加藤介春著『獄中哀歌』「蜘蛛」(一)

    一

 南の国のその監獄は、ずつと昔から残つてゐる極く旧式な古い建物で、外囲(そとがこひ)の高い壁も昔風の瓦と漆喰とで築きあげたのが、所々漆喰の剥げ落ちて臓腑のやうに中身(なかみ)の赤い土をはみ出したり、瓦に青い黴が生へてヌルヌル辷りさうな所があつたりして、門も城下の町邸などに好く見受ける高い大きな真黒い物だつた。獄舎は一寸した雨や風にも腐朽し破損して、その都度古い襤褸(ぼろ)を継ぎはぎするやうにその個所だけ新しい板片や壁土で如何にも不調和に修繕された。
 Mは刑事に引かれて門の前に立つた。その一隅の小さい横長の窓の縁を刑事がトントンと軽く指の先きで叩くと、中にゐる門衛の看守が窓からそつと覗いてうなづいた。Mはその大きな黒い扉(と)が左右にパッと広く開くのかと見てゐたら、開いたのは横の方の小さい通用門と言つた風の扉であつた。
『さあ這入るんだ』と刑事が小舎(こや)の中に家畜を追ひ込む意地の悪い番人のやうに言つた。
 Mの右の手首には汚れて鼠色になつた捕縄が堅く縛してあつた。これ迄多くの犯人の手を縛つた捕縄が手首の所から羽織の袖の中を潜つて右の横腹に出で、更に腰の辺をグルグルと二重ばかり捲いて帯にしつかり結びつけてあつた。普通の人の知らぬ結び方が幾つもしてあつて容易に外れさうになかつた。しかしこれが通常の刑事被告人だと両手を一緒に搦め合せてその捕縄の一端を、いくら不意にもがいても逃げられぬやうに必ず刑事が握つてゐるけれど、Mはその土地の大きな保険会社の社員だつたので、いくらか尊敬する気味もあり、又無論逃亡などしさうな者でないと見て、刑事も安心して極く寛大な捕縄の打方をした。彼れの捕縄は一寸他人(ひと)の眼につかぬやうにしてあつたので、刑事と肩を並べて裁判所から町端れのその監獄へ歩いて来る時も、知らぬ者は彼れを監獄行きの一人だとは気がつかなかつた。
 門を這入ると人気(ひとけ)の無いひつそりした古い大きな二階造りの建物が夕暮れのわびしさにシーンと鳴つてゐた。真向ふが玄関らしいが、Mはそこへは連れて行かれず、又も左の方の黒い小さな門を通つて、恰度その建物のツマの方に当る狭い訊問室と言ふのに入れられた。入口の所で下駄を脱いで跣足の儘立たせられると冷(ひ)や冷やするセメントの叩きの上に零れた砂が蹠(あしのうら)に痛痒かつた。
 そこには一人の看守が机に凭れてゐた。刑事は懐から活版刷の護送状を出してそれに看守の検印を貰つて出て行つた。それは刑事被告人としてのMを監獄に受取つたと言ふ印(しるし)がされたのだ。Mは自分の身に関する運命の神のやうなその護送状が看守の手から刑事に返へるのをチラリと盗み見た。ホンの一眼だつたので詳しい文句は認知し得なかつたけれど、自分の姓名が稍々筆太に書かれて、その肩書の欄内に『詐欺取財』の四字の添へてある事だけは眼敏くも確めた。
 看守は年齢や職業や原籍等を訊き、又Mの顔形や身体(からだ)の格好もヂロリヂロリ見ては厚い帳簿の中に書込んだ。数百名の囚人の素状や犯罪や容貌等が一々記してあるその帳簿の中にMの頁が新らしく設けられた。
 訊問が終ると奥の方から別の看守が来て、時計、蟇口、帽子等の携帯品を悉く出させてその品目も帳簿の中に記入した。
『持つてる物は皆出すのだ。最う何もないかい』
『えゝ何もありません』とMが答へた。
 看守は安心の出来なさゝうに袂の中に手を入れたり、襟の所を揉んで見たり、果ては真裸体にして褌まで取らせたりして、疑ひ深い眼が何遍も身体をグルグル見廻つた後、濃褐色の深い皺だらけなズックの袋の中にMの所持品を押込んで、その口を長い紐で堅く結へた。
 つぎに看守は短冊型の小さい真鍮の札を渡す。それには『一〇五』と番号が記してあつた。
 訊問室からは直ぐそのすぢ向ひの倉庫の前に連れられて、青ざめた浅黄の薄い布団と木の枕と杉の打割に棕梠毛の緒の立つた下駄と金属製の茶碗や竹の削箸を載せた膳とをくれた。布団にも枕にも下駄にも『一〇五』の番号が入れてあつた。
 Mはその下駄を穿(は)き布団を四つに折つて枕と一緒に左の手に抱(かゝ)へ、右の手に膳を持つた。不思議の運命を持たせられてゐるやうな薄気味悪い感じに襲はれて、若し其所に看守がついてゐなかつたら、其等の物を打棄てた儘逃げ出したかも知れない。彼れはこれから囚人になると言ふ怪しき自分の姿を悲しげに見廻した。そして看守のくれた深い編笠をスブリと頭に被つた。
 看守が先きに立つてMはその後について行つた。それは六月末の或る夕方でひどく蒸し暑かつた。青白い星が空の所々に浮び出(で)て、死んだやうにひつそりした暗い獄舎の中へ引かれてゆくMの後姿を見送つて震へた。
 すべての出来事がMにはわからなかつた。其日の朝の八時頃、やつと起きた許りの所へ家宅捜索に来た判検事は詐欺取財の嫌疑だと言ふたけれど、如何(どう)考へても自分の真直な心の歩みがそんな恐しい犯罪の方へ行つたとは信ぜられない。で彼れは警察で仮予審を開かれた時も、係検事に対して泣かん許りに色々弁解して自分の本当の心を見せやうとしたけれど、何の効果も無かつた。
 編笠の中からは足元が揺れる地面(ぢべた)を見るやうにフラフラするのみならず、且つともすれば頭に馴れぬ編笠がグルリグルリ廻り傾き、そこから少しばかり外の見える透かし穴が横の方へ外(はづ)れて眼が塞がれるので、その都度立止まつて笠を被り直さねばならなかつた。
 獄舎に行くには小さい同じやうな木戸を幾つも潜つた。その木戸には一々鍵のかけてあるのを看守が大小種々の合鍵で、それを外し又かけた。左へ曲つたり右へ折れたりMの疲れた頭の中には自分の歩いて行く路が廻転し惑乱し果てはその方面を判ずる事も出来なくなつた。暫くすると小さく区分(せき)つた長い獄舎の一室の前に着いたので、Mは編笠のすかし穴から覗いて見ると、薄暗い其一室に八九名の未決囚が何れも表の方のまだ暮れ残る昼のうすら明りをマジリマジリ見守りながら坐つてゐた。彼等の視線が一斉に光つてMの上に注がれる。室の片隅に網をすいてゐた三十四五の一人はヂロリと向けたうす暗い眼を如何にも興味の無ささうに直ぐ引き直して又網をすき初めた。ずつと後の方の顔の青白い二十歳ばかりの一青年はヒステリックなおどおどしてゐる様な顔をつき出し気味に新来のMをぢつと見つめてゐたが、軈て何故かにやりと笑つた。Mは薄気味悪さに顔をそむけた。
 看守が又一人来た。それは看守部長であつた。彼は腰にかけてゐる大小幾つもの鍵の束の中から、最も大い、そして毎日幾回と無く囚人の出し入れに使用するので、その先きのピカピカ光つてゐる一個の鍵を択り出して、監房の戸の錠の穴に入れた。錠が外れると閂の大きな鉄棒を横へ引抜かなければならない。その鉄の棒は深く喰込んで他の鉄の穴から離れまいとするやうに鋭い物狂はしい厭やな音を発して此の静かな沈黙の底の広い監獄中に響いた。すべての囚人は此の音が何であるか知つてゐる。無論今時分房から出て行く者は無いので、彼等は『そうれ、又一人連中が殖(ふ)えたぞ!』と顔を見合わせた。
 監房の厚い扉が開くとMは穴倉に投込まれるやうに入れられた。そして房の戸のビシンと閉つて錠の下りる音を震へる心に聞いた。
 監房は六畳敷許りの厚い板張りで、前と後とが格子になり、左右は各々隣房と合壁だつた。左方の壁に棚がついてゐて、その上に食器や歯磨道具をキチンと定められた場所に並べ、右の壁下には布団が二つに折つて上へ上へと積み重ねてあつた。
 囚人は九名ゐて、縦に三列に、何れも表の格子の方を向いてゐる。Mが房へ這入ると一番年上らしいのが立つて来て、此房の先輩だと言つた風の態度で先づ布団の積み方を教へた。布団は番号の記してある白い襟を格子の方へ向けて揃へるのだつた。
 つぎにMの坐るべき席順がきめられた。矢張りその年上のが、
『席は何所(どこ)にしやうね、これで十人だが……』と言ふと、
『さうだ、十人なら都合が悪いから皆な席をかへねばなるまいよ』と他の一人が答へた。これを機会に此の狭い一室に何か大事変が起つて評議でもするかの様に一同立上つて室の中央に集つた。朝早くから夜になる迄、房外運動と便所に行く時とを除く外は、終日厚い板張りの上の堅い蓆に坐つた儘滅多に身体を動かすべき機会のない彼等にとつては、どんな小さいチャンスが来ても殆ど反抗的に仰々しく立上つたり、動いたりして停滞した血液を身体の隅々に送るのが気紛らしであつた。立ち上る時看守に知れぬ様にそつと背延びをした者もある。これが為め房内が少し騒ぐと格子の外から終始覗いて居る看守が、
『矢釜しいぞ!』と叱つた。
 一同の席は最初と変らう筈がないMの席は一番後の顔の青白い青年の横だつた。彼れの前に坐つてゐる眼のギロッとした背の高い男は、格子の外の看守が他の房の方へ監視に行くと、後を振り向いて、
『君罪名は?』と聞いた。
『詐欺取財ださうです』とMが答へた。
『連累は?』
『四人あります』
『そいつは長いぞ。まづ予審に半年位かゝるから、君余程しつかりしてゐないと駄目ですぜ』
『えゝ半年!そんなに長く予審がかゝるのですか』とMは驚いて尋ねた。
『かゝりますとも、連累が四人もあれば大丈夫かゝります』
 此の話は極く小さい声で交されたけれど、向ふの隅に網をすいてゐる男の耳に這入つた。
『詐欺なら懲役十年以下だよ』とその男が口を入れた。他の囚人も交る交るMの顔を覗いて罪名を口から口に伝へた。そして誰か一人が隅の方から、
『此房(こゝ)は丸で詐欺と横領の巣窟だね』と言つた。Mの横の青年は只その神経質な青い顔にニヤリニヤリ病的な笑みを浮べてゐた。
 監房は最う暗くなつて間も無く就寝の時が来た。恰度房の裏手らしい稍々遠い所に懶(ものう)さうな汽笛がブウブウと長く鳴ると、看守が『就寝々々』と命令を触れ廻る。それは午後の七時であつた。
 十人の床が五人宛足を突合して寝た。一枚きりの薄い狭い布団を二つに折つて檞葉餅の様にその中に身体を入れる。背の高いMは足を延すと踵(かゝと)から先が布団の向ふに突き出た。
 Mの横には青年が寝てゐた。病身らしい青白い痩せたその身体が昆布巻の様に布団にくるまつてMの身体に密着してゐた。Mは青年の後頭部の汗臭い匂を嗅いだけれど、その身体からは何の体温も伝つて来ない。まるで温りと言ふものゝ無ささうな青年のその身体の寝姿が石塔を横に倒してでもあるとしか思へなかつた。
 ふと青年がMの方へ向き直つて小さい稍々震へを帯びた声で、
『あなたは詐欺取財ださうですね、私は横領ですよ』と言つた。死んだ様な暗い静かな房内にその声が何者かの細い呻きの様に響いて、やがて又シーンとした。
『横領?業務上ですか、それとも普通の横領ですか』とMが訊いた。
『業務横領です。父が長い間病気をして薬代にも困つてゐるのを見るに見兼ねて、店の物を二三回持つて帰りましたら、こんな事になりました』
『では君は何所かの番頭でもしてゐたのですね』
『えゝ○○町の○○呉服店に小さい時から居りました』と青年は答へて暫く口を噤んだ後、
『それから私は肺病です。私の父もさうですが……併し極く初期で、咳なども滅多にしませんけれど、伝染するつて併のものが厭ひます。私は此の房の厭はれ者です』と言つた。と急に又向ふへ弛(だる)さうに寝返りして深い溜息を三四回ついた。
 不思議にもその夜のMは好く眠つた。予審に半年もかゝると言はれた事や、懲役十年と言はれた声が、堅い塊のやうになつて彼れの心の底に滞つたけれど、昼間の疲れが一時に発したと見えて、心も身体も布団の綿に吸ひ取られるやうに感じつゝ、何時の間にか深い眠りに落ちた。
 彼の横の青年は時々うなされたり、身体をビリビリ震はせたりしてゐた。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、二文字以上の踊り字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?