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私はいつだって彼の特別な恋人になりたい

今年のはじめに彼と過ごした東京、もっと言うと銀座のあのあたり。昔あのへんで働いていたことのある彼にとっては、上京自体はぜんぜん特別な思い出にはならないだろうし、人妻を連れた不埒な旅行──それ以外のタグが付されることはないのだと思っていた。
しかしながら彼が折に触れて、同じ宇宙を見たコーヒーやケーキに、見下ろした街並みに想いを馳せたりするので、あの1泊2日は、どうにも忘れっぽい彼の心の底にもきちんと錨を下ろすことができたのだなと思うと、それなりに感慨深いことなのだった。

思い出を上塗りしたくないんだよ、とバツが悪そうに漏らすことがある。きっと君とならいつだってどこだって素敵な思い出になるだろうけど、あの日はあの日のままパッケージしておきたい……と続ける。彼が反芻する頻度の多寡によって、私が刻み込んだ傷跡の深さが分かるようで、特定の座標に紐づいた記憶の純度に固執する彼を見るたびに、うれしい。これからも、いろいろなところへ行こうね。だって私は、彼の特別な恋人になりたい。

 

さて一方、私たちには息継ぎをするための場所もあって、具体的にいうと、おたがいの住まいを直線で結んだ中間地点。何度かここで待ち合わせをしている。
ここへ来るまで電車の車窓から見る風景も、少しずつ見慣れたものになっていき、今日などは、ついこの間にインタビューした地元の名士の肝いりで建てられたというハコモノの姿を、途中で通過した駅のすぐ近くに見つけることができた。街の規模や乗降客数からいって、正直不釣り合いだと思われるような上等な飲食店がテナントに入っているのは、代々不動産業を営む地場の有力企業の何代目かとこの名士とが竹馬の友で、「気兼ねなく会食のできる『それなりの店』が欲しいよね」と言い合っていたのがそもそものきっかけだという。

日常から切り離した恋に向かう道中にあって、どこで誰にオープンにしても危険でないパブリックなタグがそこここにオートマで付されていくのには、奇妙な手触りがある。距離を隔ててもなお時間を共有するというのは、こういうことなのかもしれない。

水面に顔を出してぜいぜいと息を繋ぐような場所であっても、逢瀬をかさねて一回性の記憶の純度を希釈するのはもったいないような気がする、というふうに彼が言ったこともあるのだけれど、結局私たちはこうして、ここで落ち合う。恋の生存と記憶の純度のどちらを優先するか、という選択でもある。

 

予定よりも早く彼が到着すると聞いたのはきょうの朝方のことだった。決めていたのより2本ばかり早い電車に飛び乗る。ホームに降り立ったのとほぼ同時に、トイレで用を足してから向かうよとメッセージを受信する。

改札を出、男性用トイレを横目に、わざとヒールを鳴らして通り過ぎ、女性用のに入る。足音で到着を知らせる目論見だった。小中学校の臨時休校が始まった3月には、駅前のこじんまりとしたロータリーや手洗い場には女子学生の姿があり、何となく騒々しい雰囲気があったのだけれど、今日はだあれもいなかった。学校が再開しているのだから、当然だろう。

トイレを出た瞬間、私の視界の少し先に恋人が横切る。長細くて、背が丸い。このあいだ言っていた新品のシャツを着ている。そわそわ落ち着かない斜め後ろの立ち姿を見るに、私の足音は彼の耳に届いていなかったのだとわかる。ねえ、と物陰から数回声をかけると、驚いたようすで振り返り、破顔、あ、かわいい……。ふにゃふにゃの笑顔で腰が抱かれた。

助手席に押し込まれる直前、胸元でさり、と小さく鳴ったので、ワンピースのふくれ織りが、私を抱いて指先をあちこち体じゅうに走らせた彼のささくれを捉えたのだと知る。

 

 

今日のベッドでは、どこへ行っても海のようだった。からだを繋いで、切り離して、添わせて、慈しみ合い、また繋ぐ。切り離す。溺れる。息を継ぐ、浜辺で休めたからだを縫い留める。

「もう2時間も経ってんだ」

吐精のあと、そう言いながら天井にかざした人差し指を左から右へ滑らせる彼のようすを見て、このひとは、時間の経過を線で表すのだなあ、と思った。私なら……時計の針をぐるんと動かすように2度、円を描いていたと思う。2時間。次に会った時には何はなくともシャワーで汗を洗い流してからしゃぶりあおうね、という口約束を反故にして縺れこんでから経過した時間。

ただ女であるだけで彼に愛されてきた女たちが憎い。1年以上前、出会ったばかりの彼は、思いがけず恋愛関係に陥った私を指して得難いものだと誉めそやしたけれど、それをよすがに紡いできたものもあったのだけれど、今となっては、そんなことはどうでもよかった。
私はどれだけ経っても単なる女として彼に愛玩される女がとにかく羨ましく疎ましく、セックスのあとには、私もそういう女──さしたる理由がなくても気を引いて愛してもらえるような──になれたような気がして、嬉しかった。しかしながらそれはそれで、自らに代替不可能性を強く信じ込んでいたこれまでの関係に比べればだいぶありふれていて、それだけ失われやすい、他の誰かに取って代わられやすい関係であることも意味している。今生にふたたびありやなしやを積極的に自己誤認するわりには、彼がこれまで価値を認めてきたような、ただ女であるだけで愛される女になりたい。

 

 

送り届けられた駅の待合には驚いたことに人が多く、掲示板によれば、少し前の事故の影響で遅延が続いているということだった。

名古屋行きのホームに降りる。線路沿いの背の高い草むらをぼんやり見つめていると、思わず春の季語としたくなるような、鮮やかなレモンイエローの蝶がちらちらと群れている。数時間前、ホテルに向かう車が中学校を左手に赤信号で停車しているとき、視線の少し先で低く飛んでいた1羽と同じ黄色に違いなかった。
「なんだか春っぽい色だね、しかもたったひとりで」。そんな風に表現した気がする。だって、息継ぎの場所にも、とっておきのタグを付しておきたかったんだもん。羽化する季節を間違えた孤独な蝶に出会ったとか、そういう記憶のピンがあれば、ここだって、少しはスペシャルな場所になるんじゃないかって、そう思ったんだもん……。

ひとつひとつの事象を拾い上げて、わざわざ特別な意味づけをして、つとめて代替不可能を作り込もうとしている。これではいずれ来る喪失の重みを一生懸命に増し増しているようなものではないかと、呆れてため息が漏れる。

思わず取り出したiPhoneの検索結果によれば、この手合いは季節外れでも何でもなく、よって、きょうの邂逅にはさしたる希少性がないのだと分かった。この日は彼が漬けた福神漬けを持たされて帰った。そして浴室で新たに知ったのは、私は打ち身を、彼はやけどをしぶとく皮膚に染み込ませるということだった。

 

 

 

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