究明する会ニュース209号要約


厚労省交渉要請文

<厚労省が「人骨」保管施設を修復 ―身元確認作業は依然停滞―> 川村一之
 納骨から20年、2022年3月25日、厚労省厚生科学科との話し合いを、同省の共用会議室で行った。参加者は、厚生科学課から有本博文課長補佐、当会からは鳥居、奈須、平野、川村の4名。
昨年指摘した説明パネル文字の剥離と扉の腐食については、修繕が行われた。修繕後、パネルの文字の誤りがあったが、後に再修繕された。
 また、東日本大震災における身元不明者へのミトコンドリアDNA鑑定、沖縄戦没者へのDNA鑑定などが実施された事を指摘した。今後の調査の参考にしてもらいたい。
<人骨発見32周年集会「登戸研究所と731部隊―帝銀事件からの検証―」その2> 山田朗さん講演録
・帝銀事件の焦点
 1948年に起きた事件で捜査記録が残っている。殺人事件なので捜査1課が中心に捜査したが、秘密裏に戦犯を扱う捜査2課が協力、軍との関係を捜査していた。その班長は成智英雄。実は捜査1課でも軍関係者を捜査していて、係長甲斐文助が全9巻2289頁の記録を残している。そこで、731部隊や登戸研究所、中野学校などにも捜査が及んでいた。
・成智英雄の回想
 帝銀事件が起こる前に類似の未遂事件があり、その際に使われた「松井蔚」の名刺が注目された。松井蔚は、南方軍防疫給水部に在籍し、現地の人に人体実験をしていたのではないかと疑われていた。結局松井にはアリバイがあり捜査対象から外れるが、警視庁は軍の実態を掴むことになる。
 そして、青酸化合物や青酸ガスを使った化学戦関係者がクローズアップされる。731部隊関係者にも焦点が当たり、石井四郎は捜査に協力、9回に渡って証言する。
・石井四郎からの聴取
 石井は、自分の部下に犯人がいると仄めかしたり、愚痴を言ったり、登戸研究所を腐したり、捜査陣は翻弄される。
・秘密戦関係部隊の浮上
 9研(登戸研究所)、中野学校、特務機関、新京特設憲兵隊(86部隊)など、個人謀略活動をしていた秘密戦部隊がだんだん浮上してくる。毒物は遅効性の青酸化合物。元9研の伴繁雄は、青酸カリとは思えない、と証言している。伴は、遅効性の青酸ニトリールの開発に当たって、南京1644部隊で人体実験をしている。
(以下、次号に続く)
<戸山「人骨」と陸軍軍医学校> 川村一之
 2021年12月8日に行った早稲田大学教育学部の社会科教育法(小川輝光講師)における、「人骨」問題に関する特別講義は3回目になる。学生から多くの質問を受けた。
質問1 山形、新潟、山梨など、一つの問題からエネルギッシュに調査活動をしていることに衝撃。
川村のコメント 資料は一斉に焼却処分されている。陸軍軍医学校の疎開先まで調べた。
質問2 銃創などの骨の写真を見て残酷な感じがした。厚労省が真相究明を妨害したことに疑問。また、感染研の当地への移転の際に反対運動があったが、反対した住民の話も聞きたい。
川村コメント 「人骨」発見当時、人為的な加工に気付いたはずで、確かに厚生省は調査をしようとせず事実を隠ぺいした。「国立予防衛生研究所」の移転に関しては、日照権問題から始まり、危険な施設の移転に反対するようになった。運動は3分割し、裁判闘争に持ち込んだグループと、予研側と安全協定を結ぶグループに分かれ、住民同士が反目するようになった。
質問3 戦争体験世代の平和へのこだわりを感じた。記憶をどのように伝えたらよいか?
川村コメント 私は戦後世代。親が戦争世代なので身近に感じることができた。「人骨」が発見された当時はまだ当事者がいた。私は元軍医の人たちを訪ね歩いた。聴き取った内容に対して検証は必要。
質問4 人骨問題から陸軍軍医学校、731部隊と、ち密な調査や中国まで足を運ぶ研究方法に学びたい。
川村コメント 私の調査のコンセプトは、一つの現象を多角的に観察し、現象の実態を掴み、その本質を掴むようにしている。これは物理学者の武谷三男さんから学んだ3段論法の手法。現象論的段階→実体論的段階→本質論的段階。731部隊の細菌戦は実体。その本質は軍陣医学。「医学に国境はないが、軍陣医学に国境がある」
質問5 中山競馬場も血清の作製として関係していた。母は西千葉にいたが、そこにも軍事関連施設があった。今はその名残もない。
川村コメント 千葉には風船爆弾を放球した陸軍気球聯隊や鉄道第一聯隊などもあった。鉄道聯隊は旧満州で垃濱線を敷設し、731部隊の満洲進出に関わった。地域の歴史を調べると、思わぬ出来事に触れることができる。
質問6 競馬に関する調査は知らないことが多く、新たな論点が見つかった。卒論で検討したい。1944年、関谷競馬場に防疫研究室が、中山競馬場に防疫部が設置された。一方で戦争末期においても鍛錬競馬はあった。接収された競馬場とされなかった競馬場の違いは何だったのか。
川村コメント 競馬はもともと軍馬養成のために始まった。『日本馬政史』『日本中央競馬会』などが参考になる。
質問7 私の母校は新大久保にあるもともと海軍学校だった。
川村コメント 新宿は市ヶ谷から中野区に至るまで軍の用地だけで歩けるところだった。
質問8 歴史事実の調査活動は、一般的には歴史の大きな枠組みの中に位置付けることにあるが、川村さんのように「人骨をご遺族に届けたい」という生身の人間的な課題をもって歴史事実と向き合う姿勢に触れ、両者をどう結びつけるか、という課題を見つけた。
コメント省略
質問9 資料調査ばかりで現地調査をしたことはなかった。
川村コメント 文献だけではわからないこともある。背蔭河での現地調査で、その事を痛感した。
<人骨発見33周年(佐倉鑑定公表30年・厚生労働省納骨20年)集会 「スペイン風邪」と陸軍軍医学校」>
日時 7月17日(日)開場13時45分 開始14時
講演 川村一之(人骨の会代表)
資料代 500円
会場 戸山サンライズ大研修室
要予約
連絡先 080-6602-2913(鳥居) メールアドレス jinkotsu731@yahoo.co.jp
共催 731ネットワーク zoom配信有り 申し込みは nobu.goi@gmail.com
<備忘録>
お花見ウォーク 3月27日実施 参加者27名
献本 「社会文学第55号」
他団体のイベント 731ネットワーク
 5月19日(木)19時~ 
  オンライン講演会「生体実験命令を拒否した医学者・横山正松」演者;末永恵子
申込先 nobu.goi@gmail.com(五井)
 


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