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連合赤軍事件研究No.5

永田ら革命左派メンバーが始めた遠山批判。森はこの批判に飲み込まれ、過激化していく。

森による遠山批判と行方批判


赤軍派メンバーが遠山を総括させると宣言した翌日の12月6日、両派は射撃訓練を行った。見張り役と射撃場の中継役を任された永田は小屋にいた。すると、訓練の途中で遠山が戻ってきた。

「お腹のところに銃を持って撃ったが、その反動でお腹を打ってしまったので戻って来た」
といった。
しかし、遠山さんはストーブにあたって話をするだけで横になるわけでもないので、私は、戻るほどのことだったのだろうかと思い、
「2・17闘争(革命左派による銃砲店襲撃事件)の銃と弾を使った実射訓練を軽視しているからお腹をうち、しかも戻ってこなくともよいのに戻って来たんじゃないの」
と批判した。これに遠山さんは何も言わなかった。

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第九章 共同軍事訓練
99ページ

この日の夜に行われた会議では射撃訓練の感想を共有したが、赤軍派メンバーが遠山が訓練の途中で小屋に戻ってしまったことを批判した。永田はこの批判に便乗し、小屋でのやりとりを語ってさらに追及した。しかし、この追及はいつの間にか遠山の過去の活動内容に変わっていた。
なかでも森が強く追及したのは、赤軍派幹部の高原との結婚についてだ。

「どうして、高原と結婚したんや」
と質問し、遠山さんが答えないでいると、鋭い口調で、
「おまえは高原と結婚する前は消耗してあまり活動しなかったのに、結婚したら急に活動するようになったが、あれはどういうわけや!」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第九章 共同軍事訓練
100ページ

森の激しい追及に他の赤軍派メンバーも同調し、遠山の過去の失敗(オルグ失敗や労働者の質問に答えられなかったこと)も槍玉にあがる。このなかで、森は行方への批判も開始した。

「行方、おまえは遠山が腹をうって小屋に戻ろうとした時、止めようともせず一人で帰れるかと心配し送っていこうとしたが、これをどう総括しているんや」

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第九章 共同軍事訓練
101ページ

行方はこの批判に考え込んでしまった。この様子を見ていた永田は行方氏は頑張っているのにと弁護しようとしたが、森に「赤軍派のことだから黙っていてくれ」と言われて口をはさめなかった。

森の涙


翌朝は共同軍事訓練の最終日だった。
両派はそれぞれ代表者を出して射撃させた。革命左派は「最近頑張っている」という理由で岩田と大槻を、赤軍派は実技にたけている坂東と植垣を代表とした。両派の違いはここにも現れている。
代表者射撃が終わると、共同軍事訓練の総括会議を行った。森は革命左派による交番襲撃事件や銃砲店襲撃事件を称賛し、

「人の共産主義化は人と銃を意識的に結合させて行わなければならない」
と発言した。しかしこれが何を意味し、何をみんなのうえにもまたらすことになるのか、私には想像もつかなかった。

坂口 弘『あさま山荘1972』(下)
第19章 共産主義化論の登場
200ページ

この発言ののち、森は自らの過去の活動内容についても語った。その内容がが他党派との内部ゲバ直前に戦線離脱したことに及ぶと、突然調子が崩れた。泣き始めたのである。この森の涙に他のメンバーも感激し、全員でインターナショナルを歌い、両派の一体感は高まった。
しかし、革命左派の永田と坂口はこの森の涙の意味がよくわからず、戸惑ったと書いている。森の涙の理由を、永田は

…それは、共産主義化によってそれまでの森氏自身の孤独からの動揺を抜け出せるばかりか、革命左派をオルグし解体し吸収・統合する自信をもったからではないだろうか?

永田 洋子『十六の墓標』(下)
第九章 共同軍事訓練
105ページ

と書いている。自身の主張だけなく、森の手記も研究した坂口はこう解説している。

…森君は”銃による共産主義化論”によって、自分の屈辱的な過去を総括できると思い、感激のあまり落涙したのではないかと思われる。

坂口 弘『あさま山荘1972』(下)
第19章 共産主義化論の登場
202ページ

この日の夕方、永田・坂口を除く革命左派メンバーは帰路についた。
朝倉ベースに残った永田・坂口は森と新党設立の協議を行った。この協議も森のペースで進められ、坂口はさっぱり理解できなかったらしい。
一方、永田は森に絶対的な信頼をよせた。のちに彼女のことを植垣は「チェーホフの『可愛い女』そのものである」と評している。自分の意見はなく、自分を守ってくれる男性に心酔し、その意見をそのまま自分の意見と思い込むのである。当初その相手は川島豪であったが、このころには獄中から一方的な指示ばかりだすので永田も嫌気がさしていた。坂口はまだ川島に心酔していたし、共同軍事訓練前に森と「中国は核兵器を使用するかしないか」論争で敗れていた。この永田による森に対する絶対的な信頼が事件を左右することとなる。


植垣の大槻への恋

そのころ、榛名ベースへ帰る革命左派メンバーを見送りにでた植垣は恋を自覚し始めていた。相手は大槻である。
植垣には赤軍派の恋人がいたが、その女性が逮捕されてしまっていた。そのため、革命左派のキャンプに泊まったときに永田や金子に痴漢行為をしてしまい、共同軍事訓練では自己批判させられていた。
大槻にたいしては、出会いのとき、「どこのかわいい子ちゃんなんだ、来る場所をまちがえたんじゃないか」と思っていたが、共同軍事訓練で一緒に過ごすうちに恋愛感情を持つようになったのである。
見送った日、赤軍派メンバーも一緒に泊まることとなった。後片付けを終えた植垣が寝ようとしたところ、空いているのは大槻の隣のみだった。植垣は危ういなと自覚していたが、やはり隣で寝始めると我慢できなくなり、大槻に触れてしまう。

私は、大槻さんの耳や鼻や唇に触り、そっと接吻した。唇を離してから、首を撫でた。…胸に手をやると、大槻さんの手があったので、その手を握った。…
私は、再び接吻し、そのままでいた。

植垣 康弘『兵士たちの連合赤軍』
第六章 赤軍派と革命左派による新党結成
263ページ

翌朝大槻は怒っていたが、別れる際には機嫌が直っていた。植垣は他党派の大槻との結婚は難しいということはわかっていたが、また彼女に会える日を楽しみにしていた。

革命左派の遠山批判は服装や態度など現在の問題を批判するものだったが、森は問題点を過去の活動にすり替えた。これはいわば『事後法』を当てはめたのである。この『事後法』を当てはめたところ、行方も連合赤軍兵士に不適格となったので追及をはじめたということらしい。このことは行方だけでなく、メンバーたちを追い込んでいくこととなる。
森の涙は、彼がこの後求めることとなる『共産主義化』のモデルとなったようである。たしかに彼の活動内容は褒められたものではなかった。『共産主義化の理論』を生み出したことで、そのコンプレックスを払拭できると考えたのであろう。しかし、永田や坂口もその涙の真意がわかっていなかったし、下部のメンバーたちとすれば彼の雰囲気にのまれたというものが実感に近いと思われる。森本人も自覚なかったが、この共同軍事訓練は軍事訓練ではなく、総括のデモンストレーションだったのである。
まがまがしい雰囲気の永田・坂口の手記にくらべ、植垣の手記は明るい部分が多い。特に今回取りあげた大槻への愛の箇所は、青春らしいところである。しかし、これ以後の手記は永田・坂口の手記に近づいていくこととなる。


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