12月28日の日記

昨夜に手配したネットスーパーからの荷物をあらため、これだ、と思う。

新しい恋人は多忙のくせに、「あなたが遠い気がする」と駄々をこねる私を気遣って連日電話を寄越す。何とか仕事を納め、私の妻の色・母の色が濃くなるこのシーズン、ひょっとしたらきみの仕事始めまで声が聞けないかもしれないね、と彼が言っていたのが27日のこと。

──夕方に時間が取れそうなので、もしよかったら少しだけ話しませんか。

とはいえ私も一人で外出する用があったりするから、もし電話ができそうなタイミングがあったら、そのときは遠慮なく教えてください、と申し伝えておいたのが早速実現したのだった。うれしい。

きのうの私に感謝しよう。年の瀬を超えるには少し心もとない冷蔵庫とパントリーを見渡し、「営業日の確認がてら、買い足しに行ってくるね」と目的地を最寄りのスーパーに設定、玄関を飛び出した瞬間、私と恋人の物理的距離は霧消したのだった。


プロテインのシェイカーの蓋が消失したので、代用品を探して生活用品コーナーをさまよう。きみっていつもビールばかり飲んでいる気がするけど、日本酒とか焼酎は、という確認に始まり、こんどのデートは「おでんもいいなあ」と彼が言うので、名古屋のデートでないとしたら、おだしはきっと澄んでいるのかしらん、とカウンター越しの四角い鍋を夢想した。こちらの味噌おでんは、だいたいが泥のようだから。

下りのエスカレーターに足が向かいつつ、彼が「もしどこかに泊まるなら」と切り出し、「チェックアウトを済ませたあと、どこに行けばいいんだろう」と真面目くさった口調で続ける。「ホテルのチェックアウトのあとにラブホテルにチェックインって、どうも動線としては美しくないだろ」と言う。


肉体が通い合ってからというもの、ずっとずっとセックスの話ばかりをやっていたのだ。あのときのあなたはここが素敵だったとか、次はこうやってきみを抱くからとか、そういう好色な履歴ばかりを蓄積していた。

「男女の関係」の深部に到達して、疎通の様式がどう変容するか、じつは彼も私も、心のどこかで多少は懸念していたようだった。しかしながらお互いが勝手に確信していたのは、「相手の変容はさておき、心の向くまま勝手に愛しておけばよい」ということだった。メッセージの頻度もその手法も、受信するほうが勝手にコントロールすればよい、という、ある意味で他力本願的で一方的な好意の押しつけ──と書くと危うい印象を与えかねないけれど、並立する私たちの2つの身勝手が、今日に至る関係を構成してきたと言ってもよい。

今朝は私が一方的に、思いつくまま2000字程度のメッセージを送った。学生時代にこんなアルバイトをしていたの、というようなトピックに始まり、ひとはみんなストーリーが欲しいのね、と収斂する、まさに放言と呼ぶにふさわしいやつだった。

多忙のくせに彼の返信もほぼ同量、私が提示したトピックへのアンサーに始まり、最終的にはどうしてか、熱っぽく「今すごくきみを抱きたい」と締められていた。そうそう、私たちはこういう風に、勝手に慕情を育てている。ひとりが遊びが絶望的にうまい。


食料品売り場でカートを押していると、「きょうおれがああやって書いたのは」と「抱きたい」の真意が紐解かれはじめる。「セックスとか、そういう話じゃないんだ、たとえばあのとき隣に座っていたら肩を抱いてたしかめたいとか、そういう類の愛しさで──」とか恥ずかしげもなく、言う。彼が電話を寄越す車中のハザード音で、いつか私はパブロフの犬になる気がする。

衛生用品売り場で吊るしの歯ブラシを見比べ、うちの子供の新しいやつは、しまじろうかミニオンのどちらが喜ぶかしらんとか悩みながら、彼の昔の恋に言及する。あなたはこの恋の希少性をことさらに貴ぶけど、あの恋だって似たようなもんだったんでしょ、と拗ねる。想定通りの申し開きを受信して、そうそう、この恋以上が転がってるわけないもんね、と自惚れてしまう。


あれだけ欲情にまみれたメッセージを投げつけ合うのに、なんだか今日の彼はおかしい。いつか2人で迎えた朝にはセックスする場所がないだとか、「抱きたい」という言葉から性的なにおいをつとめて消滅しようとしたり、様子がおかしい。

歳末の食品売り場のエアポケット──無人の乾物コーナーに駆け込んで、10秒後にこの恋が死んでも後悔しないように、「私はあなたのものだって分かっちゃった」と囁いたときには恥ずかしさで窒息しそうだったけれど、すぐに「かわいいよ」と彼が笑ってくれたので、きょうも愛し切ったことを確信する。


セルフレジで会計を済ませながら、「わたしが人妻でよかったね」と言う。ともに生活を切り盛りするなら、こんなに深部を噛み合うギャンブルはしない、だけど、あなたの生活を取り巻くすべてに嫉妬していることは分かってね、馬鹿みたいなやきもちだけど。私、やっぱり所帯持ちで良かった、全力で恋が出来るもん。「ごめん、そろそろ戻らなきゃ」と切り出した彼が急いで終話する間際に「愛してる」と投げつけ、やっぱり私はこういう陳腐が好きだと思う。




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