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記憶のだめおし

7月20日、恋人に会った。その前に会ったのは、3月。いつものように、彼に会ったあとには日記を書いているので、このときも例にたがわず、翌日にはPCとスマートフォンを行ったり来たりしながら、noteを書き上げたのだった。

彼が読んでも読まなくてもいい、けれど、私たちの関係は何となく変質しつつあり、私はその「変質」に少なからず別離のにおいを嗅ぎ取っていたので、私が何か書いたことが彼にとって野暮な慰留を意味しないかと、公開するのをずっと止めておいたのである。

私たちはそれなりに距離を隔てたところでそれぞれの生活を営んでいて、一昨年の秋に初めて対面して以降は、とくに決め事としていたわけではないけれど、デートの間隔としては、一番長くて3か月とちょっと、といったところだった。きょう、最寄り駅からいくつか電車を乗り継いで、昨年のあの日に待ち合わせたのと同じ駅を目指している。


予期しない遅延のおかげで、果たしてあらかじめチケットを取っていたやつに乗れるかどうか、冷や汗をかいたけれど、そこはどうにかなったので、胸をなでおろした。問題は、深刻な乗り物酔いに襲われたことだ。昨年の往路では、当時のタイムラインで静かに話題になっていた『女帝 小池百合子』を読みふけっており、読書の前傾姿勢のために、酔った。今回は、最近通勤中に読んでいる『血と抗争 山口組三代目』を携行しており、シートを深く倒して掲げるようにしながら読んでいたのだけれど、ものの20分かそこらで、雲行きが怪しくなってきた。幸い、「酔ってからでも効く」という触れ込みの酔い止め薬を1錠だけ持っていたので、鷹揚にそれを飲み下したものの、これが全然効かずに、きょうはイラマチオはできないな、と思った。悪路に呼応して不規則にこみあげる吐き気と攻防を続けながら、復路のために酔い止めを買いたいので、落ち合った後にはどこかのドラッグストアに寄って欲しい旨、恋人に連絡を入れる。

昨年私が初めてあの駅に降り立ったとき、彼はとっくに到着していて、改札を出たすぐのところに、爽やかな青年のような出で立ちで私を待っていたのだった。しかしながら、きょう同じ場所に彼の姿はなく、というのも、待ち合わせの道すがら、酔い止めを買ってきてくれるということで、おぼろげな記憶を頼りに、昨年彼が車を停めていたロータリーに下りて、日陰を探した。

暑い。私の住む東海地方は数日前に梅雨明けが宣言されたばかりだったが、こちらはどうだろう。腰を下ろしたベンチで尻がじわじわと灼かれる。不意に、幼い歌声が聞こえた。線路は続くよどこまでも、と言っている。どうやら踏み切りが開くのを待っていた園児たちが声を合わせていたようだった。この炎天下、お散歩にでも出かけるのかしら……と目を細めていると、恋人が階段を駆け下りてきたのがわかった。


今日の彼は、コーラのシロップを作って瓶詰にしてきたのだという。ラブホテルに入る前にコンビニに寄って、炭酸水を買った。備え付けの小さな冷蔵庫にはグラスが2つ冷やしてあり、赤褐色がじゅわじゅわ音を立てながら希釈され水位を上げていくのを見ていると、その2つのグラスはつがいのやつではなく、背丈が微妙に違うやつであることが分かった。いかにも田舎のラブホテルの風情がただよう。

そこから先のことは、あんまり覚えていない。

・ 右腕の内側を噛まれた。
・ 彼は暑苦しいのを理由にアンダーヘアをトリミングしていたのだけれど、乳首の毛がいつもより長いのが印象的だった。
・ 陰茎が黒すぎる。果たしてあれほどだったか。
・ 騎乗位で射精まで持ち込むのは今回が初めてのことだった(普段は結局組み敷かれて、私が大泣きしながら終わる)。
・ いつもより、包皮の持て余しているところが多い気がした。包皮ごしに亀頭を摘んで腰を振らせると、オナホールを使っているところを見るようで、我ながらオツな趣向だと思った。


滞在可能時間は、最大で5時間程度。セックスをするには中年には長すぎ、ホテルを抜け出すなどしてデートを楽しむにはいささか短すぎるような気がしていた(帯に短し襷に長し、TOO FAST TO LIVE, TOO YOUNG TO DIEだと思った)。しかしながら、湯あがりの彼が「昨年と同じところへ行こう」と言うので、へえ、と従うことにする。古城跡を包摂する自然公園だ。部屋を出る前、もう一度コーラを作ってくれた。市販のものより色が薄くて、お中元でもらうやつのような、ちょっといい値のビールように見えた。


以降は、昨年のnoteを引用することとする。

公園内ではマスクを着用せよという。幼いころに近隣に住んでいたという彼は、小学校だか中学校だかの遠足で、何度もここへ足を運んだことがあるのだという。ぐるりと巡らされた堀を覗きこんで、彼が言う。
「あれえ、ここのナマズ、もっと大きかったと思うけど……ここの奴らって全員が【主】クラスなんだよ」

──今回も、お堀を覗いた。彼はナマズのサイズに納得していたようすで、「ほらね」とか「うんうん」「やっぱりね」とか言っていた。

前回は、公園の正門のすぐそばのところにあるパーキングを借りたのだけれど、今回は、城跡を挟んで向こうのほうに車を停めた(らしい)。あんまり暑くて汗が噴き出すので、彼がスマートフォンでもってかき氷屋を見つけ、そこを当座の目的地として、ずんずん歩いた。
店に着くと、レジに立つ若い女の子が、豊富なシロップのバリエーションに悩む私たちに向かって「さらに追加で悩ませちゃうんですけど~」と切り出し、シロップだけでなく、練乳についても数種類の中からひとつを選ぶように促す。
結局、私はメロンのやつを、彼は抹茶あずきのやつを選んだ。奥の方で調理(調理?)担当の男の子が私の分を作っているのを眺めるのに飽きて、先に抹茶あずきをサーブされた彼が店先のイートインスペースで氷をつついているのを見ていると、背後で、私たちの後にやって来た年配のご夫婦に向かって、さっきの女の子が「さらに追加で悩ませちゃうんですけど~」と、一言一句たがわずフランクな接客を演出していたのが興味深かった。
恋人の隣に腰を下ろして、彼が味見をしやすいように、少しだけ彼の方にカップをつき出すような体裁にしておき、私もいよいよ山盛りの氷に挑みかかる。予想以上の頻度で彼のスプーンが私のメロン味を掬っていき、「やっぱりね」と思った。

一通り散策を終えて、敷地内の小さな博物館にも立ち寄り、公園を出たすぐ、気取らない店構えののれんをくぐる。私はわさび菜ととろろの蕎麦を、彼はざる蕎麦の大盛りを、ついでにニジマスの塩焼きも頼もう、と注文すると、焼きあがりには想定以上の時間がかかるようで、馬刺しに変更。ドライバーの彼が、日本酒のメニューを未練たらしそうに見つめている。飴色の木の吊り戸棚には、メニュー通りのラインナップで地酒の瓶が並んでいる。
「こんど、いつか夜にも来たいね」
意図せず未来を志向するような言葉が口をついてこぼれてしまい、自分でも内心でひそやかに驚いてしまう。少しの間のあと、彼が「そうだね」と笑う。彼はこういうとき、癖なのだか、厨房だとか店員だとかのオペレーションをじっと観察している。そういうときの彼はどこか遠くにいるので、こちらに戻ってくるのを待つしかない。

──かき氷屋を経由して、ぐるりと回り込むようなルートで、とうとう、城跡に再びまみえる。

抜けるような晴天の青空を背負って、真正面から向き合った大昔の城跡に圧倒されたこと。展望台でしゃがみこみ、マスクを着けたまま、どうしようもないほど涼やかな風をごうごうに浴びたこと。酒屋から駐車場に向かう道すがらに見上げた、入道雲の始祖のような、夏の雲。あの全部が、ほんとうでなかったら、まぼろしだったとしたら。

──全部がほんとうだったし、全部がまぼろしではなかった。昔のお城も、現代の蕎麦屋も、全部、そこにあった。

車を降りて、かき氷屋を目指して歩いているとき、横目に城跡の存在を認めていたのだけれど、いざ正面から再び向かい合ってみると、昨年の梅雨の晴れ間、彼と連れ立ってここに訪れたことがほんとうのほんとうに真実で、私にとって都合のよい、美しすぎるフィクションではなかったのだと──ありありと思い知らされたような心持ちだった。下腹部に小さくあたたかな錨が下ろされたような気がした。私は極端な方向音痴で、地図を読むことができない。空間把握能力が低いというやつだろう。しかしながら、1年間の空白を超越して、再び恋人とともに城跡を臨むいま、私の内側に、確かな奥行きを持った立体の地図が、ジオラマのように形作られていくのがわかった。




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