妹と東京2020

古くからの友人は大体知っているが、わたしの妹は元アスリートだ。
その界隈ではそこそこに有名で、代表クラスにカテゴライズされる選手だった。

スポーツ選手としての人生は短い。その競技がメジャーかメジャーじゃないとか関係なしに、安泰という文字はない。基本は自分の身体が資本だから、怪我などには殊更気をつけるし、シーズン中は口にするもの全てに制限がある。
またオフだからといっても、代表クラスであれば、急に呼び出されることも多くはない。
妹は何度、旅行を断り、大好きな先輩や友達の結婚式をキャンセルしたことだろう。
毎回選ばれるとは限らないのに、それでも彼女は日の丸が付いた特別な練習着を身につけ、自分の身ひとつで勝負しに行く。

私と両親には夢があった。
東京オリンピックに日本代表として出場する妹の勇姿をこの目でみること。
日の丸を背負い闘う妹を東京の地で応援すること。
そして運良くチケットは当たり、あとは妹が代表に選ばれるのみ。それは簡単なことではないし、どうなるか分からないけど、私と両親は選ばれることを信じてた。妹の選手人生最後で最高のステージが用意されることを待っていた。

2019年のシーズンが始まるとき、妹から今シーズン限りで引退することを告げられた。
『8月のオリンピックに出られるか分からないけど、それまで選手としてやれることを精一杯やる』
まだ出来ると私は思った。もっともっと、走れると思ったが、彼女の決意は固かった。
そしたら、私達家族が出来ることは、彼女の気持ちを尊重し、引退のことは終わるまで漏らさず、見守ることであった。

両親は行ける限りの試合は観に行っていた。不精な父親が何も言わず、母について行った。
私も仕事の合間を縫って応援に駆けつけた。
3人でこうして肩を並べて観ることもないんだなと、ふと思って鼻の奥がツーンとしたりした。

妹自身は、多分、最初はオリンピックとかどうでも良かったと思う。2020年の開催地が東京に決まったときにはアスリートであった彼女は興味がなさそうだった。
でも2020年へと動き出し、地元や周囲が盛り上がり始めたとき、彼女はようやく口に出した『東京オリンピックを目指す』と。
それは、彼女自身のためというより、私たち家族や周囲の人たちの期待に応えようと決意したように感じた。

2019年が終わり、2020年へとカレンダーをめくる頃、雲行きが怪しくなってきた。
遠い国だけでの流行病だと思っていたのに、振り返ったら、後ろにいた。

妹のシーズンが終わった。気付いたら、あれが最後の試合になっていた。
私は、妹の勇姿を目に焼きつけたのか。
両親は、最後まで応援出来たのか。
でも、オリンピックがまだある。それが本当の最後の試合になる。それまではまだ…。
そう願ってた。

東京2020は+1になった。
1年後の7月に延期が決まった。

今もこんな状況なのに、あんな混乱な最中で開催することが難しいのは分かってた。
簡単に中止にしろと言う人もいたが、知ってるのだろうか。
これまでの選手たちの道のりを。払ってきた犠牲を。
あと1年頑張ればいいよ!というが、その1年がどんなに難しいのかを、私は知っていたのか。

妹の決断は早かった。
引退を発表し、次のステージへと駒を進めた。
私は正直に、あと1年続けて欲しいと訴えた。オリンピックを引退の場にして欲しいと思った。国立競技場で、日の丸を背負って立つ彼女の勇姿を観たかった。みんなに『この子が私の妹だよ!』と自慢したかった。
最高の舞台で華々しく引退して欲しかった。それが私のエゴであることはわかってた。でも、言わずにはいれなかった。

1年はアスリートにとって、果て無く長い。その日のために、身体も心のコンディションも整えなければだし、モチベーションの維持は難しい。
延期が決まった直後に、ポジティブな発言をしたアスリート達を非難はしないが、本当は多くのアスリート達が不安で苦しかったと思う。悩んでいたと思う。
徐々に増えていく引退の話に、心が痛む。

新しいステージへ駒を進めた妹は、慣れないことに苦戦しながらも楽しそうに毎日を過ごしている。
常にアスリートであることを律していた彼女は今、普通の働く女子だ。

あんなに切り換えるのが下手くそだったのにな。負けた試合のあとは、悔しくて泣いていた時もあったのにね。
苦しそうな笑顔もみせてた。それでもその競技が好きで好きで悩んで苦しんで、社会におけるアスリートの役割を、日の丸を背負って戦うことに誇りを持っていた。
私はそんな妹が誇らしく、彼女に負けたくないって思っていた。
フィールドは違えど、ライバルなんだ。

2020+1になった東京オリンピックがどうなるかはまだ不透明だ。
ここまできたらやって欲しいとも思うし、いっそのことなくなってみんな傷付けばいい、なんて酷い気持ちもちょっとある。
けど、このオリンピックのために人生をかけてきたアスリート達と支えてきた人たちを知っているから。スポーツで力を貰えることを知っているから。その未来を信じたい。

covid-19によって奪われた未来、変わった日常。あるはずだった当たり前。
色んなことがありすぎて、時折、ここはどこのパラレルワールドなんだろ?と思うこともある。
マスクをすることが当たり前。
シールド越しのレジ。
距離をあけた列。
開村されてない選手村。
引退した妹。
始まっていない東京オリンピックは、今起こっている現実。
それでも今、小さな楽しみを見つけて過ごし、毎日を生きていてる。
選手ではなくなった妹は、これまでとは違う毎日が楽しそうで、それは喜ばしいことだ。
自分の人生を決めるのは自分自身で、彼女が出した結論を、血を分けた私でもどうにか出来るわけではないし、やれることはお疲れさま会をしてあげることだろう。
とはいっても、まだまだ直接会えそうになく、だけど、家族のグループトークから通知音が鳴り、互いが元気であることがわかる。
この時代で良かったな、と思う瞬間だ。

妹はお世話になった人たちに恩返しをするんだと言って、先ず始めに家族である私たちへプレゼントを贈った。それは少しくすぐったくて嬉しい。
来年の今頃は、4人で笑って東京2020+1を観れてたらいいな。

ねぇ、久しぶりの家族旅行はどこへ行こうか。



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