見出し画像

究明する会ニュース208号 要約

人骨発見32周年集会「登戸研究所と731部隊―帝銀事件捜査からの検証―」
                           山田朗講演録
 今日は最初に731部隊と登戸研究所を簡単に説明し、1948年に起こった帝銀事件の捜査の中でそれらの部隊の実態が明らかにされた経過についてお話しする。
・日本軍の生物戦と731部隊
 1932年に陸軍軍医学校防疫研究室が設置され、背蔭河に関東軍防疫班、36年に関東軍防疫部が設置、平房に引っ越す。40年に防疫給水部設置、支部も置かれた。生物兵器の使用例は、41年の常徳作戦、42年の浙韓作戦などで大規模にペスト菌が撒かれた。
・日本軍の謀略戦と登戸研究所
 登戸研究所というのは陸軍技術研究所の第9陸軍技術研究所のこと。10ある研究所の中で第6が毒ガス研究、第9は秘密戦兵器を扱っていた。
・登戸研究所の組織編制
 第1科は、電波兵器、特殊無線機、そして「ふ号兵器」という風船爆弾の開発を行っていた。
 第2科は謀略、暗殺などスパイ兵器・憲兵資材の開発をしていた。青酸ニトリルの開発で陸軍大臣から陸軍技術有効章を授与。
第3科は偽札や偽パスポートなどを製造していた。

石井四郎の欧州視察と宮本信子(その2)
                    川村一之
・百合子の母の影
 岩崎明日香の調査では、『道標』に出てくる「医学博士・津山進治郎」のモデルは石井四郎であり、ベルリンでの「伸子」(中条百合子)らとの接触には、「多計代」(百合子の母・中條葭江)が関わっていたようだ。
・ベルリン未決監獄
 「津山」は「伸子」と「素子」(湯浅芳子)をセント・クララ病院とベルリン未決監獄を案内した。未決監獄のレントゲン診療室には、囚人が自殺を図るなどの目的で飲み込んだ異物の標本があった。
・「津山」の印象
 そのほか、「津山」はベルリンの下水道も案内している。「伸子」の「津山」に対する印象は、「日本のファシスト、ドイツで孵(かえ)る」というもの。石井四郎の訪欧の目的について、『道標』の中では細菌戦に関しては語られず、ドイツの再軍備に関心を持っていることが記されている。
・「細菌戦」
 東京第一衛戍病院で石井四郎と同僚で、初代の防疫研究室主幹であった梶塚隆二は、ハバロフスク裁判の尋問調書で、石井がソ連の細菌戦準備に関心を寄せていたことを供述している。
・石井の協力者
 梶塚は、ハバロフスク裁判で「石井は海外出張から帰国後…細菌戦を準備することの必要性を説き始め、…陸軍省軍務局長永田少将、参謀本部作戦局第一部長鈴木率道大佐が、それぞれ石井の意見に同意するように」なった。そして自分も医務局部長として石井を731部隊長に任命する旨の命令案に賛成し捺印したと供述した。
 石井の腹心で、彼と京都帝大で研究仲間だった増田知貞も軍医学校教官として「第一次大戦で細菌が兵器として使用された」とまことしやかに語り、自らの細菌戦部隊を正当化している。
・ジュネーブ議定書
 石井四郎が「細菌戦」に関心を抱いたのは、1925年のいわゆる「毒ガス等使用禁止に関するジュネーブ議定書」で「細菌学的手段の戦争における使用の禁止」が盛り込まれたことにある。
 遠藤三郎は『日中十五年戦争と私』(日中書林、1974.11)の中で石井のことについて触れている。
・『道標』の「石井四郎」考
 石井四郎は「満州事変」後の1932年、陸軍軍医学校に防疫研究室という細菌戦研究の拠点を発足させた。この時研究者は7名である。1936年にハルビンに創設した関東軍防疫部の人員は50名ある。1940年に関東軍防疫給水部(満洲第731部隊)となり、敗戦時には軍人、軍属合わせて3500人の部隊に膨れ上がった。
ナチスが台頭している時期に宮本百合子は石井と接触している。石井はベルリン医師の会「木曜会」の幹事であった。単なる旅行社ではなく、ドイツを拠点に欧州各国を調査していたことを伺わせる。
『道標』で「津山進治郎が現にドイツでおこっているそういうおそろしいことには全く無頓着で、ドイツ再軍備のぬけめなさとしてばかり賞賛するのを、伸子は言葉に出して反撥するより一層の注意深い感情をもってきいた」と表現したのは石井が百合子に近い将来不安を与える存在だったからではないか。
                       (2021年5月30日記)

備忘録(2021年の活動)
12月8日 早稲田大学特別講義 教育学部社会科教育法(小川輝光講師)
    特別講師 川村一之
12月11日 戸山フィールドワーク 知っていますか?「731部隊」府中実行委員会主催
     案内 鳥居靖


予定(2022年3月までの活動)
2月14日 書籍出版「731部隊全史 石井機関と軍学官産共同体」
     著者 常石敬一 高文研 3850円
3月下旬 厚労省交渉
3月27日 お花見ウォーク
    12時50分集合 13時出発
    JR大久保駅北口改札口集合
    資料代 500円(要予約)
    主催 軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会
    連絡先 080-6602-1913(鳥居) jinkotsu731@yahoo.co.jp

 今日は最初に731部隊と登戸研究所を簡単に説明し、1948年に起こった帝銀事件の捜査の中でそれらの部隊の実態が明らかにされた経過についてお話しする。
・日本軍の生物戦と731部隊
 1932年に陸軍軍医学校防疫研究室が設置され、背蔭河に関東軍防疫班、36年に関東軍防疫部が設置、平房に引っ越す。40年に防疫給水部設置、支部も置かれた。生物兵器の使用例は、41年の常徳作戦、42年の浙韓作戦などで大規模にペスト菌が撒かれた。
・日本軍の謀略戦と登戸研究所
 登戸研究所というのは陸軍技術研究所の第9陸軍技術研究所のこと。10ある研究所の中で第6が毒ガス研究、第9は秘密戦兵器を扱っていた。
・登戸研究所の組織編制
 第1科は、電波兵器、特殊無線機、そして「ふ号兵器」という風船爆弾の開発を行っていた。
 第2科は謀略、暗殺などスパイ兵器・憲兵資材の開発をしていた。青酸ニトリルの開発で陸軍大臣から陸軍技術有効章を授与。
第3科は偽札や偽パスポートなどを製造していた。

石井四郎の欧州視察と宮本信子(その2)
川村一之
・百合子の母の影
  岩崎明日香の調査では、『道標』に出てくる「医学博士・津山進治郎」のモデルは石井四郎であり、ベルリンでの「伸子」(中条百合子)らとの接触には、「多計代」(百合子の母・中條葭江)が関わっていたようだ。
・ベルリン未決監獄
 「津山」は「伸子」と「素子」(湯浅芳子)をセント・クララ病院とベルリン未決監獄を案内した。未決監獄のレントゲン診療室には、囚人が自殺を図るなどの目的で飲み込んだ異物の標本があった。
・「津山」の印象
 そのほか、「津山」はベルリンの下水道も案内している。「伸子」の「津山」に対する印象は、「日本のファシスト、ドイツで孵(かえ)る」というもの。石井四郎の訪欧の目的について、『道標』の中では細菌戦に関しては語られず、ドイツの再軍備に関心を持っていることが記されている。
・「細菌戦」
 東京第一衛戍病院で石井四郎と同僚で、初代の防疫研究室主幹であった梶塚隆二は、ハバロフスク裁判の尋問調書で、石井がソ連の細菌戦準備に関心を寄せていたことを供述している。
・石井の協力者
 梶塚は、ハバロフスク裁判で「石井は海外出張から帰国後…細菌戦を準備することの必要性を説き始め、…陸軍省軍務局長永田少将、参謀本部作戦局第一部長鈴木率道大佐が、それぞれ石井の意見に同意するように」なった。そして自分も医務局部長として石井を731部隊長に任命する旨の命令案に賛成し捺印したと供述した。
 石井の腹心で、彼と京都帝大で研究仲間だった増田知貞も軍医学校教官として「第一次大戦で細菌が兵器として使用された」とまことしやかに語り、自らの細菌戦部隊を正当化している。
・ジュネーブ議定書
 石井四郎が「細菌戦」に関心を抱いたのは、1925年のいわゆる「毒ガス等使用禁止に関するジュネーブ議定書」で「細菌学的手段の戦争における使用の禁止」が盛り込まれたことにある。
 遠藤三郎は『日中十五年戦争と私』(日中書林、1974.11)の中で石井のことについて触れている。
・『道標』の「石井四郎」考
 石井四郎は「満州事変」後の1932年、陸軍軍医学校に防疫研究室という細菌戦研究の拠点を発足させた。この時研究者は7名である。1936年にハルビンに創設した関東軍防疫部の人員は50名ある。1940年に関東軍防疫給水部(満洲第731部隊)となり、敗戦時には軍人、軍属合わせて3500人の部隊に膨れ上がった。
ナチスが台頭している時期に宮本百合子は石井と接触している。石井はベルリン医師の会「木曜会」の幹事であった。単なる旅行社ではなく、ドイツを拠点に欧州各国を調査していたことを伺わせる。
『道標』で「津山進治郎が現にドイツでおこっているそういうおそろしいことには全く無頓着で、ドイツ再軍備のぬけめなさとしてばかり賞賛するのを、伸子は言葉に出して反撥するより一層の注意深い感情をもってきいた」と表現したのは石井が百合子に近い将来不安を与える存在だったからではないか。
(2021年5月30日記)
備忘録(2021年の活動)
12月8日 早稲田大学特別講義 教育学部社会科教育法(小川輝光講師)
特別講師 川村一之
12月11日 戸山フィールドワーク 知っていますか?「731部隊」府中実行委員会主催
     案内 鳥居靖
予定(2022年3月までの活動)
2月14日 書籍出版「731部隊全史 石井機関と軍学官産共同体」
     著者 常石敬一 高文研 3850円
3月下旬 厚労省交渉
3月27日 お花見ウォーク
    12時50分集合 13時出発
    JR大久保駅北口改札口集合
    資料代 500円(要予約)
    主催 軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会
    連絡先 080-6602-1913(鳥居) jinkotsu731@yahoo.co.jp

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?