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連合赤軍事件研究No.9

能敬・小嶋両名への暴行が終わると、血まみれになった小屋の掃除を行った。

同志的援助


後片付けがひと段落すると、全体会議が開かれ、

最初、永田さんが、
「加藤を殴ったのは、”同志的援助”であった」
と言い、各人が共産主義化を勝ちとるために頑張らなければならない。
次いで森君が、
「加藤に対する殴打は、彼の総括を促すための援助であった。彼が気絶しなかったのは、同志に心を開かず、自分を守ろうとしたからだ。みんなもそれぞれの総括を深化させなければならない」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
265ページ

問題のあるメンバーへの暴行に参加することは、当該メンバーだけでなく、自分自身の問題とも向き合うこととなる―この『同志的援助』は、メンバーたちにとって免罪符となった。この事件の根幹にかかわることである。
森の発言後、メンバーがおのおの発言した。吉野は過去の浮気について告白した。この発言を受けて、彼の内妻・金子は別れると言い出した。この発言は後に彼女への批判に利用されることとなる。
森は、なかでも岩田の発言を評価し、「若いころの自分に似ている」とまで言っていたが、彼が脱走第一号となるのである。

革命左派の川島との決別


同志的援助についての全体会議が終わると、指導部会議が再開された。
森は、

「すでに”われわれになった”ことを確認し、指導として殴ったことから、共産主義化は新しい地平に到達した。その責任を負っていくためにも、川島に対する訣別が必要である。銃の観点を持たない川島とは闘うべきである」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
267ページ

と革命左派メンバーに川島との決別を要求した。元々川島に不満を持っていた永田はすぐ賛成し、それに引きずられるように寺岡と吉野も賛成した。
最後まで躊躇したのは坂口である。彼にとって川島は直接の先輩であり、崇敬の念が強かった。すると永田らは

「川島と手を切るべきだ!」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
267ページ

と脅迫に近い形で求めた。結局坂口は追い詰められ、

「川島らは分派活動をしている。彼等には銃口を向けなければならない」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
268ページ

と決別を受け入れた。
こうして森は革命左派の取り込みに成功した。さらに永田に嘘の報告をさせ、川島はまんまと二か月間騙されることとなる。

旧赤軍派への結集指示と小嶋への偏見


このあと、森と永田は新倉ベースにいる旧赤軍派メンバーへの処置をどうするか話し合った。
森は「遠山らは総括した」と報告していたので、永田は総括できたのだと思っており、当然新党を結成したのだから榛名ベースに集まるものだと思い込んでいた。しかし、森は

「だって、そうだろう。南アルプスの者ははるかにおくれてしまったのに、この三人(遠山・行方・進藤)は南アルプスの他の者より問題を抱えているのだ。榛名ベースの者からみれば、総括できたといえないじゃんか」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
184ページ

と迷っていた。
新倉ベースでも総括を行っていたが、あくまで銃の訓練や自己批判をさせるだけで、暴力までは持ち込んでいなかった。榛名ベースで暴力を持ち込んでしまった以上、新倉ベースの旧赤軍派メンバーは遅れており、特に問題を指摘されていた遠山・行方・進藤への暴行は既定路線であった。実際、その通りになる。
坂東・寺岡・山本らが旧赤軍派メンバーを迎えにでると、森は永田に小嶋を見張るように命じた。永田が何も言わないでいると、

「小嶋がガラス戸を見ているのは、ガラスを破って外に逃げようとしているからだ」
「そんな…」
「それでは、そういうことをしないと断言できるか。階級闘争の最先端で闘ってきた我々は、常に革命か反革命かが鋭く問われており、共産主義化の地平ではなおさらだ。小嶋がガラス戸を破って外に逃げようとしているのを見抜けないようでは、共産主義化の地平では指導できないぞ」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第11章 新党の結成と死の総括
185ページ

こうして小嶋も縛られることとなった。
すでに何度か記してきたが、森の小嶋に対する評価は偏見に満ちている。彼女の活動歴や精神状態(印旛沼事件に関与させられ不安定になっていた)から”精神の病”と決めつけたわけであるが、この偏見は彼女の死まで続くこととなる。

尾崎への追及


能敬・小嶋への暴行のあと開かれた全体会議において、森は尾崎を追求した。能敬への暴行の際尾崎が「よくも俺のことを小ブル主義者といったな!」と発言したことが同志的援助ではないという批判から、Kに銃の隠し場所を教えたことなど彼の過去の活動へと攻撃対象が広がっていく。追い詰められた尾崎は、

「僕は上赤塚交番襲撃闘争の前に、柴野さんに参加するよう言われながら日和ってしまい、柴野さんを死なせてしまいました」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
275ページ

と告白した。すると、森は、

「お前は炬燵の中に入っている資格があるのか!」

坂口弘『あさま山荘1972(下)』
第21章 暴力による総括と最初の犠牲者
275ページ

と怒鳴りつけた。尾崎は条件反射のように炬燵から離れて、指導部の近くの板の間に来て正座した。
尾崎はそのまま翌12月29日の昼まで正座し続けていたが、森は彼の総括態度を認めようとはしなかった。そして、驚きの提案をするのである。

忙しく、一年以上ぶりの更新となってしまった。もう更新を諦めたこともあったが、桐島聡と名乗る男が出頭してそのまま病死するなどの事件もあり、再び筆を執ることにしたのである。

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