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【連載第220回】在りし日の京都、書店での生(なま)の経験

前回はこちら。以前の連載は、人文書院の特別サイトもしくは書籍(『希望の書店論』、『書店と民主主義』)にてご覧いただけます。

演劇の本質

 前回紹介した『表象15:配信の政治――ライヴとライフのメディア』(月曜社、2021年)所収の座談「オンライン演劇は可能か 実戦と理論から考えてみる」の総括にあたって、司会役の横山義志は、アンリ・グイエの『演劇の本質』からの引用を行っている。

“直接的に与えられるという現前のあり方はまた賜物でもある。彼がそこにいるからこそ、私はこの男について、いかなる文書も、いかなる記述もまたいかなる写真も教えてくれることのできないことを、知っている。距離を取っての認識のほうがより完全、より正確であることがしばしばある。(…)しかし、退いてみることは知識の役に立つのであって、(…)現前からは一片の知識さえ出てこない。それはむしろ(…)一種の共犯関係をつくりあげるものである。この男は私の世界の中におり、私は彼の世界の中にいる。(…)われわれは同じ世界の中にいる。(…)われわれは差し当たり今、同じ船に乗り合わせており、お互いに慎重に振る舞わなくてはならない。また、この親密さが、反省より正しいものではないにしても、より生き生きとした、より鋭い明敏さを培う。この明敏さがあれば、言葉を言い切ることもなく、言葉を口にすることがなくてさえも心を通じ、目の中に意を組み、口の嘘を、目に見えないほどの手の震えで正すことができるわけである”。(『演劇の本質』TBSブリタニカ P31-2 、『表象15』P47で引用)

 グイエの引用に続けて、横山は次のように言っている。

“この「正しい」わけではなくても「明敏な」経験、というものが、今失われてしまっているということを思い出しておきたいと思います。これをグイエは「現前の恵み」と言っているのですが、それをどこまでオンラインで共有できるようになるかがたのしみですね”。(『表象15』P47)

 『演劇の本質』というタイトルは、ぼくを40数年前の京都に、タイムスリップさせた。その頃ぼくは、祖父が住職を務める東福寺の塔頭の一つ、願成寺というお寺に住み、京都大学に通っていた。家賃がいらないというぼくの側のメリットと、前の年の初めに祖母が亡くなり、一人暮らしだった祖父の寂寥を慰める者が必要であろうという父や親族一同の思いが一致したためであった。(※1)

 その頃はまだ市電が走っていて、ぼくは市街地を一周する路面電車に、東大路の南端の東福寺のバス停から北端に近い東一条まで乗って通学していた。一応朝晩の祖父の食事を用意していたので(と言っても、もちろん大した料理はできず、市場でコロッケを買ってきたり、仕出し屋の焼き魚をおかずにする毎日だったが)、東大路をまっすぐに往復する毎日で、繁華街であり書店街でもあった四条河原町界隈に出向くことも余りなく、必要な本は生協書籍部や京大近くのナカニシヤ書店で買っていた。

 それでも、時たま河原町に出て「書店街」を訪れることのできる日もあり、丸善や駸々堂書店などを見て回ったが、中でも店内の佇まいと品揃えがとても気に入り訪れる回数が徐々に増えていったのが、四条河原町上ルの京都書院であった。そしてある日、京都書院の演劇書の棚で遭遇したのが、『演劇の本質』だったのだ。

本との邂逅

 中学高校と演劇部に所属し、高校時代の放課後には「劇団神戸」という地元劇団にも参加していたぼくの目を、その本は射た。専攻していた哲学の本や、中高時代の生活の中心だった演劇の本を大事にしていることが肌で感じられたのが、とりわけ京都書院に足が向いた理由かもしれない(※2)。

 装幀も適度な豪華さで、欲しいと思った。だが、家賃が不要とはいえ、祖父との共同生活の中でアルバイトに時間を割くこともままならなかったぼくには、欲しいと思った本をすぐに買う経済的余裕はなかった。

 その本を買おうと決心して京都書院に向かうまで、何度通ったかは覚えていない。それは、ひょっとしたら2度めの訪店だったかもしれないし、何度か『演劇の本質』の前に立ったあとだったかもしれない。だが、豈はからんや、意を決して棚にの前に立ったとき、『演劇の本質』は並んでいなかった。ぼくは愕然とした。が、考えてみればあり得ることだった。その本は棚に一冊しか挿されていなかったのだから、誰かが買えば売り切れる。書店は、ぼくのためにだけあるのではない。演劇関係の本がこれだけ揃っているのだから、演劇関係者、演劇に興味を持つ人が多く通ってる店に違いない(京都書院は、階段に沿ってお芝居のチラシを多数置き、前売り券の販売をしていた。ぼくも、後に下鴨神社で行われた状況劇場赤テント公演のチケットを買っている)。ぼくがこれだけ欲しいと思ったのだから、同じように欲しいと思った人がいてもおかしくない。ぼくは、肩を落として、帰路についた。

 再び京都書院を訪れたのは、一週間後だったか、二週間後だったか。演劇コーナーに行くと、あった!『演劇の本質』が前に見たのと同じ場所に挿されていた。その一冊は、確かに光っていた。なぜか「信じられない!」と感じた。時間が逆流したのかと錯覚した。天の恵みとさえ、思った。もちろんぼくは、掠め去るようにその本を手にし、レジに向かった。

 今となっては、不思議でも何でもない。普通ぼくらは、棚差しの本が売れたら、補充注文を出す。自動発注システムができた後は、コンピュータがそれを代行してくれている。再び入荷した本は、前と同じところに挿す。書店員になってから、その作業を行いながら、時々その日の京都書院での出来事を思い出しては苦笑した。

小さな劇場としての書店

 その、大学時代の京都書院でのエピソードは、のちに、池袋本店勤務となり東京に移ったあと王様書房の柴崎社長に伺った次のエピソードと、微妙に重なる。

 ある時期、お使い帰りか塾の帰りか、一人の男の子が毎日のように店にやってきていた。その男の子は、他の本には見向きもせず、ある図鑑を手に取り、時間を惜しむように、その図鑑を眺めていた。ある日、珍しく母親来店し、母親に何か一冊買ってあげるから選ぶように言われた彼は、迷うことなくいつも見ていた本を書棚から抜き出した。そして、母親から「もっと他の、例えばこの本は?」と提案されても決して譲らず、その図鑑を買ってもらった。

 人と本との出会いは、時に極めてドラマティックである。そして書店は、そうしたドラマが生まれ、演じられる劇場なのだ。


 『演劇の本質』は、期待通りの本だった。演劇のさまざまな要素を挙げ、何が演劇を演劇たらしめる本質かを問うていく。実は薄っすらとした記憶なのだが、その結論は、登場人物の「行動」であったかと思う。(※3)その後ぼくは「劇団神戸」での演劇活動に本格的に参加していくのだが、『演劇の本質』がそのことにどれほど影響したのか、今は定かではない。

 前回のコラムを書いたあと、『表象』の発売元である月曜社の小林浩さんに、久しぶりにメールし、『表象』の座談会をコラムで使わせてもらったことを伝えた。すぐに返信があり、そこには、小林さんが、『表象』の特集とは無関係、今『演劇の本質』を枕元に置き、おりおりにひもといていると書かれてあった。そして、そのたびにぼくのことを思い出していた、と。

 それが何故なのか、是非訊いてみたい。

※1「親族一同」という大げさな表現には、理由があるが、それを語り出すと長くなるし、このコラムとは直接関係ないので略す。

※2 大学入学後、ぼくは当時既に盛んであった大学を拠点とした劇団に入ることなく、馬術部に入部した。それにはいくつかの理由と思惑があり、その思惑はある成果を得るのだが、それはまた別の話。

※3 その後ぼくは「劇団神戸」での演劇活動に本格的に参加していくのだが、『演劇の本質』がそのことにどれほど影響したのか、今は定かではない。


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福嶋 聡(ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社、2020年)。

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