『日本心霊』調査・アーカイブ化の意義(栗田英彦)
先日、人文書院の前身・日本心霊学会についての記事が京都新聞に掲載され、SNS上でも話題となりました。事の発端は、2013年に人文書院旧社屋の倉庫から機関紙『日本心霊』の束が発見されたこと。そこで、この研究を進めてくださっている科研プロジェクトのメンバーである佛教大学の栗田英彦先生に、「日本心霊」研究の必要性と資料的価値について解説していただきました。
人文書院は、東京中心の出版文化の中で、京都の出版社でありながら、ローカルな枠に閉じ込められず、東京の出版社にも劣らない質の高い出版物を手掛けています。また戦後は太宰治などの文芸書や、フロイトとサルトルの思想書によって一時代を画したことでも知られています。保守的な傾向の強い京都の出版業界にあって、戦前からベストセラーを開拓し、一般向け出版物で京都の出版業界をリードしてきた、京都のみならず、西日本を代表する出版社と言えるでしょう。
しかし、その人文書院の前身が日本心霊学会という精神療法団体であったことはほとんど知られていませんでした。人文書院初代社長、渡辺藤交は、元浄土宗僧侶で、明治40年前後に精神療法を学び、治療団体、日本心霊学会を創始しました。この団体は人文書院と並行して昭和期まで、およそ20年以上続き、当時、多数出現した精神療法団体の中でも特に大規模な団体でありました。東大の心理学助教授で心霊研究で知られる福来友吉や、京大精神科教授の今村新吉、日本の推理小説文壇の成立に貢献した小酒井不木とも交流があり、仏教僧侶を中心に会員を増やしていました。大正期は「心霊」が社会を風靡し、文芸への影響も大きなものがありました。そして、その一角を担っていたのが、この日本心霊学会だったのです。
渡邊藤交
また出版史から見れば、京都の出版業界は、近世における仏書出版中心の業界から、思想、学術書を特徴とする業界へと変容していきましたが、その際に、日本心霊学会という、精神療法という宗教とも治療ともとれない、その中間に位置する精神運動を経由したということになります。この点は、出版物の変化を考えるうえで興味深い視点を提供しています。
しかし、その日本心霊学会の資料については、部分的にしか利用できず、大量に発行されたはずの新聞形式の機関誌についてはまったく入手不可能でありました。今回、そのほとんどすべてが発掘されたことによって、大正期を主として、出版社の変容を精緻にトレースし、全体的な視点からの出版社研究が可能になりました。もちろん出版文化に関するモノグラフ研究は、改造社、雑誌『太陽』を対象とした調査など、すでにいくつかの前例があるものの、京都地域に特化した点、宗教=精神文化との関係という点で、いまだかつてない画期的な研究が期待されます。
例えば、近代以降も京都が東京に対して一方の文化的な発信源であり続けてきた原因を、この資料の分析から探ることができるでしょう。アカデミズムと民間の精神療法が流通性を維持し、一方では小酒井不木などがその場に関わるといった特異な関係性が京都というトポスゆえに成立していたとすれば、それを可能にした文化状況はいかなるものだったのでしょうか。またそれは後の人文書院の設立とどう関わったのでしょうか。こうした疑問を明らかにするに際して、『日本心霊』のアーカイブ化は、その基礎的な土台を作る作業となるはずです。
日本心霊創刊号
また、大正期における「心霊」の流行は、思想的には生命主義と結びつき、文学の場にあっては白樺派や新現実主義などに影響を与えましたが、「心霊」が具体的にいかなる団体、いかなる媒体、いかなる運動を通して一般社会に伝播したのか、大枠の分析はあったものの、具体的な資料にもとづく検証は、資料不足のゆえになされてきませんでした。しかし、このたびの資料群の発見によって、その具体的な展開を見出すことが可能となりました。この資料群の分析を通して、大正時代の精神主義的な文学テクストを読み解く読解コードを定位することで、この時期の文学場の、新たな様相を明らかにすることが期待できるでしょう。
発送を待つ「日本心霊」
さらに、今までの精神療法研究において、特定の団体を対象にして重点的に研究することは、資料の散逸によって困難な仕事でした。しかし今回の人文書院所蔵資料からは、機関誌だけではなく、各年度の会員名簿、出納帳、関係者の書簡なども発見されました。これらの資料の分析を通して、ひとつの精神療法団体の成立から終焉までを通時的、かつ立体的に把握することが可能となりました。
以上のように、『日本心霊』を中心とする人文書院所蔵資料は、印刷・出版史、文化研究、文学研究、宗教学など、多方面から見て、きわめて貴重な資料であることは疑いありません。こうした意義が認められ、一柳廣孝教授を研究代表とした科研「デジタルアーカイブ構築による人文書院戦前期資料の多面的文化史研究」(基盤研究(C)15K02241、研究分担者:石原深予・菊地暁・栗田英彦・吉永進一、2015年4月1日~2018年3月31日)が採択されました。この科研プロジェクトによって、『日本心霊』誌を主として、人文書院倉庫より発掘されてきた書簡、写真類などの資料を整理、目録化、必要な資料についてのデジタル化がなされることになりました。
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栗田英彦(くりた・ひでひこ)
1978年生。愛知学院大学、佛教大学等非常勤講師。東北大学大学院文学研究科修了。文学(博士)。専門は宗教学、思想史。
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