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子どもの領分

うんと年上の男が好きだ。同い年の男は、すぐに消えてしまう。

これは数少ない、私の「恋」のはなしだ。



高松に関するうわさはいくつかあった。

校外の友人とGOING STEADYのコピーバンドをやっていること。

どうやら高校1年の夏、これまた校外の女子生徒と初体験を終えたらしいこと。

高松は整った顔立ちをしており、入学式の直後などには一部の女子が色めきだっていたようだが、驚くほど「群れず」、かといって取り立てて不真面目な様子もなく、たまにクラスメイト達と冗談を言い合い、成績は下の上、私物のセンスや制服の着こなしにこだわりは見えるもののどうも野暮ったく、結局のところ何だかとりとめのない男子生徒で、「何か心が躍るような体験」を期待していた女子たちは、早々に失望し興味をなくしてしまったのだった。

地元ではそこそこの進学校であったこともあって、とりわけ性的な――高松の初体験に関するうわさは一瞬盛り上がりを見せたが、「校外の女子」という今一つ精彩に欠けるペルソナのせいで、何となくリアリスティックが欠けて興ざめしてしまったのか、みんなすぐにそのうわさを忘れてしまった。


日本海ぞい、鉛色の空の下に、高校2年生の私たちがあった。

レンタルCDショップの店内を、私と高松はだらだらと歩き回っていた。

私と高松は隣あう中学校の出身だった。ということを知ったのも、高松と同じクラスに編入された2年になってからのことだ。

「今から帰んの」

ある冬の日、学校を出てバスターミナルに向かう途中のこと、高松と言葉を交わしたのはこれが初めてだった。

何となく、私たちは歩調を合わせて歩いた。15分ほどだろうか。

11番ホームから出るバスには2系統あった。ひとつは私の家の近くに停車するもの、もうひとつは家から歩いて15分くらいのところに私を降ろすけれど、ファミリーレストランやドラッグストア、スーパーなどが集まる賑やかなエリアを通り、空港に至るもの。

「どっちに乗るの」
「本当はF町ゆきに乗るけど、――」

高松ともう少し話してみたくて、一瞬の逡巡のあと、私は答えた。

「CDを借りたいから……空港行きのバスに乗ろうと思って」


バスは発車予定時刻の10分ほど前にやってきて、暖房の効いた社内へ私たちを招き入れた。

どこに座ればいいのだろう。様子を伺うと、二人がけの座席に導かれたので、私は高松のとなりに腰を下ろした。ぎゅっと身を縮める。

腿どうしが触れていたけど、不思議と嫌な気持ちもしなかったし、性的な高まりを感じることもなかった。

「俺も寄ろうかな」

私が寄り道すると嘘をついたCDショップに高松も寄るという。そういえばこいつはバンドをやっていたんだっけ。

「高松、バンドやってるんでしょ。パートは?」
「ギター弾きながらたまに歌ってる」
「ゴイステのコピーなんだっけ」
「どうして知ってるの。今は銀杏BOYZばっかりやってるけど」
「西高の子と付き合ってるのがうわさになったとき、高松のプライバシーは死んだよ」

俺の知らないところで俺のプライバシーを殺すなよ、と言って高松が笑った。私はこの時、高松が学ランのカラーを剥がしていたことを知ったのだった。

「高松は、進路どうするの」
「おれは……行けるところに行くんじゃないのかな」
「私も、行けるとこにしか行かない。でも地元は出たいなあ」

私たちのどちらも、これからの身の上に関して他人ごとのように自己紹介をした。

友達の紹介で知り合う他校の男子。女子大生と身分を偽って夜遊びするサラリーマン。彼らは私に関するディテールを知りたがったし、私にもそうした態度を暗に求めた。恋愛、もしくは恋愛ごっこの作法として、そうした態度を大げさに表現するのが正しいことくらいは知っていたので、男に対する饒舌な所作はすでに身についていた。

けれども、そうしたふるまいは全く求められていないようだった。なりゆき任せで話題を変えたり、適当に沈黙したりする高松の横で、私は生まれて初めての心地よさを感じていたのだった。


店の前の停留所で吐き出され、冷たい空気の鋭さに驚きながら、私たちは店内に駆け込んだ。

口実にしたバンドのニューアルバムは未入荷だった。これだから田舎はやんなるね、と言いながら、高松と私は散策を始めた。

いつ来ても代わり映えしないCDのエリアにはすぐ飽きてしまって、私たちはDVDコーナーまで足を延ばした。うんと小さいころにやっていたTVアニメのパッケージを指さして「これは今でも覚えてる」だのとはしゃいだり、「ホラーとかオカルトが好き」という高松に導かれて立ち入った恐怖映画のコーナーでは、猟奇もののカルト映画に大げさに嫌悪感を示すふりをして遊ぶ。たまに体の一部が触れあうと、私の機嫌をうかがうようないじらしい光が高松の瞳の奥にちらついたが、やっぱり不思議と嫌な気持ちはしないのだった。

「ねえ、『宇宙人の子を産んだ女』だって」

高松の手は、私が迎えに来るのを待っているように、3段目のDVDに手をかけたまま静止していた。

瞳は再びいじらしさを宿していた。こいつはこうやって西高に彼女を作ったのかな。

その手を取るべきでない気がして、気づかないふりをした。高松のことが好きだとか嫌いだとかそういう話ではなくて、私たちの日常はとりあえずこれからもまだ続いていくので、何か急いたようなことをするべきではないと思っただけだった。


そんな風にして、高松と2、3度帰路をともにした。

ドラッグストアの自販機の前で温かい缶コーヒーとミルクティーを買って、鼻先が触れ合うくらいの距離で冗談を言ってじゃれ合ったこともある。

融けかけた雪が凍った水たまりで私が滑らないように手を引いてくれたことも、そのあとも高松が私の手を離さずに握り続けていたこともあった。

身体の奥が焦れるような感覚が起こることはついになかったけれど、クラスメイトの誰にも何となく内緒で、高松と2人きりで過ごす放課後の秘密。


でも、高松とはそれっきりだった。

結局あれは、補習を終えて学校を出る時間だとか、バスのダイヤだとか、様々なめぐり合わせが重なって実現していた「逢瀬」だったのだ。私たちの間には、それを維持するだけの熱量が生まれなかったというだけの話だ。



成人式を終えて、すでに社会人となってホテルマンをやっている友人に連れられて入ったバーでキールを飲みながら、私は何となく高松からの連絡を待っていた。

大きなセレモニーホールに新成人を集め、中学校区ごとに席次が決められた成人式で、私たちの隣に、高松の中学校のエリアがあった。高松は来なかった。

ほどなくして友人の彼氏が合流した。「彼氏」といっても、40代も半ばに差し掛かった、妻帯者の冴えない男だった。友人とは上司部下の関係であるという。男はさらに友人といって、離婚歴のある蛇のような顔をしたホテルマンの同僚を連れて来た。何だか訳ありげな、背徳感の漂うグループ交際だ。高松には絶対に見られたくないと思った。

高松のことを考えながら、私は蛇が注文した馬肉のカルパッチョを箸で弄んでいた。高松は私の連絡先を知らない。私も高松の連絡先を知らない。私は高松のことを何も知らない。それでも何かの伝手を辿って、高松が私にアクセスしてくるのをずっと、ずっと待っていたかった。



恋をすることを許されるのは、子どもでいられる時分だけなのかもしれない。

小学校から中学校まで一緒だった同級生のダイスケくんは、私の初恋の人だった。

長身で整った顔立ちで、女子にもたいそうモテたのに、そういえば続報がない。彼も成人式には来なかった。当時はみんな、彼が誰を想っているか知りたがっていたくせに、今では誰も彼の行く末を知らない。

高松も、ダイスケくんも、幻のように消えてしまった。同級生で集まると、話題に出すこともはばかられるほど、どんなエピソードにも彼らの姿はない。影もない。だから私は、家に帰ってそっとアルバムを開いて、彼らが確かに存在していたことを確認しては安心する。

私が「恋」した同い年の男たちは、こうやって消えてしまった。私は確かに、彼らに恋をしていたと思う。その時々気まぐれに激しく愛し合って、そののち憎み合って別れた年上の男たちのことをいつくしむように思い出すことはあまりないけれど、冬になると――小学1年生のバレンタイン、高校2年生の冬の日――鉛色の空に押しつぶされそうな閉塞感とともに、私と同い年の彼らのことをしみじみと思い出すのだった。


大人である私たちは、「どこの誰か」という名乗りや身元保証なしではこの世を生きづらい。それが大人になるということだ。

私たち大人は、そう望もうと望むまいとに関わらず、毎日記名され続け、身元は暴かれ、曖昧さの薄衣を引きはがされて、どんどん世間に絡め取られていく。こうした曝露に遭い続けた「年上の」男たちは追い剥ぎにでもあったように丸裸で、それでも首からプラカードを提げ、その正体を私に教えてくれているように見え、途方もなくいじらしく、愛おしく感じられる。そして、どうしようもなくあけすけなこの「身元保証」のようなものが、彼らを私につなぎ留めておくことまで保証するようで、安心するのだ。


子どもは無記名だし、いつだって匿名だ。誰かの記憶にそっと紛れてくらましてしまうことだってたやすい。子どもの特権だ。

私たちはもう子どもではないから、「まだ誰でもない何か」ではいられない。それでも、霞のような高松やダイスケくんだけは、何者か定義することを私に許さないまま、今も心にひっそり間借りし続けている。



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