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【連載第214回】演劇、対話、民主主義

前回はこちら。以前の連載は、特別サイトもしくは書籍(『希望の書店論』『書店と民主主義』)にてご覧いただけます。

演劇におけるコンテクストの擦り合わせ

 「コンテクスト」を、平田オリザは語る。通常「コンテクスト」とは、「文脈」のことであり、「その単語はどういうコンテクストで使われているの?」などが一般的な使用法である。だが、平田は、「コンテクスト」を「もう少し広い意味で使う」。「コンテクスト」を、「一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲」という意味で使いたいというのだ。(『演劇入門』講談社現代新書、P150)

 通常ぼくたちは、誰かと言葉を交わす時、ある単語の意味=その単語が指し示す「モノ」が相手と一致していることを前提としている。しかし、他者と相対したとき、その前提がいかに頼りないものかということも、繰り返し経験している。例えば、少し脚の高いちゃぶ台を、「机」と呼ぶ人、「テーブル」と呼ぶ人、「箱」と呼ぶ人がいる。「コンテクストのずれ」の例として、平田は新婚夫婦の行き違いの場面を挙げ、「結婚したことのある人なら、新婚時代に一度ならず、このような経験をしているだろう」(同P151)と言う。関東人と関西人の結婚の際のさまざまな例が、落語の枕や漫才などで面白おかしく語られることが多いが、結婚とは、畢竟、長い時間をかけた「コンテクスト」の摺り合わせという作業と言っていいのであろう。

 演劇をつくる現場でも、その作業が連続的に発生する。

 俳優が演技するためには、戯曲(劇作家)の言葉と自分の言葉のコンテクストを摺り合わせなくてはならない。演出家がそれを助けてくれようが、そのためには演出家と俳優の間でもコンテクストの摺り合わせが重要である。そしてそのために演出家は、自身と戯曲のコンテクストの擦り合わせを、事前に済ませておかなくてはならない。

 この、コンテクストの摺り合わせの作業は、思われている以上に難しい。先に挙げた「ちゃぶ台」か「テーブル」かという、指示される対象があるケースなら、多少の時間がかかったとしても何とかゴールに到達できようが、具体的な対象物のない観念、たとえば「真」「善」「美」については、甚だしく困難であることは疑いない。その困難さが、憎しみと争いに満ちた人類史を形成してきた。だからこそ、コンテクストの摺り合わせは、人間にとって常に喫緊の、かつ永遠の課題と言えるのである。

 さて、ここまでのコンテクストの摺り合わせという議論においてまだ言及していない存在、しかし演劇にとって不可欠かつ最も重要なファクターは、もちろん観客である。戯曲-演出-演技がコンテクストを統一した上で、一つの演劇作品を観客の眼前で上演するとき、そのコンテクストを観客に共有してもらわなくてはならない。それまで長い時間をかけて芝居をつくってきた演出家、俳優の仕事の成否は、観客とのコンテクストの擦り合わせにかかってると言っていいのである。

 時には長期間にわたる稽古の繰り返しによって行われる劇作家-演出家-俳優のコンテクストの擦り合わせと違って、観客と演劇のコンテクストの摺り合わせは通常一回きりであり、そのための時間幅は、上演時間に等しい。それゆえ、観客が自らのコンテクストを演劇作品のコンテクストと一致させるために要する努力は、上演する側の努力と少なくとも同等、おそらく密度で言えばそれ以上である。即ち、演劇の成立には、観客の参加が不可欠なのである。裏返して言えば、時間と空間を共有する演劇なればこそ、そうした観客の参加が可能になる。


舞台と対話する観客たち

 ぼくが若い頃、劇団神戸という地方劇団で活動していた頃、劇団活動を離れることになった劇団員、劇団に残らず卒業していった研究生に対して、座長の夏目俊二は、いつも、「これからは、いいお客さんとして、演劇に関わっていってください」と語りかけていた。それはもちろん、劇団として観客を確保したいという思いから出たものでもあっただろうが、同時に、演劇を創る行程に携わったり学んだ人たちが観客として参加してくれることが、演劇の成功に必要な最後のピースであることを知り抜いていた人の言葉であった。

 平田は、観客がより能動的、積極的に演劇に参加してきた歴史を指摘する。

“古代ギリシャ、アテネで開かれていた演劇祭には、毎年数百二人のアテネ市民がコロスとして参加(アテネ市民の義務)。持ち回りで舞台に出演した市民は、翌年には観客として演劇祭に参加していたのだ”(『演劇入門』P196 )。

 日本においても、“歌舞伎を支えた江戸の庶民たちは、歌舞伎を観客としてただ漫然と見ていたわけではなく、日本舞踊や浄瑠璃の習得を通じて、確かにそこに参加していたのだ。本当の歌舞伎の舞台に上がることはなくとも、歌舞伎を支える諸要素については習熟し、そこに参加する者の視点で、彼らは客席に座っていた”(同P196-7)。芝居のクライマックスでの、「○○屋!」という掛け声は、そうした参加の意識ゆえに定着したものではないだろうか?

 江戸や上方といった大都市だけではない。かつては、地方にも芝居に参加する伝統があった。平田は、小豆島に伝わる「農村歌舞伎」を取り上げ、瀬戸内海の小島ならではのその役割について語る。

“今でこそ小豆島の人々もこれを「農村」歌舞伎と呼び、村落共同体の伝統行事と捉えているが、実際には、島の人々が瀬戸内海の各所から渡ってくる商人や船頭たちとコミュニケーションをとるための教養教育の場であったろうことは想像に固くない”(『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書、P44)。

 明治以降に出版物が、更に時代が下ればラジオやテレビが、「標準語」を全国に広めていったのとは状況が違い、江戸時代以前には、コミュニケーションのための共通の言語は無かった。使われる言葉は、「くに」によって違った。海によって他の地域から隔絶された島では、その傾向が顕著だっただろう。だが、島の人たちも、「よそ」から来る様々な人たちと接し、交流することなく生きていくことは出来ない。「農村歌舞伎」という「コミュニケーションをとるための教養教育の場」は、そのために不可欠だったのである。


演劇と民主主義

 一方、先程挙げた古代アテネについて、平田は次のように書いている。

“ギリシャの人々は、おそらく、対話の必要性を、直感的に感じたのではないだろうか。対話を通じて、コンテクストの擦り合わせ、その共有をはかっていくことのみが、この新しい社会制度を維持する方策だと思い至ったのではあるまいか。
 同時期に、プラトンを代表とする、対話を前提とした哲学を生み出す”(『演劇入門』P199)。

 言うまでもなく、古代ギリシャのアテネは、現代にまで連なる、演劇と哲学の両方の源泉である。その両者を生み出したのが、「対話の必要性」であり、その必要性を促したのが、「この新しい社会制度」、すなわち民主主義だったのである。

 民主主義が演劇と哲学を必要とした、そしてそれらが、言うまでもなくコミュニケーションと教育のための強力なツールであることを思うとき、2千数百年を隔てた古代ギリシャが、現代と直結することを感じる。

 前回言及した哲学者の山口裕之は、「民主主義とはすべての市民が賢くなければならないという、無茶苦茶を要求する制度」(『人をつなぐ対話の技術』日本実業出版社、P146)と言う。

 山口は、決して「民主主義」を貶めているわけでもなければ、実現不可能と投げ出しているのでもない。「民主主義」は、人間の生得的(ア・プリオリ)な能力で自然に成立する制度ではない、と言っているのだ。「民主主義」を成立させるために不可欠なのが、学生の「対話の技術」を磨くことであり、敢えて言えばそれが「教育」のすべてであり、そのための場こそ、大学という山口のホームグラウンドなのである。

 平田オリザも同じく、日本各地で教育実践に関わっていく。

第213回

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福嶋 聡(ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社、2020年)。

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