11月25日の日記

読んでくださった方には「お時間を頂きましてえろうすんまへん」と謝罪したくなるレベルの、スケベじみたテキストをインターネットに放流している。

Twitterを始めたのは2018年の夏で、noteを始めたのは2019年に入ってすぐの冬。私は自分のテキストを「吐瀉物」のたぐいだと思っていて、そこそこの頻度でアップロードするこれらを読んでくださっている方が少なからずインターネットのどこかにおられると思うと、やっぱりえろうすんまへん、という気持ちになるし、不思議な気持ちになる。

私自身は結婚生活をやっていて、子供もいる。私が書き残すのは、これまでセックスした男たちのこと。いまどきで言えばズブズブの「沼」の話もあれば、連絡先の交換にも至らず、一晩だけで終わった男の話もある。よく書いているのは、継続的に関係を持っている男性のこと。言ってしまえば「不倫」のセックスにまつわるあれこれを、私小説のような形で書き残している。

行為としての「不倫」について言及したくこのテキストを書き始めたのではなくて、「書くこと」とか「加齢が嗜好に与える影響」についての所感を書き残したいと、ふと思った。ので書く。


「書き残す」ことについて

Twitterのフォロワーに「いつもTwitterにいる」と言われたことがあった。一度や二度ではない。そう、私はたいていTwitterにいる。それでもって、大抵セックスのことを呟いている。しかも不倫の、人倫に照らしてアウトのセックスについて。

何でこんなに、縋るように記録をするのかと思う。寸暇を縫ってまで。ふと自己嫌悪にも似た自省の感情に襲われる瞬間があって、それはいつかというと、子供や夫と向き合いながら、Twitterで「不倫セックスしてえ」などと書いているとき。行為の(一般的な)背徳性に罪悪感を抱いているのではなく、「なぜこんなに書かずにいられないのか」と思う。

メモ魔だった。とはいえ、学生時代に購入した「ほぼ日手帳」はすぐ大きな空白が連続してしまう程度の。当時の私がやっていたのは、せいぜい現像した写真でスクラップブックを作ることくらいだったと思う。

夫には持病があり、生活上の不便を感じることは(いまは)ほとんどないけれど、それなりにストレスを強く感じていたこともあった。私自身職を転々として、社会的なよるべなさに不安を抱いていたこともあった。そんな時でも、今ほど「心のスケッチ」はやっていなかったと思う。

契機は出産の前後だったと思う。子供を腹に宿したときから、この子と私の人格をどう切り離すか、ということにばかり心を砕いた。精神的な母子分離は、母である限りの私の永遠のテーマでもある。

母親は単なる「産道」でしかないと私は思う。十月十日を物理的不可分のなかで共に過ごしながら、現在に至る数年を見守り続けてきた私の子供。であるけれど、あれは私と別個の人間なのだ。その人格は私から独立して尊重されるべきだと思っている。

母子分離ができない女は、腐るほどいる。

こういう女はたいてい、自己に内包する他者が多すぎるのでたちが悪い。自分でないものまで自分だと見なすので、ある程度コントロール可能な人格だと誤認してしまう。子供を持っていなくても、尊大な子持ちにわざわざワーキャー言うやつは往々にしてこの類である。あんなもんは淘汰されるので放っておけばよろしいのに、自己と他者との境界を正しく引こうとする営みに不慣れなやつは、ちょっぴり社会派を気取って言及してみたりしている。「我がことのように考える」共感性は、時にみっともなくて、ダサい。話が逸れた。

私は「他者を他者として」認識したいと思う。そのためにてっとり早いのは自己認識の練度を上げること。そのためには「書くこと」が低コストの近道であっただけだ。私の場合。

思い起こしてみると、出産に際して、初めての陣痛に苦しみながら、持ち込んだノートに心境を書き綴っていた。新生児室から戻った病室で、夫の寝顔を見ながら、どこへ行きつくでもない不安も、不安のまま書き残しておこうと思った。私を私として記述すること・認識することは、きっと子供を子供のまま認識すること・尊重することと遠くない地続きだと信じていたから。これは今になっても少しも変わっていない。

私は私の輪郭を描くために、不倫の恋人たちを通して私を定義し続けるのだと思う。子供や夫が私の残したあれやこれに触れることはないと思うけれど、それでいい。私自身が私を私のまま承認してやるために、これは必要な営みなのだと思う。


加齢が嗜好に与える影響について

高校3年生の時分、受験を控えた私がガラケーで夜な夜な読んでいたのは、2chのまとめサイトだった。「大人になればこんな不毛な楽しみは手放せる」とタカをくくっていたけれど、結局31歳になった今でも似たような時間の消費をやっているので、高校生の私には諦めろと言いたい。

この時の私は、VIPという2ch内の掲示版コミュニティ文化の片隅で、東京で大学生をやっている男の何人かと親交を深めたりしていた。性別は割とどうでもよかったけれど、女の子は現時点における趣味なんかで意気投合を図ろうとするので、ぜんぜん会話が長続きしなかったのだ。

私自身も大学生になってから、彼らの一人と会うことになった。ひとりぐらしのアパートに彼を招き入れて、当然のようにセックスをして、就活を終えていた彼は私の大学の図書館に入り浸ったり、狭いキッチンで砂肝を焼いたりした。子宮に突き刺さるような先細りのペニスも悪くないな、と窓辺で立ったままの後背位で思ったりした。それから少し後、彼が大麻をやってバッドトリップした、という笑い話を一緒になってゲラゲラ消化したあと、彼の感性にケチがついた気がして、連絡を取るのをやめた。

現在に至るまで、いかにも頭の悪いSMの男にアナルセックスを強要されたこともあるし、mixiで出会った男があまりにも朴訥な出で立ちで、トイレに行くふりをして逃げ出したこともある。のちの夫になる男性と出会ってくっついたり離れたりしながら、セックスフレンドと海外旅行をしたり、生活の面倒を見たいと申し出る初老のおじさんとセックスしたりした。配偶者でない男とセックスすることにも、強い禁忌意識はない(社会的に悪とされる行為であることは知っている)。

男を通して私を見ると、かわいい。見目麗しさはないけれど、好意を全身から噴霧して、キスをすれば喜ぶし、いいところに到達すればきゃあきゃあ喜ぶ。私が(それがたったの一時でも)恋慕するのはどこかが「イカした」男だから、全力で彼らを承認する。何ていたいけでかわいいのだろう。そう、私は男根の熱狂的フォロワーなのである。

いつになったらこんな、享楽的で非生産性な遊びに飽きるかと思っていたけど、けっきょく、飽きなかった。セックスというのは私にとってどこまでも「私を定義する方法」として有効な手段の一つだった。何を粋として、何を無粋とするか。私の輪郭をシャープに描き出すのは、私が憧れる男の属性であったり、持ち物であったりする。

加齢による嗜好への影響──たぶんないではないけど、コアな部分は変わらないんじゃないかな。きっとこのまま、男アンセムを歌い続けて死んでいく。



だらだらと書いた。私はやっぱりセックスが好きで、ついでに男っていうのがどうしようもなく好きで、自分以外のすべての他者を正しく認識するための手段として自分を定義したくて、吐瀉物のようなテキストをインターネットの最果てで、ごりごりと彫り続けている。たぶん今日も、明日も。



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