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究明する会ニュース218号要約

<「731部隊の4つの細菌戦」講演録1> 奈須重雄・根岸恵子

講演者 731部隊・細菌戦資料センター共同代表・奈須 重雄さん

1940年に農安と農安大賚、浙江省の衢州、寧波。41年の湖南省の常徳、42年の浙江省、江西省で行われた浙贛作戦細菌戦の6つの作戦を、4つに分けて話す。

 細菌戦の研究について金子順一が『PXノ効果略算法』という論文を、1943年の12月に提出している。論文中の「PXノ効果概見表」で何月何日にどこでどのくらいのノミを散布したのかがわかる。PXというのはケオピスネズミノミのこと。

・農安と農安大賚

 農安は新京の北にあって物資の集散地であり、ペストの常在地でもある。農安の細菌戦は、大塚文郎の業務日誌に記されている(吉見義明・伊香俊哉・論文「日本軍の細菌戦」『戦争責任研究』2号・1993.12)。この時、731部隊は初めて大規模な防疫の実践を行う。感染は新京にも及び、多くの衛生機関、医療機関を統括した。

 感染経路の調査、患者の病理解剖が行われ、菌株の同定は高橋正彦が行い、『陸軍軍医学校防疫研究報告 第2巻第537号 第4編 流行ニ於テ分離セルペスト菌ニ就テ』に於いて、各ペスト流行地の菌株について性状を分析し、同一性状という結果を記している。彼は細菌戦の成功を確認する必要があった。

・新京への伝播

 1940年9月に農安のペストが新京に伝播。関東軍防疫給水部に出勤命令が出て、10月に新京に乗り込み、関東軍臨時ペスト防疫本部がつくられる。本部長は石井四郎。総勢729人。多くの日本人を含む28名が感染、26名が亡くなる。

731部隊の活動は、何万匹のネズミを捕獲、そこからノミを収集してペスト菌の保有を調べ、地図をつくって分布を明らかにした。

・衢州(衢県)

 上海から内陸に日本軍が占領していき、第三戦区という中国の部隊があって、ここで日本軍の南下・西進を阻止していた。衢州はその中の重要拠点で、浙贛鉄道を通して重慶へ物資を運んだ。そこに航空機からペストノミを散布した。

 衢州細菌戦の問題は、他市への伝播。衢州から義烏、義烏から農村に伝播した。

・寧波

 寧波も重要な援蔣ルートの貿易港。市街地にペストノミを飛行機で散布。井本日誌という業務日誌に記述がある。

 開明街と東大路の斜線の部分が患者が発生したお店。寧波の問題は2次流行。1次流行が1940年11月。翌年4月に日本が占領するが、5月、11月にも流行が起こる。 

・常徳

 井本日誌に記録が残る。常徳は洞庭湖の南にあり、米の大生産地。41年11月に飛行機で散布。常徳から周辺農村にも伝播した。細菌戦の後、12月には常徳殲滅作戦が実施される。

以下、次号へ続く

<新聞記事>

2023年4月29日(土) 図書新聞

2923年4月7日(金) 週刊読書新聞

2023年7月24日(月) 朝日新聞

 川村代表が執筆した『731部隊1931-1940 「細菌戦」への道程』が紹介される。

<通信> 常石美代子

 内容略

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