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信じ合うより確かめ合うこと〜note無断転載の経緯

今日のポイント
①この本の内容は素晴らしい!
②怒りも責めもしない
③信じ合うより確かめ合うこと

①この本の内容は本当に素晴らしい!

 まず言っておきたいが、この本の内容は本当に素晴らしい。

 私の文章が載っているからという手前味噌ではなくて、本全体にこれからを生き抜くために本当に重要な情報が書かれている。
 第2版が出るのか、どう改定されるのか?いしいの文章がどうなるのか?まだ未定だが、それだけに初版は貴重だ。なんと楽天では定価990円に対し3980円とプレミアが付いている。

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 近所の書店に注文したら出版社に在庫無しとのこと。仕方ないので私はAmazonで6冊注文しておいた。(嫌味でもステマでもないよ、言っとくけど)

(追記:成甲書房から連絡があり重版を緊急停止したそうです。ある意味マジで貴重ですよ)

 さて、私のnote記事がこの『知らないほうが……幸せかもしれない コロナワクチンの恐ろしさ』(成甲書房)に無断転載された経緯について、中村先生と出版社からいただいた回答を私なりにまとめるとこうなる。

1 まず本書はタイムリーなトピックであるため緊急で企画・出版された。
2 第1稿は船瀬俊介先生が高橋徳先生・中村篤志先生のパートもまとめた。(注:著者への取材やこれまでの著作物からライターが新たな本をまとめることは一般的である。現在、特に有名人の本はほとんどが実際にはライターが文章を書いている。これは著者にとっても読みやすい文章で読める読者にとっても有益なことだ)
3 しかし第1稿はあまりに船瀬色・陰謀論色が強くなったため中村先生が却下しボツとなった。(ありそ〜)
4 成甲書房代表の田中氏が第2稿をまとめた。
5 田中氏はいしいじんぺいの存在を知らず、またnoteがプラットフォームであることも知らなかった。noteとはナカムラクリニックHP内の名称だと思っていた。(田中氏は60代。関西在住の中村先生がよく「うなじろう」を知ってるな、程度の違和感はあり)
6 p88-p102にいしいのnoteを使用した第2稿ができあがった。
7 中村先生は「これは僕の文章ではない」と指摘した。中村先生は船瀬先生の文章だと思っていた。(「オネェはお姉さんではない」などの言い回しに違和感を持ってはいた)

8 田中氏は指摘は受けたが、急いでいたため校正がぬけてそのまま出版してしまった。

9 出版後、7月27日に読者から田中氏にメールでこれはいしいの文章だと指摘があった。しかし田中氏はそもそもいしいを知らず、noteをナカムラクリニックのHPだと思っていたため取りあわなかった。

10 8月6日、同じ読者が再度成甲書房に電話とメール。メールに添付されたURLを見て田中氏は事実を認識。

11 8月8日、いしいからナカムラクリニック・成甲書房にメール、同時にnote、Facebookに掲載。

12 1時間後、田中氏からいしいにメールで謝罪。電話と自宅来訪しての謝罪を希望されたがいしいが辞退。
13 さらに1時間後、中村先生からメール・お電話で説明をいただく。

14 どうするか協議中(←いまココ!)

 次は、この説明に対するいしいの考えをお話ししよう。

②怒りも責めもしない

 現在いしいは今回の件について、中村先生にも成甲書房にもなんら悪感情を抱いていない。怒ってもいないし、責めるつもりもない。中韓みたいな謝罪要求は好きではない。だから田中氏の来訪はお断りした。ただ経緯が知りたかった。
 そして説明された経緯が本当かどうか、私には検証する術がない。ただ説明されたことは理解した。
 私にできることは、第一に本を読むことであった。

 実際に本を読んでいただければ、p88-102に限らずあちこちにいしいを見つけていただけるのではないかと思う。(もちろんいしい一色では全然ない。『ウォーリーを探せ』ならぬ「いしいを探せ」的な感じで)

 表紙をめくればカバーのそでには私の記事の見出しである
「コロナワクチンを打たない理由 ①メリットがないから②リスクが大きいから③そもそもワクチンではないから」


 とある。続く「あなたの大切な人の…人生の重要な選択」という言い回しも何だかいしい臭い。

 船瀬先生の序章の最後の「大事な人とともに生き抜いてください」は、いしいの講演からかな〜。

 もちろん別に「生き抜く」という言葉は私の専売特許ではないから何の問題もない。

 この事実はむしろ田中氏の説明と合致する。ここまでいしいがあちこちにいては、バレないように流用したということはとても考えにくい。正々堂々使っていい文章だと考えたから使ったのならわかる。

 そしてそれは私にとって大変光栄なことでもある。少なくとも田中氏は私の文章を評価してくださったということだからだ。何倍もスキ❤️が付いている中村先生の文章と並べていいくらいに。

 私は常々、何を言ったかではなく誰が言ったかで物事が判断されるのはおかしいと思ってきた。しかし現実には、子どもでもおかしいとわかるマスクやPCRやワクチンの説明が、どこどこ教授・なんたら大臣・かんたら院長が言ったからと肯定される

 私は医師免許以外に何の肩書も持たない(←モテないだけ?)いや開業すれば院長にはなれる。しかし私は浣腸するのは好きだが院長するのは好きではない。人の上に立つ器でないことは自分がよくわかる。自己管理すらできないのに、人を使ったり管理したりできるわけがないし、したくもない。

 今回、図らずも田中氏がいしいとnoteを知らなかったことによって、文章そのものが評価いただけたことは正直嬉しい。そして本人達はご存知ないかもしれないが、高橋徳先生や船瀬俊介先生の名前がついた文章に自分の考えが影響したと思うと、感激と恐縮すら覚える。

 何を隠そう、私はとてもミーハーである。自分がやりたくてもできないことをしている人、トライアスロンチャンピオンや作家・ミュージシャン等には、文字通りワーキャー言って憧れる。医師にも同様である。私は中村先生・高橋徳先生・船瀬俊介先生(医師ではないけど)の文章や動画から多くを学び、自分にはできない行動に興奮し、前回触れたように考え方に違いはあるものの、基本的にはいちファンであった(今もそうである)。議員会館の会見では挨拶一つで緊張していた。そんな方々の本に、まがいなりにも私の文章が関与できたとは、田中氏の勘違いに感謝である。

 ただそれは私の視点。今回のことは著者お三方からすれば不快極まりないだろうし、田中氏にとっても痛恨の一字だろう。忘れてしまうためにはいしい色は消し去った改訂版を出す方がよいかもしれない。
 経緯を説明する一文を加えていしいの文章を残す手もあるが、おそらく著者の皆様は嫌だろう。本の著者になるには、それなりにちゃんとした人でないといけないと聞いた。普段無精髭でよくチャックを閉め忘れるいしいは、それほどちゃんとしてない。(そもそもいしいにもっと肩書きや知名度があれば、田中氏も間違えなかったかもしれない)

 そんな私の文章を残すかどうか、どちらでも皆様の気分が良いようにしていただいてかまわない。ただ中村先生の文章として出されたままでは、中村先生が疑われるか、逆にいしいが講演などで中村先生の本で読んだ話だと思われかねないから、そこはハッキリしてもらわねば困る。

(追記:いしいの文章も残す方向で検討中とのこと)

 すでに複数の方から私に「本を読んで愕然とした」との声が寄せられており、早く真実を明らかにするために中村先生と成甲書房に連絡すると同時にnoteとFacebookで公開した。決して中村先生を晒したり責めたりするためではない。私は嫌われるかもしれないが、早くつまびらかにした方が傷が浅いと考えたのだ。

③信じ合うよりも確かめ合うこと

 人の言うことを信じて医者はできない。
「飲んでません」「吸ってません」「妊娠してません」
 そんな患者の言葉を信じて肺の手術をしたら痰が多くて人工呼吸器が外せなくなったり、レントゲン写真を撮ったらバッチリ胎児が写っていたりする。
 患者を嘘つきと疑うのでもない。「飲んでない」(=こんなの飲んだうちに入らねぇ)。「吸ってません」(=3時間前から)。「妊娠してません」(=してたら困る)と言う意味かもしれない。それは表現と解釈の問題だ。
 「飲んでない」という人が酒臭いことはよくある。「吸ってない」という人がよく病室を抜け出してどこかへ行っていることもある。「妊娠してません」と言うけど最終月経は言えない人も多い。
 医師なら患者を信じるでも疑うでもなく、ただ確認しなくてはならない。

 ちなみに医者の言うことはもっと信じられない。塩分ひかえなさいもコレステロール下げなさいも検査や手術を受けなさいも患者のためとは限らない。

 そもそも「信じる」とは何か?「人が言う」と書いて『信じる』。(「信じる者」と書いて『儲かる』)
 人の言うことは100%、100%事実ではない。報道が端的にそうであるように、言語化する時点で事実の切り取りや解釈が入り、事実を100%そのまま伝えることは不可能である。

 例えば「私は今、青い服を来ています」と言ったとして、それは事実か?ロゴは白いかもしれない。正確には群青色かもしれない。青いTシャツの上に黒のジャンパーを着ているかもしれない。

 人が何かを言えば、ウソをつこうとしているかどうかに関わらず「事実-解釈-表現のズレ」と「言われなかった事実」が必ず発生する。
 だから人が言ったことでは事実が正確に把握できないことは自明なのだ。人が言ったことではわからないのにわかったつもりになること、それが「信じる」ということである。

 事実がわかっていれば、信じる必要はない。
 神様がいるかどうか、わからないから信じるのだ。
 相手が息子か詐欺師か、わからないから信じるのだ。
 遺伝子注射が健康に良いか悪いか、わからないから信じて打ってしまうのだ。

 例えば女性の腹部レントゲンを撮ったら胎児が写っていたとして「『妊娠の可能性ない』って言ったじゃん!あなたがウソついたんでしょ?」と医者が患者を責めることはできない。
 確認し、少しでも妊娠の可能性があればレントゲンを撮らない、そもそも妊娠可能年齢の女性になるべくX線を浴びせない、といった配慮が必要になる。

 「信じる」ことの否定は「疑う」ことではない。「疑う」ことも実は『「疑い」を信じている』だけに過ぎないことが多い。コロナは怖いんじゃないか、マスクをしないと感染するんじゃないか、疑い続けても何も解決しない。
 
「俺は浮気はしない」
 さだまさしの『関白宣言』では、この言葉を信じろとも疑えとも言わない。


「まちょっと覚悟はしておけ」
 とはどういう意味か?あるかもしれないな、と思って対策しておけ、ということであろう。それによって「俺は浮気はしない」が事実になりやすくなるのだ。
 現実に対策せず、つまらぬ嫉妬でいつも猜疑心に苛まれたり、何かあってから「信じてたのに」「裏切られた!」と相手を責めるばかりでは、いずれも「幸せは2人で育てるもの」にならないのだ。

 信じ合うよりは確かめ合うことだ

 吉田拓郎『人生を語らず』の一節では「わかり合うよりは」である。わからないことをわかったふりをして信じるのではなく、今日わかることを確かめていく。

 話を戻すと、今回の無断転載が意図的だったか、誤解だったか、それは検証のしようがない。
 あらゆる過失・不正について、故意ではない、と言うことは誰にでもできる。しかし故意であったとも故意でなかったとも証明することは誰にもできないたとえ私自身が中村先生と田中氏の説明を全面的に信じる、と言ったとしても、いやいやおかしいでしょ、と言う人はいるだろう。

 ただ、事実はその人の前後の行動に滲み出る

 私は本の内容と私の知りうる限りの中村先生のこれまでのご活動、私の文章を使うメリットの小ささとリスクの大きさから考えれば、中村先生が意図的に使った前回の①の可能性は無いと考える。中村先生からお電話をいただいたことで、私の中村先生へのファン度は一層高まったと言えるから、②ならやはり失敗だ。

 ③はまだわからない。これは中村先生や成甲書房の今後のご活動を注視していくしかない。

 ぜひこのコロナ戦争に打ち勝ち、読者とともに生き抜くことで真実を皆にわからせてくださることを願う。

 そして皆様には何卒この不肖いしいのことも、もしお見かけの際には今後とも信じることなく確かめていただきたい。
 


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