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スペイン、蝸牛

「完成前のサグラダファミリアを見ておきたいの。私の感性が瑞々しいうちに」

建築家でも芸術家でもないくせに、生意気な口をきいてしまった。

べつにいいけど、と無抵抗に応じた男は近藤さんと言って、論理的思考の展開に長けたひとだった。どれくらいロジカルかというと、私がこう切り出したその5分後には、「雑誌で見たバルセロナの空の青が良くって、あの下で歩いて、ちょっと感じのいい写真を撮ってみたい」とかいう、いかにも俗っぽい願望を詳らかに自白させるくらい。

近藤さんはたしかWebデザイナーをやっていて、それ以上のことはあまり知らない。これは私が大学生だったころの話で、彼がたまに呼びつける覚王山の狭いアパートにはモノが少なく、学生時代から使っているという小さな冷蔵庫には、からからに干からびた冷却シートだけが定住している、というありさまだった。鍵をよく失くすので、無施錠の集合ポストに合鍵を放り込んでいるようなひとだった。

生きることにはあまり積極的でない様子だったけれど、人間のことは結構好きで、セックスは人並みに優しかった。あとは顔立ちがよかった。離婚歴があるとかないとか。行為のあとに私がシャワーを済ませるのを待ち、スキンケアとヘアドライを済ませるのを待ち、腕枕で私が眠りに落ちるまでを根気強く待ってくれるひとだった。彼の部屋にはスラムダンクの単行本全巻と、高校時代のバスケ部の後輩たちから引退にあたって贈られた色紙があった。アウディのローンは支払が滞っているようで、督促の手紙も何通か確認したように記憶している。



サグラダファミリアの外壁には、聖書のいくつかのシーンが彫刻でもって描き込まれている。生誕のファサード、受難のファサード──興味深いことに、それらはシーンが描くストーリーに応じて、異なるタッチを採っているのだった。イエスの誕生は慈悲に満ちて神秘的な曲線のカーブでもって印象的に描かれ、他方、「最後の晩餐」に始まる過酷な旅路は、一見してぞっとするような、温度を感じさせない、冷淡な直線でソリッドに描かれていた。私を強く惹きつけて視線を剥ぐことをゆるさなかったのは、「死」の概念からの逃走が永久に叶わない、受難を語る硬質のモチーフだった。

インターネットで手配した、現地に住む日本人女性ガイドの解説を聞いて、近藤さんは「ははあ、なるほど」と適宜色よく返事をしていたけれど、付け焼き刃と思われる彼女の解説を聞くことより、自身の感性の絨毛でガウディを絡めとることのほうがよっぽど有意義と感じたようだった。ディナーの予約が早まりまして、とか適当な理由をつけて、予定していた時間よりも早くに、彼女とは別れた。

聖堂のてっぺんまでエレベーターで上る。

大きな感動はなかった。予測通り過不足なく美しいバルセロナの街並みを見渡しただけで満足してしまい、何となく手持ち無沙汰になってしまった私たちは、他の観光客の目を盗んで数回キスをした。と思うと、あけすけに唇を噛み合うラテンのカップルに出くわし、近藤さんは「おお」と大げさに驚いて見せて、その後は誰に憚るでもなく、頬が寄るたびに私たちはキスをした。

地上に戻るにはエレベーターが使えず、螺旋階段を降りねばならん、ということだった。

「あーっ、こわいよ、近藤さん、こっち歩いて。交代してえ」

ふと中心の空洞から真下を覗きこんで、眩暈がした。永遠の反復とも思われる螺旋のゴールはぼんやりとして見通せず、そう思うと、とたんに鼻孔に死の香りが立ち込めた気がしたのだ。私は本当に、人間の世界に戻ることができるのだろうか。ガウディの偏執が、重力に逆らうようにして私を覗きこんでいた。

「どうしたの」
「ガウディに連れていかれる。お父さんにはあの魔王が見えないの」
「なんだっけ、それ」
「シューベルト!」
「それそれ」

近藤さんと左右を替わって、螺旋の外側、壁の手触りを確かめながら歩く。

「なみ、前にもこんなことがあったね。ゴッホを見た時も、怖いって」

数年前に(記憶が定かなら)名古屋市美術館でゴッホを見た時にも、死の匂いが私の全身を支配して、けだるい潜熱に四肢が重くなり、吐き気を催したことがあった。

「ゴッホは……関わりあいになりたくない人種でしょう」

そうだね、と笑った近藤さんが、「あ、もうひとつ」と思い出して、言った。

「ドンキのやつも」


***

旅先で荷物を預けにホテルへ向かう道すがら、コンドームを買うのに立ち寄ったドンキホーテで、近藤さんに泣きついたことがあった。

「床が柔らかいよ。それに眩暈もする」

霊感といった類のものを私は信じないし、近藤さんも同じだった。哲学的な思索も得意としないふたりだった。私も彼もこれまで大病もせず、日常で些末な悩みを抱えては忘れて生きていく。ハイヒールのまま1日歩き続けたから筋肉痛だとか、カエルのように開脚して数時間セックスしたから筋肉痛だとか、私たちの間に横たわる「苦痛」といえば、そのくらいのものだった。

もっともこれは、私たちが世間一般でいうところのセックスフレンドでしかなかったことに起因するだろう。もっと社会的な未来を互いに志向していたら、きっと「苦痛」や「煩悶」のバリエーションは豊かだったに違いない。わかりやすく言えば、そういう刹那的な関係だった。しかしながら、近藤さんは私がタナトスに引き寄せられてコントロールを失いそうな一瞬、ぐっと手綱をひいて現実に戻すのが抜群にうまいのだった。たいていそれは、セックスを手段としていた。

その後に合流した近藤さんの現地の友人の話によれば、ドンキホーテが建つ数年前まで空き地だったというそこは、さらに遡ると、ステーキグリルのファミリーレストランだったという。当時にしてはしゃれたメニューを出していて、友人のご両親もデートで何度か立ち寄ったことがあるらしいが、その「いわく」を聞いて皮膚が粟立ち、近藤さんのシャツをぎりり、と捩りあげてしまったのだった。

「あそこな、入口で首吊った女がいるんだってよ」

***


地上に戻ると、ステンドグラスが光を透かして輝いていた。

死の使者よ見たまえ、今日も私は戻ってきた。祝福の歌が聞こえる。異邦人としては各所で大げさなふるまいを許されたがる私は、近藤さんと結んだ右手を振りほどき、両腕を広げてぐるりとターン、したときに、今さっき私たちを吐き出した螺旋が、たしかにまだ、私をじっとり見つめているのを認めた。タナトスはあんぐりと、その大きな口を開けたままだ。足元は再びふわふわとおぼつかず、床は柔らかい。気を抜いたら、きっと魂を抜かれて連れ去られてしまう。

「ねえ、こわいよ」

私が死を嗅ぎ取ったのを察知した近藤さんの立ち回りは、実にスマートだった。サグラダファミリアを出て、カフェでエスプレッソをテイクアウトし、私の猫舌でも受容できるようになった頃合いを見計らって、「なみ」と肩を抱いて飲み下すよう促す。ちりっと喉でもたつく苦味が、少しだけ不安をどこかにやってくれる。

ホテルに辿り着いた近藤さんは、覚王山のアパートの安いマットレスでそうするように、私を抱いてくれた。ペニスは私を現世に繫ぎ止める杭だ。こういうとき、いつもより強く激しく抱くような演出はとても陳腐だけれど、まっこと効果的であると感じる。近藤さんはこういう「信頼に足る」「少女漫画的な」ふるまいができるので、私は安心して心の弱いところを少しだけでも預けることが出来るのだった。

「きょうは、どうしたの」
「螺旋が、すごく怖かった。引き込まれそうで、帰ってこれないみたいで。私がここにいるのはガウディの気まぐれだよ」

近藤さんはあははは、と笑って私の頭を撫で、

「シャワーを浴びてくるよ」

と言って、ベッドからするん、と抜け出してしまった。カーテンから差し込む陽光が、まだまだ私たちが白昼にあることを主張している。水音を聞きながら、ひとつも語意を汲めないテレビを点けて、よせばいいのに、さっきまで私を胎内に取り込んでいた螺旋のことを思い出していた。

子宮は、ひょっとしたらあんな形ではないのか。

中指を入れて、一息ついて思いきってもう少し押し込むと、カタツムリの殻を想起しそうな形状に触れる。これは螺旋だ、とシンクロニシティに畏怖をおぼえる一方で、自然のあらゆる造形物に黄金比を見たダヴィンチに想いを馳せていた。きっとこの螺旋は、美しいプロポーションを描いているはずだ。

近藤さんの先端は、さっきまで何度も螺旋の入り口をノックしたけれど、(その構造上当然ながら)彼を取り込むことはせず、私の不可侵は守られたままだった。それがどうしようもなく孤独を語るようでもあったけれど、何ぴとの立ち入りも赦さないこの螺旋は、私を吸い込み輪郭を解体しようとしたサグラダファミリアの階段とはまったく違う、静謐であたたかい、曲線的なモチーフであるような気がしていた。



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