが、セックスに関しては「マスターベーション」なるものがある。自慰行為と九州の言葉で言うのだが、言い換えとして「センズリ」「オナニー」「1人えっち」「手淫」「ソロコンサート」「7番」などと言うらしい。異国の言葉は難しい。男性の自慰行為は楽なものだ。性欲で出来た彼らの本体を手に取り、上下に動かすことがメインの動きだ。よく知らないけど。そこから先は、ロマンの話である。問題は九州女児がソロコンをする時だ。要は自慰行為とは1人の擬似セックス、練習だ。本番さながらの行為を1人でするのか、重すぎる。まず、処女なのに。(笑) 今まで自慰行為の話になった時は割と黙っていたが、恥ずかしながらそもそもやり方が分からないのである。処女だし。やらない、というより出来ない。処女だから。今こそ、九州処女のプライドを捨てる時だ。
しかし、教えを乞うということは大変恥ずかしい行為だ。ゾロもミホークにこれくらいの覚悟で聞いたのだろう。ゾロのあの頃の気持ちがわかってとても嬉しい。しかし、聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥だ。自慰を知らぬまま死ぬということは、即ち性欲への負けを意味している。不戦敗だ。戦わずして、負けたのだ。私は勝ちたいのだ、性欲に。マスターベーションを知り、1人前になって、打ち勝ちたい。マスタべを知らぬまま死んだ我が友の仇を撃たせてくれ。たとえ相打ちになったとしても、必ず。

ここまで書いてきて、処女かどうかというのはあまり大きな問題では無いということが分かった。まあつまり、飽きたのだ。マスターベーションをせずとも賢者タイムはくる。
新しく目標ができた。まず、「性に対して積極的になろう」。疑わないこと、それが強さだ。話はそれからだ、と言われた気がした。
九州の女、何某は生き急ぎすぎたのだ。みくすだけが性ではなかろう。108つの煩悩の鐘が鳴る頃、彼女はドン・キホーテへ走り出した。彼女が20歳の時だった。


PS:ついったーゎ、ゃめていません。見てませんが。
so busy
スマホゎ、壊れてぃます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?