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基本的人権死す in ドイツ

(この記事は☝️の動画の文字起こしです。メイコさんの許可はいただきました)

 ヤッホー!みんな元気でした?

 今日はね、11月18日にあったデモについて話したいと思うのね。

 11月18日は、ドイツのベルリンでデモがあったんだ。

 ドイツ全国から色んな人たちが集まってきたのね。

 デモがあったすぐ近くに読売新聞のドイツ支社があって、私オフィス発見したんだけど。
 読売新聞の方々、そのことは報道しましたか?
 私よりデモに近い所にオフィス持ってるんだから、少しは仕事しなさい。

 で、どういうことかって言うと、新感染症法案っていうのは、様々な個人が持つ

『基本的人権を「ブッつぶす・ブッ壊す・無くす・削減する」』

 とそういうような内容です。
 基本的人権ていうのは今まで人権というゴールデンスタンダードとしてバーンとあったんだけど、感染症法を基本的人権の上に乗せちゃうという法の内容の改定が行われたっていうのね。

 それが11月18日の水曜日、それに反対するためにみんなドイツ全国から集まってきてデモしたのね。

 ちょっと詳しくというか、感染症法がどういう影響を持っているか話すと、例えば、

『個人の身体の自由が無くなる、もしくは削減される』

 つまり「私の身体は私のものだから、ワクチン打とうが打たなかろうが、私が判断する」って言えなくなってくるってことです。

 「パンデミックだから国民を守るためにワクチンを強制化」しやすいような法整備に準備完了っていうことね。

 それから

 『個人の住居の自由が無くなる、もしくは削減される』

 例えば、私がもしかしたらコロナウイルスに感染しているかもしれない「疑い」がある場合(「疑いが」だよ)、国家権力が私の家に来て家宅捜索っていうか、その人の家の中にズカズカ入っていってその人の身体検査したりテストしたりっていうのをやってもOKになる下準備が完了ってことなのね。

 あと

『集会の自由が無くなります』

 宗教的な集まり、クリスチャンの人たちだとか、イスラム教徒の人たちの集まりだけではなく、デモ、自由のためのお散歩ね、デモンストレーションの自由が無くなる。

 それはなぜかというと「国民を守るため」という、そういう名目ね。

 それから

『マスクの強制化』

 がさらに本格化するということ。

 日本は違うかもしれないけど、ヨーロッパっていうのは、マスク着けてないと罰金だからね、罰金。
 犯罪行為です。

 私みたいにマスク着けないでフラフラ歩いてたりとか、スーパー行ったりとかすると、本当に罵られたりとかすると。

 マスクを付けられない人(健康上の理由で)はお医者さんから証明書を書いてもらって
「私はマスクを着けると健康上被害があるのでできません」
 と喘息持ちの人とか、例えば。

 そういうふうにして何とかマスクを着けなくても済むようなステップを踏んでるんだけど。
 でも、私の周りのデモに参加するような友人たちの多くが証明書を持っているにもかかわらず、警察からイチャモンを着けられて罰金を後で払いなさいという紙をもらったりとか。
 お医者さんにお金を払って発行してもらっている「マスクは着けられません、健康上の理由で」という証明書も勝手に没収されたりとか。そういうひどいことが起きてるのね。

 ざっくり言うと何かって言うと、その感染症法案って言うのが、基本的人権の上に立つ準備が完了したっていうわけ。
 11月18日にね。

 で、デモに参加する、もしくは今起きている色んなことがおかしいおかしいと思っている普通の人たち、陰謀論者じゃなくて普通の人たちだよね、普通のIQがあって、自分で自分の考えを持てるような人たちはなんて言っているかというと、

「2020年11月18日にドイツの基本憲法に基づく基本的人権は死んだ」

 というような発言をしている。

 みんな、デモに参加する私の友人も含めて、すごく打ちひしがれています。

 それはなんでかっていうと、法案がスピード可決されたということだけじゃなくて、もうこれで2度目かな。

 ドイツはライプツィヒとベルリンと、これでもう2度目。

 警察が放水車を投入して、このめっちゃ寒い冬の10℃もない日に、平和的に歌を歌ったりハート型の風船を持ったりプラカードを持ったり、本当に平和的に集まっていたデモの参加者に水をぶっかけたのね。

 これでもう2度目です。

 私はその気持ちはすごくよくわかる。

 みんな、デモに参加している人とかが悲しい、打ちひしがれている、怒り狂っている、残念に思っている、裏切られたと感じる。

 その感情はすごくよくわかるし、基本的人権が死んだっていうふうな言い方をしたいのも、すごくよくわかる。

 私もそう思った、水曜日。

「あ、これって、状況としてはどういう状況かというと、私これ何もない自由な空間にいる、と思っているけど、手では触れない、目でも見えない、臭いもしない、味もわからない、私たちは認識することができない牢屋に入れれられているのと一緒だな」

 っていう、そういう感覚に陥るのね。

 実際そうですよ。

 実際そうなんだけど、ただ、自由ってどこにあるかっていうと、私の外にあるものじゃないんだよね。

 自由って自分にしたがうと書いて自由と読むって話は今までもしてきたんだけど、自由っていうのはつまり自分の中にあるものだから

 例えば国家権力が「ダメだ」とか「こうしなさい」とか「あなたの権利は無くなりました」とか言ったところで、人権そのものが死ぬわけじゃないのね

 それは法律上の基本的な人権というものが死んだというのは、それは確かにその通り。

 それに対しては、声を上げないと手遅れになるよ。
 手遅れに。

 ただ、このすごくあり得ない状況だよね。
 国家権力がどんどんどんどん強くなっていって、個人の自由がどんどんどんどん減ってって、完全にもう奴隷化の波・プロセスにあからさまに入ってるんだけどさ。

「別にマスクつければ良いじゃない?」
「マスク、パッと着けるのに何の文句があるの?」
「別にたいしたことないじゃない?」

 って人たちもいると思うんだけど、

「やっぱりおかしい」

 って思う人たちはどんどんどんどん増えていってるのね。

 水曜日に初めてデモに参加したって人たちもいたのね。

 それもベルリンに住んでないけど、わざわざ県外から車でベルリンまで来て、ホテルも全部閉まっているので、ホテルに泊まれないから、どっか寝るところをコミュニティーの中で連絡を取り合って、やっと探し出して、ベルリンまでわざわざ来てデモをした人もたくさんいるわけ。

 つまり

「おかしいな」

 って気づいている人が増えてきてるってことね。

 確かに、危機的状況です。

 かなり危機的状況であるんだけど、これはドイツだけじゃなくて、イタリアもそうだし、スペインもそうだし、フランスもそうだし。


 でも、一つちょっとここで大事なことを思い出したいなと思っていて。

 これは、恐怖を持つのはいらないよ。

 恐怖は持つのやめよう。

 不要だから。

 恐怖を私たちが持てば、向こうにとってはラッキーなわけ。

 だって、恐怖を持たせてそれでコントロールして、それではいどんどん服従させてっていうのは昔からの手なんだから。

 ここで恐怖を持ったり落ち込んだりするっていうのは、非常にもったいないっていうか、非常に不要なことです。

 だから恐怖を持つのはやめよう。

 それからガッカリする気持ちもよくわかるんだど、自分の中にある自由だよね。

 自由ってそもそもなんだろう?とか、人権てそもそも何だろう?っていうことを、もう一度考え直すいいチャンスだと私は思うのね。

 たしかに、基本憲法っていうものがあって、その中に書かれてる基本的人権何項何条っていう、それは死んだかもしれないよ。

 それはもう、昔のような本当の意味での基本的人権という意味合いは無くなったかもしれない。

 だけど基本的人権て『birth rights』でしょ?

 生まれた時から、人間が、各個人が持っている権利でしょ?

 私やあなたが生きている限り『birth rights』生まれ持った権利というのは、死ぬはずはないんだよね。

 じゃあ基本的人権って何だろう?ということをもう一度さ、もう一度思い出そうよ。

 これは政府が私たちに与えてくれるから初めて持てるものじゃなくて、私たちが持っていると認識するから初めて明らかになる、その効力を発し始める権利っていうのが、生まれ持って私たちが持つ権利でしょう?

 それは言論の自由だったりとか、行動の自由だったり、身体の自由だったり、住居の自由だったり、集会の自由だったり。

 政府が何と言おうと、権利は死ぬことはないのです。

 私たちがその権利を生かし続ければ。

 私たちがその権利を生かし続けさせるのだよ、政府じゃなくて。

 だって私の基本的人権て、私の人権だから。

 政府が「ハイどうぞ、メイコさんあげますよ」ってきれいに包装紙にくるんでラッピングしてくれたから持ってるものじゃないよ。

 昔からいろんな規制っていうのはあったよね。

 例えば、黒人だってそう。昔は奴隷として生きるのが当然、しかも奴隷として生きていることに誇りを持つような黒人の人たちもいたわけよ。

 だから奴隷のうちのさらに奴隷っていうことだよね。

 だけどさ、

「あ、これおかしいな」

 とか

「何で肌の色がちがうってだけで私たちは劣悪な人間だというふうに言われなきゃいけないんだろ?おかしいだろこれ?」

 って思い出した人たちがいるわけでしょ?

 で、そのために立ち上がった人たちがいっぱいいたわけじゃない?

 マーチン・ルーサー・キングとかマルコムXとか、色んな人いたけど。

 昔だったら、黒人てのは劣悪な人間だから、人権は白人よりも無いんだってのが、それが当たり前だったわけだよ。

 だけど人権ってじゃあ何?

 って考えた時に、人権って誰かから与えられるものじゃないよ。

 自由もそう。

 誰かから与えてもらえるから初めて持てるものじゃない。

 私たちがつかみに行かなきゃ。

 これ全てのことに言えることだと思うのね。

「私は友達がいません」
「私は周りに理解してくれる人がいません」

 家で待ってたって、本当の友達はあなたのところに来ないよ?

 私は、本当に自分がこの人友達って言える人に会えるまで、ドイツまで行ったし、ペルーまで行ったよ。

 自分が本当にほしいと思っているもの。

 例えば、何かの職業でもいい。
 天職と言えるものでもいい。
 それから人生の生き方でもいい。
 言語でもいい。
 好きな人でもいい。
 結婚相手でもいい。
 結婚はしなくてもいいよ。
 自分のパートナーでもいい。
 自分の、例えば、猫や犬でもいい。
 自分の生きる場所でもいい。
 天気でもいい。
 環境でもいい。
 人権でも。
 自由でも。
 思考の自由。
 考えることの自由。


 自分てどれだけ自由なんだろう?


 それは誰かがあなたに「ハイどうぞ」ってくれるから持てるものじゃないよ。


 これら全てのもの。

 本当の価値があるものっていうのは、自分でつかみにいくもの。

 全て。

 だから「基本的人権は11月18日に死んだ」っていうその発言の意味はすごくよくわかるよ。
 すごくよくわかる。

 この「国家」というシステムの中で死んだってことだよね。

 だけど、もっかい思い出せばさ、人権て何だろう?
 人権て誰のもの?
 私の人権て誰のもの?
 私のものでしょ?
 言論の自由。
 言論の自由。
 確かにYouTubeは言論の自由ないよ。
 FaceBookも言論の自由はないよ。
 だからといって私に言論の自由無いの?

 あるよ。

 私は言いたいことは言うよ。
 それがたとえ動画が消されたとしても、私は私が生きる限り、どんなに声が震えても、真実を話し続けるよ。

 それが言論の自由でしょ?
 でも言論の自由が持てるってことは、思想の自由があるからってことだよね?
 思想の自由ってどこからくるんだろう?

 プロパガンダ1日3錠。
 特にゴールデンタイム。
 テレビを見てる人。
 テレビで言ってたことをそのまま話す。

 だったら別にあなたが存在する必要ないじゃない?
 だってテレビが言ってることそのままあなたの口から出てくるんだったら、あなたと私は会話する必要性ないでしょう?
 じゃあ、あなたがあなたでいる意義って何なんだろう?
 あなたのオリジナリティってどこにあるんだろう?
 あなたの思想の自由ってどこにあるんだろう?
 どっかの誰かが言ってたからその言ってた言葉をそのまま吐き出す?
 そのままカセットテープみたいに?
 だったらカセットテープでいいじゃない?
 あなたと私が会話する理由ってないじゃない?

 人権て何だろう?
 もう一度思い出す。
 言論の自由。
 言論の自由って思想の自由がなかったら成り立たないよね?
 じゃあ思想の自由ってどっからくるんだろう?
 
 認識の自由。
 認識の自由。
 きれいとか醜いとか?
 
 この前、なんかね(笑)、美容整形のクリニックからEメールがきたのね。
 宣伝のためにどうですか?みたいな。
 ただで手術させてあげるから、あなたじゃなくて別の人でもいいけど、とにかくただで手術させてあげるから、うちの宣伝してくださいって。
 こういう人たちがもうユーチューバーでやった人たちがいますっていうのなんか載ってて、こんなのやってる人いるんだと思って。
 知らなかったからクリックしたら、本当にそのクリニックに行って鼻やったり、唇入れたりなんかやってるわけよ。
 日本人だよ。
 こういうふうにした方がいいとか、もっとこうした方がいいとか。

 美しさって何よ?
 外見だけ?
 人間の美しさって外見だけなの?
 ここだけなの?
 この見た目だけなの?
 だったらさ、グミ人形でいいじゃん?
 グミ人形って言う?
 ゴム人形か?(笑)
 だったらサイボーグでいいじゃんね。

 別に私である必要性ないでしょ。
 だって私の体さえ良ければ、中身はどうでもいいんだったら。
 別にこの私である必要性ないし、私の魂がここに宿る必要性ないわけじゃない?
 
 美しいとか醜いとかって一体何なんだろう?
 ていうかそもそも美しさってどうして「こうだ」って決まってるんだろ?
 美しさって誰が決めてるんだろう?
 じゃあこの手に届かないようなスーパーモデルが美しい人だとすればね。
 私たちみんなどこか欠けてるっていうことでしょ?
 じゃ欠けてるとすると補わなきゃいけないでしょ?
 「補わなきゃいけない」っていうそのマインドの穴に何が発生しますか?

 金が発生するんだよ、金が。

 つまり、マーケットの中の穴っていうのは、金を産む金の鶏の卵ですよ。
「あぶないよ、あぶないよ」
「病気になるよ、病気になるよ」
 あぶなくて病気で、私たちは弱くて、病気になって私たちは死んでしまうという、そういう試験管の中でなきゃ生きられないようなすごくすごく弱いものが「人間」ていうことにすれば、穴が生まれるよ?
 どんな穴?
「これどうぞ」
「あれどうぞ」
 金の卵を産む鶏ですよ。
 金が発生するのよ。
 全て同じよ。
 ワクチンもそうだしさ。
 美容整形もそうだしさ。
 ダイエットするだの。
 全部そうよ。
 同じよ。

 だけどそれは普遍的な真実じゃない。


 私にとっての真実は何?
 それは、私が、私が見つけ出すもの。


 それが真実。

 人権、私にとっての人権て何?
 私の人権ですよ?
 私が探し出して、私がその効力を失わないように使い続けるもの。

 それが私の基本的人権。


 11月18日水曜日、ドイツの紙に書かれた政府から与えられる「はいプレゼント」の基本的人権は死にました。
(パチパチパチ)


 いいよ。
 11月19日木曜日から、何が生まれたの?
 何が生まれたの?
 私たちが自分たちで使う、行使する、Consciousness(意識)に引き落として考える。
 私の人権て何だろう?
 もう一度考え直す。
 本当の意味での基本的人権の誕生だよ。


 ナマステ。(サンスクリット語で「ありがとう」)


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