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【連載第221回】再出発

前回はこちら。以前の連載は、人文書院の特別サイトもしくは書籍(『希望の書店論』、『書店と民主主義』)にてご覧いただけます。

最後の日

 2022年3月6日(日)。

 いつものように、朝の8時頃ジュンク堂書店難波店に着き、いつものように店のPCを立ち上げてメールチェックをして、いつものように店に置いてあるクロムブックを手にして隣のOCAT地下にあるイタリアントマトに向かった。コーヒーを飲みながら本を読んだり、本のノートを取ったり、原稿を書いたりする、早番で出勤する日に、長く続いている習慣である。

 その習慣が始まったのは、2000年に池袋本店勤務となって間もなくのことだった。池袋まで埼京線で15分くらいで行ける戸田市に居を定めたぼくは、ほどなく、埼京線の朝電車が殺人的に混むということ(口さがない関西の出版社営業マンは、ぼくが間違いなく痴漢と間違えられると「予言」した)と、そのためもあって、電車が遅延しがちであることを知った。出勤時間に合わせて電車に乗れば、遅刻となる可能性が強い。中途半端に早めの電車に乗っても安全ではなさそうだし、その混み具合では電車の中で本を読むこともままならないだろう。いっそ、1時間くらい余裕をもたせれば、混み具合も少しはマシだろうし、定刻に着けば、安いコーヒーを飲みながら、ゆっくり本を読める。大阪に異動したあともその習慣は続き、早や20年を超えた。
その日も、イタリアントマトOCAT店でクロムブックに読書ノートを書き付けたあと、定時に間に合うように再び店に向かった。地下から荷物用エレベータで3階へ。出勤するスタッフ2名と一緒になった。エレベータを降り、まだ薄暗い店内を通って事務所に向かった。難波店の背の高い書棚と書棚の間に、数名の人影があることに気付いた。その日は日曜日だったので、朝の入荷も無い。まだ照明もついていない店内で急いでしなくてはならない仕事も無いはずだ。実際、人影は仕事をしている風にも見えず、ただ時が来るのを待っている様子だった。

 休憩室に荷物を置き、事務所でタイムレコーダーに出勤を入力したころには、その謎は解けていた。休憩室にも、事務所にも、その朝出勤する予定ではないスタッフが、何人もいたからだ。

 ぼくは、いつものようにキャビネットから釣り銭準備金の袋と図書カード、クオカードのケースを取り出し、台車に積んでレジカウンターに向かった。

 釣り銭準備金とともにレジカウンターについて程なく、朝礼の時間になった。通常よりかなり多くの人たちがレジカウンターに集まってきた。半分くらいは、就業時につけるエプロンをしておらず、白シャツに黒ズボンというドレスコードにも適っていない。その日が遅番、または公休日のスタッフも来ていたのだ。更に、新しい店長や、まだ異動日が先である新任スタッフも……。その日、3月6日(日)は、ぼくが開店準備から12年半務めたジュンク堂書店難波店店長としての、最後の日だったのである。

店長から立場を変えて

 2月上旬のある日、難波店を管轄するエリアマネージャーが来店し、「こんな時に何ですが」と言いながら、3月1日付辞令でぼくのMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店への異動が予定されていることを告げた。その時点ではまだ社長決済は降りていないらしく、社内でも㊙扱いとのこと、他に二名の難波店の社員の異動も同様であった。2月半ばで決済が降りたら社内での告知はOKとのことだったが、社長決済が降りたのが2月20日過ぎ、それまで、難波店のスタッフにも隠しておかなければならないのが、何より辛かった。しかも、社長決済が遅くなり、結局20日過ぎまで誰にも話せなかったのである。

 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店では、店長に着任するわけではなかった。どうやら、長年培ってきた人脈を駆使して、関西発のトークイベントを活性化せよというのが、未だ直接指示を受けたこともない東京の本部の意向とのこと。MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店への異動は、オンライン配信のための機材がそちらに設置され、実際にオンライン・トークの配信も始めていたからである。

 そうした仕事を与えられたのは、願ってもないことだ。トークイベントは、難波店時代、ぼくが最も力を注いだ仕事である。遡れば、2000年〜2007年の池袋本店時代も、そうだった。そこで著者と出会えること、熱心な読者と出会えること、著者の熱意を感じられること、読者の熱意を感じられることが、書店員としての何よりの喜びだった。

 とはいえ、長く続けてきた難波店の店頭での、半ばゲリラ的なトークにも未練がある。立地と「小屋」のあり方で、それぞれに相応しいイベントがある筈だ。ありがたいことに、MJ梅田店の店長からは、「自由に動いてもらって、いいですよ」と言われた。既に難波店での開催が決まっていた、難波での日本初の映画上映についてのトーク(3月20日)、同人誌『アレ』をきっかけとした藤原辰史さんとのトーク(4月8日)に登壇し、4月30日には井上理津子さんとのトーク、5月にも登壇が決まっている。もちろんMJ梅田店でも、4月10日に奈良で私設図書館を開いている青木真兵さん著『手づくりのアジールーー「土着の知」が生まれるところ』(晶文社、2021年)のトークを開催、4月15日には、横田増生さんと『「トランプ信者」潜入1年――私の目の前で民主主義が死んだ』(小学館、2022年)刊行記念トークを行った。前日14日には、横田さんと三宮店で登壇した。

 あくまで現住所はMJ梅田店で、まずはそこでのトークイベント、そしてMJ梅田店発のオンライン・トークが中心になるだろうが、店長職を外してくれた会社の期待(?)に応えて、これからも、そのイベントに相応しい「小屋」に、出没していこうと思っている。

これから

「おはようございます。3月6日、日曜日の朝礼をはじめます」

 すぐに「最後の挨拶」を促された。

 皆が集まってくれることも知らなかったのだから、挨拶の準備などしていなかった。しかし、去るに当たって難波店のスタッフに言いたいのはただ一つ、「ありがとう」という言葉だった。

「難波店での12年半、ぼくはとても楽しかった。トークイベントなど、好きなことをやらせてもらいました。それが出来たのは、みなさんのお陰です。本当に、ありがとう。皆さんもこれから、したいことをして、楽しく働いてください。店員が楽しくなければ、その店に来るお客様が楽しくなるわけがない。本を売るという仕事を、是非楽しんでください」

 大きな花束を渡された。

 レジカウンターの横で、集合写真を撮った。

 そして、いつものようにレジを立ち上げ、釣り銭を入れて、開店に備えた。

 早番の日、ぼくはたいてい朝一番のレジに入る。各担当者にはできるだけ早く新刊や補充品を棚に入れてほしかったのと、何よりぼくが、レジカウンターに入ることがとても好きだからである。出版社からの長旅を終え、場合によっては店頭で長い間待機していた本たちが、お客様に買われている瞬間を見るのが、何よりも好きだからだ。今どんな本が注目されているのかは、無味乾燥な売上データ表を見るよりも、レジカウンターで実際に本が売れていくさまを目の当たりにした方が、実感できるし記憶にも残る。そして、店を訪れ、利用してくださるお客様がどのような方なのか、何に興味をもっておられるのかをプロファイリングする密かな楽しみも、レジカウンターにいてこそなのである。

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福嶋 聡(ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)、難波店(店長)を経て、2022年4月より丸善ジュンク堂書店渉外顧問イベント担当 MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店勤務。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社、2020年)。

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