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究明する会ニュース217号要約

<人骨発見34周年「731部隊の4つの細菌戦」開催 ~故・常石敬一さんを追悼> 鳥居靖
7月16日(日)、戸山サンライズに於て開催。参加者は40名。今年4月に亡くなった常石敬一さんのお連れ合いである美代子さんが出席され、冒頭は常石さんの追悼式。その後川村代表から会の活動の報告があり、奈須さんから標記のテーマで講演があった。講演内容については、次号で報告。
<アンケート結果報告> 内容省略
<七三一部隊の発足時の職員表 - 222人の部隊員の記録 明治学院大の松野研究員が「編成詳報」を発見> 川村一之
 関東軍防疫部が防疫給水部に名称変更した1940年の「編成詳報」が、国立公文書館から発見された。発見したのは明治学院大学国際平和研究所の誠也研究員。
 文書には附表として、「関東軍防疫給水将校高等文官職員一覧」(97名)と「関東軍防疫給水部判任文官同待遇者職員表」(125名)の名前が記載されていた。731部隊では軍医や医学者の存在がクローズアップされがちだが、様々な存在があったことが分かる。
 韓国でも関心が高く、MBCテレビからの取材も受けた。
<常石さん追悼>
譚天氏、川口重雄氏、王淑敏氏ら(内容省略)
常石さんの最後の講演会、長崎総合科学大学長崎平和文化研究所主催の「都市の記憶ⅩⅣ」でのWeb講演会「731部隊? なぜ今?」の講演記録の一部紹介
<川村一之代表、早稲田大学で講義>
6月23日、恒例の小川輝光講師の授業での講義。今回は事前に現地フィールドワークを行ったうえで臨んだ。学生とのやり取りに関しては、内容省略
<新刊書籍紹介>
「暗闇の後で」クリスティン・パイパー著、北条正司訳
<「スペイン風邪」と陸軍軍医学校(五)~シベリア出兵と流行~> 川村一之
・インノケンチェフカ村
 松尾の日記には、日本軍によるロシアの住民への加害事実も言及している。1919年2月11日、デシネフカ村の戦闘で大きな被害を受けたことに対する弔い合戦で、ザビタヤから行軍。途中のインノケンチェフ村で虐殺行為を行う。
・ペスチャンカ兵舎
 高橋治の『シベリア出兵 派兵 第1部』(朝日新聞社、1973)に紹介されている証言によると、「北満洲」からチタに向かった第三師団でも多くの風邪の患者を出し、10%以上の死者を出した。ペスチャンカ兵舎の裏に日本人墓地をつくった。
・スパッスカヤ兵舎
 『西伯利出兵衛生史』の記述によると、スパッスカヤ駐屯の第十師団第八陸上輸卒隊に感染者が発生。患者総数1102名で人員の5分の1に及び、陸軍軍医学校一等軍医の鷹津三郎教官が派遣され、15例に及ぶ病理解剖を行い、インフルエンザと結論付けた。
・クラスノヤルスク第五陸軍病院
 新宿区の国立国際医療研究センターには旧東京第一陸軍病院の「スペインインフルエンザ」流行時期の診療録が保管されていた。国際医療センター区長の川名明彦は、ロシアのザバイカル州クラスノヤルスク第五陸軍病院の死亡症例の検証を行っている。
 スパッスカヤの病理解剖事例とクラスノヤルスクの症例と、新型コロナで死亡した著名人の症状を比較すると、肺炎を併発して短期で死亡に至るという共通点がある。
(了)

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