福島県・震災PTSD取材の思い出(『Shrink~精神科医ヨワイ~』)
『グランドジャンプ』(集英社)で連載中の漫画「Shrink ~精神科医ヨワイ~」の原作を担当している七海仁です。
今日で2011年東日本大震災から丸10年。
『Shrink ~精神科医ヨワイ~』第3~4巻では震災のPTSDに今も苦しむ男性の物語を書きました。
東京でシステムエンジニアとして働く冬室涼。
彼は迷走神経反射や過呼吸などの症状に苦しみ、新宿ひだまりクリニックを訪れ精神科医・弱井と出会います。
最小限の治療で済ませたい涼。一方、弱井は彼がトラウマで苦しんでいる可能性を探り始めます。
「決して時間が解決してくれない心の傷」、トラウマ。
忘れようとしていた自分の過去を打ち明けることを決意した涼は、弱井とともに「トラウマケア」を通して自らの心の傷と対峙することになります。
原稿を書くにあたり、2020年のはじめから3回ほどストーリーの舞台とさせていただいた福島県相馬市を訪れました。
訪れるたびに相馬市の美しさ、人のあたたかさ、豊かな文化にどんどん惹かれていきました。
美しい松川浦。この景色を眺めながら海沿いをのんびり歩いていると心が解かれていくような気持ちになりました。
タコがいくつもゴロゴロ入っていてとても美味しかった「大翔」のたこ焼き。生地はふわふわ。ソース味、ねぎポン味、エビマヨ(!)味と3つも食べてしまいました。
相馬市千客万来館には白い靴下を履いた「ねこ館長」がいて、可愛いグッズを買うことができます。
赤いトートバッグを購入して今も毎日愛用しています。
ネットショップもあるようです。
もくもく@そうま
1千年前から続く神事「相馬野馬追」の出陣の儀式が行われる相馬中村神社。あちこちに馬のモチーフが見られる美しい神社です。
(「PTSD編」最終話の扉絵で子どもの頃の涼・純・恵の3人が遊んでいるのもこの神社です)
市内のあちこちを訪れながら被災者の方にもお話を伺いました。
10年経って今一番つらいと感じるのは「風評被害」であることや、国に対して感じるジレンマ。それでもひとつひとつ出来ることを積み重ねていくしかないということ。どのお話も理不尽な現実への悲しみとそれを受け入れている強さに満ちていました。
被災者のおひとりに車で市内を案内していただいた時、津波で流された松林跡に新たに小さな松が植栽されているところを通りかかりました。
「昔みてぇな松林になるにはあと何十年かかっぺなー」
とおっしゃられた一言が復興の道のりの長さを表しているようでとても印象的でした。
また、相馬市では精神医療のプロフェッショナルとして働く方々にも出会いました。
お一人目は精神科医の蟻塚亮二先生です。
沖縄での戦争後PTSDの研究・臨床を経て2013年より相馬市にある「メンタルクリニックなごみ」の院長をされています。
蟻塚先生はトラウマケアの第一人者として震災後被災地でたくさんの患者さんを癒してきた方です。赴任当時のお話や、今もトラウマに苦しむ被災者の方々についてお話をたくさん聞かせてくださいました。いつも優しい笑顔と柔らかい口調でお話ししてくださり、原稿のご確認をお願いすると「OK牧場です」とお返事を頂いてつい笑ってしまうこともありました。
そんな蟻塚先生から一度、お電話を頂いたことがあります。
PTSD編第4話で涼が弱井に震災時の過去を語った際のエピソードをご確認いただいた時のことでした。
普段メールでのお返事が多かったので「何かおかしなことを書いてしまったかな?」と慌てて電話に出たら、
「このコマはいいねぇ」
「(弱井の)このセリフを、よく被災者の方にかけてくれたね」
とおっしゃっていただきました。震災というテーマを取り上げるにあたり、「自分が書かせていただいていいのだろうか」とずっと自問しながら執筆していた心にその優しい言葉が響いて思わず涙が出そうになったのを覚えています。
トラウマは放置していて自然治癒することはありません。
安心できる場所で安心できる相手に辛かった思い出を語ることを通して脳を整理するトラウマケアが必ず必要です。
蟻塚先生が日々どのような思いで被災者の方たちと向き合い治療してこられたのかが見えたように思えた一瞬でもありました。
そしてもう一人、震災時に臨床心理士・精神保健福祉士として避難所をはじめ各地で被災者の方々のメンタルケアに携わった須藤康宏先生です。
震災後、未治療・治療中断状態の方たちを訪問して医療につなぐNPOをほかの専門家の方々とともに立ち上げアウトリーチ事業を始めた方です。大切な家族や家、仕事を失って大きな孤独を感じ動けなくなっていた人たちにとって、会いに来てくれるということがどれほど心の支えになったことだろうと思います。
須藤先生ご自身も被災者のお一人です。ご自分の問題も抱えながら医療従事者として活動する大変さについて伺ったら、
「少し前に原発から50キロの場所に家を建てたんです。もしまた何かあってもその距離なら避難しろとは言われないだろうと思って。何があっても、きっとまた自分は残る選択をするんだろうなと思います」
とおっしゃられて、その強い決意に感動させられました。
そんなお二人が揃っておっしゃられていたのは「復興はまだ終わっていない」「現在も苦しんでいる人たちがたくさんいる」「一番難しいのは風化させないこと」だということでした。
先月13日にはまた福島県沖を震源とする大きな地震がありました。福島県相馬市は震度6強を観測。10年前の東日本大震災の余震と見られています。
この10年の間で体感できるもので1.4万回以上の余震があったそうです。
今も不安を抱えて暮らしている人達にとってどれほど恐ろしい夜だったことだろうと思います。そして本当に震災の傷はまだまだ癒えていないのだと。
取材の最後に蟻塚先生に「伝えたいメッセージはありますか」と聞きました。
「とにかく生きてほしい。生きていくのはとても大変だけど、生きていくための理由なんていらないから。生きよう。そのためにこの社会がどうすればもっと住みやすくなるかを考えていかなければいけないね」
それは、今も変わらず苦しみ続けている人たちが確かにそこにいることを知っている精神科医としての心からの言葉だと思いました。
震災から今日で10年ですが、「10年ひと区切り」などということは決してあり得ないことを、取材を通して勉強させていただきました。今後も変わらず被災地のために一人一人が何をできるか考え続けることが必要なのだと改めて思います。これからの未来をともに生きるために。
新型コロナが少し落ち着いたら是非また相馬市に伺ってお世話になった方々に会いに行きたいと思っています。その時が今から楽しみです。
七海
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