20240424

 諸事情により朝の時間に余裕ができたため、ペーパードリップでコーヒーを淹れることにした。これまでは、朝は時間がなかったので、コーヒーを飲むときはドリップパックを用いていた。ドリップパックのコーヒーに不満があったわけではない。むしろ「手軽に淹れられるのにインスタントコーヒーよりコーヒーっぽくてすげー」と思っていた。ただ以前からうっすらとハンドドリップに対する憧れがあった。なら、なぜ今の今まで実行に移さなかったのか? 端的に言えば「時間がなかった」ということになる。なら、朝少しだけ早く起きてドリップする時間を作ればよかったのでは? いや、そのときは「それする時間があったら一分でも長く眠りたい」と思っていたのである。つまり「諸事情により朝の時間に余裕ができたため」という理由に尽きる。

 本当に急に思い立ったので道具がない。
 ドリッパーとペーパーフィルターはあった。食器棚の隅で埃をかぶっていた。昔、何かの間違いでコーヒーを「粉」で購入してしまった際、飲まないわけにはいかないからと応急処置的に購入し、そのときの粉を飲みきって以降は放置されていたものである。プラスチックの安いやつである。こちとら初心者であるし、いきなり玄人っぽい道具を買っても使いこなせないであろうからとりあえずスタンダードっぽいものでよかろう、と、こちらを引き続き使用することにした。この先ペーパードリップを続けていったとき、もっとこだわった道具が欲しくなったら買えばよい。
 豆はコーヒーチェーン店の一番スタンダードっぽいブレンド豆を買った。豆にもこだわりは特にない。
 豆で買うとなればミルを買わねばならない。電動ミルって電動ってことは電池とか充電とかいるんだよなとめんどくさく思い、そのへんの量販店でハンドミルを購入した。どれがいいとかわからないのでその店にあった一番安いものにした。

 正直言って、コーヒーが好きかどうかわからない。
 嫌いではないが、好きか?と訊かれると、好きかどうかはわからない。普通。あるとちょっと嬉しいがなくてもまあ生きていける。量もそんなにたくさん飲めない。一日に一杯か二杯でいい。三杯四杯飲んで飲めないことはないが、そこまで飲むと胃の調子がおかしくなる。朝食時に一杯と、おやつの時間にケーキやチョコレートを食べるとしたらお供に一杯、くらいのものである。
 味にもこだわりはない。細かい違いはわからない。ブラジルとかコロンビアとか産地で言われてもわからん。
 昼~夜はコーヒー以外のもの、日本茶や麦茶を飲んでおり、どれもおいしく飲んでいる。日本茶とコーヒーどっちが好き?となると、いやどっちが特にとかはなくて同じくらい……となる。要するに何も考えていないわけだ。だが今回「コーヒーをペーパードリップで淹れよう」という、私にしては能動的なアクションに出た。今後、私なりのこだわりが生まれてくるのだろうか?

 パッケージの記載通りにペーパーフィルターを折ってドリッパーにセットし、豆をハンドミルに入れてごりごり挽く。ごりごり。楽しいー! とんかつ屋でとんかつ定食を頼んだときミニすり鉢に胡麻が入ったのを出されて食べる直前にミニすりこぎでごりごりやるのが楽しいが如く楽しい。固いものを固いものですり潰すというのはなぜこんなに楽しいのか。どんぐりを石と石ですり潰して食べていた原始の記憶がよみがえるのだろうか。
 こうして豆も挽いた。さて、
 ドリップポットがない。
 実はあえて用意しなかった。「湯を注ぐ」ただそれだけのためにわざわざ専用の道具を用意する必要があるか? 湯を注ぐだけならなんとでもなろう。というわけで、小鍋で沸騰させた湯を小鍋からそのまま直接ドリッパーに どば! とぶちこんで、その瞬間に「あっなんか違うな」と思った。
 なんか……違う……
 なんというか、「ハンドドリップ」に求めていたものと違う。鍋から直接湯をぶちこむならドリップパックでも、なんならインスタントコーヒーでもいいではないか。飲むためだけにコーヒーを淹れるならハンドドリップでなくていいではないか。
 反省した。
 何事も実際にやってみなければわからないものである。

 翌日。
 前回の反省を活かし、今度は急須で淹れることにした。食器棚に眠っていた日本茶用の急須である。とにかく湯を注げばいいんだからこれでよくね?これでも全然普通に注げるっしょ、と考えた。まあぶっちゃけコーヒー用のポットをわざわざ買いに行くのがめんどくさかったのである。
 で、小鍋で沸かした湯を急須に移し、ドリッパーにドボボと注いだ。
 なんか……違うな……
 そもそもなぜコーヒー豆を「挽く」のか、なぜ豆のままではいけないのか。湯に触れる表面積を増やし、より効率的にコーヒーの成分を抽出するためではないのか。では湯は、まんべんなく、粉の一粒一粒に行きわたるように注がなくては意味がないのではないか。注ぎ口が太いもので湯量多めに注ぐと、湯の勢いに負けて粉が押しのけられ、湯にしっかり浸るところとあまり浸らないところ、偏りが出てしまう。もっと繊細に湯を分布させていくべきではないのか。
(私個人の解釈です、実際とは違ってると思います、あしからず)

 まあそれでも一週間ほど急須を使用した。

 仕事の帰りに量販店に寄り、ドリップポットを購入。例によってこだわりはないので一番安いものを選ぶ。
 小鍋で沸かした湯をドリップポットに移し、ドリッパーに注いだ。正直、事ここにいたってもまだ「そんなに違うもんかねえ」と思っていた、が、いや、注ぎやすい。全然違う。注ぎたい位置に注ぎたい分量の湯を注ぐことができる。
「湯量のコントロール」……!
 参考までに見ていたサイトや動画の中に何度か出てきてはいたが、実感が伴わなかったことでスルーしていた概念が、ここに来て初めて意味を成すものとして立ち上がってきた。皆これのことを言っていたのだ。
 日本茶などを淹れる際に用いる急須は、急須内ですでにお茶の成分を抽出したものを茶器に移すのだから、注ぎ口が太く一気に出ても特に問題はない。一方、ドリップポットはこれからコーヒー豆の成分を抽出するため、豆に最適に湯が巡るよう、湯量を繊細にコントロールできることが必要なのだ。
 なるほどね~。
 道具は必要があってその形をしている。勉強になった。