連合赤軍事件研究No.9
能敬・小嶋両名への暴行が終わると、血まみれになった小屋の掃除を行った。
同志的援助
後片付けがひと段落すると、全体会議が開かれ、
問題のあるメンバーへの暴行に参加することは、当該メンバーだけでなく、自分自身の問題とも向き合うこととなる―この『同志的援助』は、メンバーたちにとって免罪符となった。この事件の根幹にかかわることである。
森の発言後、メンバーがおのおの発言した。吉野は過去の浮気について告白した。この発言を受けて、彼の内妻・金子は別れると言い出した。この発言は後に彼女への批判に利用されることとなる。
森は、なかでも岩田の発言を評価し、「若いころの自分に似ている」とまで言っていたが、彼が脱走第一号となるのである。
革命左派の川島との決別
同志的援助についての全体会議が終わると、指導部会議が再開された。
森は、
と革命左派メンバーに川島との決別を要求した。元々川島に不満を持っていた永田はすぐ賛成し、それに引きずられるように寺岡と吉野も賛成した。
最後まで躊躇したのは坂口である。彼にとって川島は直接の先輩であり、崇敬の念が強かった。すると永田らは
と脅迫に近い形で求めた。結局坂口は追い詰められ、
と決別を受け入れた。
こうして森は革命左派の取り込みに成功した。さらに永田に嘘の報告をさせ、川島はまんまと二か月間騙されることとなる。
旧赤軍派への結集指示と小嶋への偏見
このあと、森と永田は新倉ベースにいる旧赤軍派メンバーへの処置をどうするか話し合った。
森は「遠山らは総括した」と報告していたので、永田は総括できたのだと思っており、当然新党を結成したのだから榛名ベースに集まるものだと思い込んでいた。しかし、森は
と迷っていた。
新倉ベースでも総括を行っていたが、あくまで銃の訓練や自己批判をさせるだけで、暴力までは持ち込んでいなかった。榛名ベースで暴力を持ち込んでしまった以上、新倉ベースの旧赤軍派メンバーは遅れており、特に問題を指摘されていた遠山・行方・進藤への暴行は既定路線であった。実際、その通りになる。
坂東・寺岡・山本らが旧赤軍派メンバーを迎えにでると、森は永田に小嶋を見張るように命じた。永田が何も言わないでいると、
こうして小嶋も縛られることとなった。
すでに何度か記してきたが、森の小嶋に対する評価は偏見に満ちている。彼女の活動歴や精神状態(印旛沼事件に関与させられ不安定になっていた)から”精神の病”と決めつけたわけであるが、この偏見は彼女の死まで続くこととなる。
尾崎への追及
能敬・小嶋への暴行のあと開かれた全体会議において、森は尾崎を追求した。能敬への暴行の際尾崎が「よくも俺のことを小ブル主義者といったな!」と発言したことが同志的援助ではないという批判から、Kに銃の隠し場所を教えたことなど彼の過去の活動へと攻撃対象が広がっていく。追い詰められた尾崎は、
と告白した。すると、森は、
と怒鳴りつけた。尾崎は条件反射のように炬燵から離れて、指導部の近くの板の間に来て正座した。
尾崎はそのまま翌12月29日の昼まで正座し続けていたが、森は彼の総括態度を認めようとはしなかった。そして、驚きの提案をするのである。
忙しく、一年以上ぶりの更新となってしまった。もう更新を諦めたこともあったが、桐島聡と名乗る男が出頭してそのまま病死するなどの事件もあり、再び筆を執ることにしたのである。
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