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無条件の愛とは何か?

まずこの記事を書こうと思ったきっかけは、無条件の愛は母親の子供に対する愛だという説明をどこかで読んで、「おう、私は違う意見だな」と思ったからです。

スピリチュル&ヒーリング系のセミナーや講座では、無条件の愛、無償の愛という言葉によく出くわします。愛を学ぶのが、最大のテーマとして根底にあるからです。

具体的には、見返りなく無条件で与えるのです。

はい、そうですかと素直に聞いても良いのですが(笑)、まず私は「愛とは与えるものだ」という前提条件に同意していません。上記の説明をした人は、ただ純粋に与える行為が無条件の愛だと思っていらっしゃるのでしょう。

しかし私は、愛とは受け取るものだという立場です。

他に同じ立場の人にはまだ出会った事ありません(笑)。気にせず説明しますと、愛という漢字から見て取れますように、心で受け取る、心を受け取る、それが漢字圏の愛です

さて、愛とは受け取るものだとして、具体的にどんな場面で発揮されるでしょうか。

典型的には「施し」です。施しをする側が愛じゃないですよ。施しをうける側が愛なのです。愛をもって施しを受ける。施しを受けることで、施された人も施しをした人もお互い愛がわいてくるのです。

諸国を行脚する僧は、人々からお布施を受け取ります。そのお布施で旅をし、生活を営みます。お遍路するときは、お金は一切持たないのです。人の情けにすがらないと生きていけない私になることで、自身は心からの感謝で受け取り、他者には情けをかける気持ちや行動を学んでもらうのが仏の道です。

西洋のloveも、どうやら受け取る行為らしいということが、聖書の「貧しき者は幸いである。天国は彼らのものである」というメッセージから見て取れます。人の情けを学ぶ機会が多いから、幸いなのです。愛を学ぶ機会が多いから、天国の道が開かれます。

さて、貧しき者に天国が開かれるということは、裏を返せば、富んでいる者には天国は開かれていないかもね、というメッセージでもあります。与えることが愛だというのは、「富んでいる者にも天国の門が開かれているのだ!」という資本主義・経済至上主義の現代社会らしい考え方が入っているのです。

無条件で何かを与え続けられることができる典型的な存在を思い浮かべてください。それは誰ですか?お金持ちです。

昔は貧しい者が多かったから、その人達には「貧しいけど、愛はある」と宗教は救いの道を示しました。しかし現代の先進国では物質的に豊かな人達の方が多いですから、「豊かな者に、救いがある!」という道を示す必要があったのです。が、伝統的な宗教はそのような考えではありませんから、ネオ宗教やスピリチュアル思想が、豊かな人達への救いの道を示したわけです。

「無条件の愛は母親の子供に対する愛」。もし愛が受け取ることなら、これは逆です。

「無条件の愛は幼子の親に対する愛」です。だって、幼子は受け取ることしかできません。親のされるがまま、与えられるがまま、です。

そして年を取るごとに愛を段々忘れていきます(笑)他人の施しなんて要らない!思い通りになんかなってやるもんか!ってね。

だから思い出す必要があるわけですねぇ。

以上、頭の体操でした。

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