「トンデモ」の正体

「あいつはトンデモだ」

「トンデモ論」

「トンデモ医者」

 何を隠そう、私はそう言われることがある。

 「トンデモ」とはどういう意味かと調べてみると、「とんでもない」からの派生語で、「現実や常識から逸脱した趣旨・内容、荒唐無稽な主張などを含むものを指す語」とある。

 英語では「outrageous」に相当するらしく、これは「ひどい」「法外な」「邪悪な」という悪い意味から「(俗)すごい、ほれぼれするような」といういい意味まで含む。「ヤバイ」に近いかもしれない。

 では「とんでもない」とはどういう意味なのか?

① 思いもかけない。意外である。「―・い人にばったり出会う」「―・い発明」

② もってのほかである。「―・い悪さをする」

③ まったくそうではない。滅相もない。相手の言葉を強く否定していう。「―・い、私は無関係だ」

 ①「思いもかけない」の意味で、私の主張が「とんでもない」と言うなら、それはそう言う人の知識が足りないだけである。私の主張は基本的には事実(データと科学論文)と論理から成り立っている。

 ビタミンDについて、マスクや薬剤やがん検診の有害性について「思いもかけない、意外である」という人は勉強不足であるに過ぎない。

 「とんでもない」を文字通りに解釈すれば、「飛んでも無い」つまり「もし仮に飛ぶことがあったとしてもそれはありえ無い」ということであろう。飛ぶことはありえなかった時代には成り立つ比喩だ。

 現代は飛行機はもちろん、パラグライダーやウイングスーツで飛ぶことは十分あり得る時代だ。飛ぶことはあるし、昔とんでもなかったことでも今はとんでもなくないことはザラにあるのだ。

 ビタミンDにしろ腸内細菌と免疫の関係にしろ、自分が知らないことを「とんでもない」と否定する人はただ無知で時代遅れなだけである。

 ②「もってのほか」の意味で私の主張が「とんでもない」と言うのは、それが不都合な人である。ビタミンDが普及して人々が健康になり病が減っては困る、がん検診やクスリを売って人を病にして稼いでる医者その他からすれば、それを否定する主張は「もってのほか」になることは当然である。

 しかし私からすれば、そして健康に生活することを願う多くの人々からすれば、健康につながることを否定し、病を増やすことを「正しい医療」にして医療費を釣り上げる方がよっぽど『とんでもない』ことは言うまでもない。

 「現実や常識から逸脱」?現実や常識がゆがんでいるなら、それを指摘することは「とんでもない」ことだろうか?

 私の主張が全て正しいなんて言ってない。私はこれこれの事実と論理からこのような結論(仮説)が導かれますと言うだけだ。

 本来、反論があるならそれとは異なる事実や論理を提示するべきだろう。ところが「トンデモ」と言ってくる連中はそれはしない。(できない)

 ビタミンDとコロナのPCR陽性・発症・重症化・死亡との逆相関を示す論文はすでにRCT1つを含め20を超える。

 「マスクしろ」と言う誰か一人でも、マスクの有効性を科学的に示したか?

 コロナワクチンを主張する誰か一人でも、有効性と安全性を示したか?

 ビタミンDを無視する誰か一人でも、ビタミンD以上に有効な方法を示したか?

 彼らには一つの事実も論理もなく、彼らにできることは都合の悪いことを主張する私という個人を「トンデモ」と罵るだけである。(しかも匿名で)

 それは単に、私の主張が彼らの商売に都合が悪い、というだけのことである。

 ③「まったくそうではない」の意味で「とんでもない」と言う人は、ただ否定したいだけである。否定したい理由は②と同様であろう。そうでないなら事実と論理を示してごらん。

 結論:「トンデモ」の正体は、無知と利権である。


関係ないけど、『とんでモン・ぺ』の音楽って久石譲が手掛けてたんだな。

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