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5分でわかる三バカ大将の歴史

以下は、2013年4月7日(はからずもちょうど10年前!)神戸映画資料館で開催したトークイベント「第3回コメディ学入門」のハンドアウト資料として作成したものです。三バカ大将(The Three Stooges)の歴史が5分くらいでだいたいわかると思います。探し物をしていて偶然見つけました。

今年1月の神戸クラシックコメディ映画祭2023で、三バカ大将の短編集プログラムを組み、ほぼ満場のシアターでみんなで大爆笑いたしました。そこでファンになってくれたみなさまにもご興味のあるところだと思うので、転載しておきます。何の役にも立たない情報かとは思いますが(笑)どうぞ。

(なお当時は「3ばか大将」の表記を個人的に使っていたのでとりあえずそのままで転載します。今年クラコメで上映の際は、ファレリー兄弟作品名に合わせて「三バカ大将」を用いましたが、日本での表記にはゆれがあるようです。1960年代の日本のテレビ放送では「三ばか」と「3バカ」の両表記がされていました。)



第3回 コメディ学入門ハンドアウト 2013.4.7

5分でわかる3ばか大将の歴史


1895年  シェンプ・ハワード誕生(本名サミュエル・ホーウィッツ)
1897年  モー・ハワード誕生(本名モーゼス・ホーウィッツ)
1902年  ラリー・ファイン誕生(本名ルイス・フェインバーグ)
1903年  カーリー・ハワード誕生(本名ジェローム・ホーウィッツ)

1905年頃  母親の好みで長く伸ばしていた髪を、モーが切る。連日同級生にからかわれて大喧嘩するのに疲れたため。のちのおかっぱ頭の原形が生まれる。

1910年頃 ラリーの父親が経営していた薬局で、ラリーが腕に酸による大やけどをおう。筋力回復のためバイオリンのレッスンを始める。

同じ頃  シェンプとモーの兄弟はショウビジネスに憧れる。

1914年  モーは夏の間ミシシッピー川の遊覧船で劇団員として働く。

同じ頃  シェンプの夜尿癖が治らない。

1915年  シェンプとモーの弟カーリーが自宅でライフル銃を掃除中、あやまって自分の左足首を撃つ。モーが病院へかつぎこみ一命をとりとめるも、足にわずかな後遺症が残る。

1921年  モーの幼なじみテッド・ヒーリーが売れっ子ヴォードヴィリアンになる。モーはヒーリーと再会。ヒーリーに誘われて寄席に出演し始める。

1923年  ヒーリーのパフォーマンス中、客席にいたシェンプが野次をとばして飛び入りする。ヒーリーがシェンプを芸人として雇う。

1925年  モーは家族を養うため、芸人を辞め不動産業に転身することを決心する。後継にラリー・ファインが加入。ポマードで固めていた髪をモジャモジャヘアーにすることが条件。

1926年  モーが舞台に復帰。

1930年  「テッド・ヒーリーと3ばか」一座が初の映画出演。『SOUP TO NUTS』(フォックス)。

1932年  ヒーリーが大酒を飲む。うんざりしたシェンプが脱退。
同年  カーリー加入。体重を増やし坊主頭になることが条件。

1934年  ヒーリーが3ばかに給料を払わない。うんざりした3人はヒーリーと決別してコロンビア社と契約。
同年  3ばか大将の初主演短編映画『WOMAN HATERS』公開。以後、1958年までに合計190本の短編映画を生み出す。

1937年  テッド・ヒーリー死去。享年41才。

1938年頃  シェンプがソロコメディアンとして映画界で活躍。

1940年  『YOU NATZY SPY!』でモーがヒトラーをパロディした“独裁者”を演じる。ハリウッドで最初に公開されたヒトラー諷刺映画。

1945年  カーリーの元気がない。

1946年  『HALF WITS-HOLIDAY』撮影中にカーリーが倒れる。

同年  心臓を悪くしたカーリーが3ばか大将を脱退。療養のため引退する。

同年  シェンプがソロのキャリアをなげうち、3ばか大将に復帰する。以後73本の3ばか映画に出る。

1947年  『HOLD THAT LION!』にカーリーがカメオ出演。ハワード3兄弟唯一の共演作となる。髪の伸びたカーリーが見られるのもこれだけ。

1949年  テレビ版3ばか大将のパイロット(試作版)をテレビ局ABCに売り込むも失敗。

1950年頃  カーリーの病状が悪化。モーの呼びかけにしか反応しなくなる。心療科専門の病院へ転院をすすめられるが、モーは拒絶。

1952年1月18日  カーリー・ハワード死去。48才。

1955年11月22日  シェンプ・ハワード死去。60才。一日競馬場で楽しく遊んだ帰り道、シェンプはタクシーの中でジョークを言って友だちを笑わせ、たばこに火をつけた。次の瞬間、友だちのひざにがっくり倒れたシェンプは、すでにこときれていた。

1956年  ジョー・ベッサー加入。モー、ラリーとともに16本の短編に出る。

1957年12月20日  コロンビアが短編映画部門の閉鎖を決定。3ばか大将との24年間にわたる専属契約がついに終わる。

同年  ジョー・ベッサー脱退。妻の病気看護のため。

1958年  コロンビアが3ばか映画の放映権をテレビ局に売る。たちまち爆発的ヒット。コロンビアはボロ儲けしたが3ばか大将へのロイヤリティは一銭もなかった。

1959年  3ばか大将の復活。ジョー・デリータが「カーリー・ジョー」の名で加入。

同年  3ばか大将初めての主演長編映画『HAVE ROCKET, WILL TRAVEL』公開。愉快なSFコメディ。以後、5本の長編作品に主演する。

1963年  『おかしなおかしなおかしな世界』出演。『テキサスの四人』でディーン・マーティンと共演。

同年  日本で3ばか映画のテレビ放映開始。日本テレビ系列で「三ばか大将」のタイトルで日曜の夜7時放送(~64年11月)。吹替えは、カーリーを和久井節緒、モーを藤岡琢也、ラリーを江幡高志が担当。

1965年  アニメーションとカラー実写映像を組み合わせた「THE NEW THREE STOOGES」放映。ウィキペディアによるとテレビ東京で放映されたことがあるらしいが、詳細は不明。

1969年  テレビのレギュラー放映をめざして「KOOK'S TOUR」のパイロット版を作る。引退した3ばかが世界を旅するという設定のセミドキュメンタリー。最後にモーが「次回の旅は日本です。サヨナラ」と言っている。


1970年  「KOOK'S TOUR」撮影中にラリーが心筋梗塞で倒れる。身体の一部にマヒが残り、引退を余儀なくされる。モーはショックを受ける。「KOOK'S TOUR」もキャンセル。

1970年以後  モーはテレビのトーク番組に出たり、大学の講演ツアーに出たりする。

1975年1月24日  ラリー・ファイン死去。72才。

1975年6月19日  モー・ハワード死去。77才。

1977年  モーの自伝『MOE HOWARD AND THE THREE STOOGES』出版。死の直前までモーが書いていたものを娘ジョーンが完成させた。3ばか大将の重要文献のひとつになっている。

1980年代  マイケル・ジャクソンが3ばか大将の熱烈なファンであると公言。

1985年  団しん也が全吹替えを担当した「スーパーギャグビデオ 3ばか大将」Vol.1~3発売。現在は中古ビデオのみ入手可。

1998年  3ばか大将オフィシャルウェブサイト開設。http://www.threestooges.net/

2000年  3ばかの大ファンであるメル・ギブソンがプロデューサーをつとめた伝記TVドラマ「THE THREE STOOGES」放送。

2003年  アメリカでドキュメンタリー「3ばか大将75周年記念スペシャル」放送。ホストはウディ・ハレルソン。

2007年~2010年  3ばか大将の全短編作品を収録したDVDボックスセット「THE THREE STOOGES ULTIMATE COLLECTION」発売(リージョン1)。

2012年  ファレリー兄弟監督『新・三バカ大将 ザ・ムービー』公開。
2013年  同作が日本でDVD発売される。

同年1月  失われていた1932年の出演作『HELLO POP!』(MGM作品)の35ミリフィルムが発見される。きわめて鮮明なテクニカラーで保存されており、現在修復作業中。これにより、3ばか大将出演作のすべてを未来へ残すことができるようになった。

3ばか大将 フォーエバー 

Nyuk. Nyuk. Nyuk. 




モー カーリー ラリー
『モーの独裁者時代』(You Nazty Spy!  1940)
ラリー モー シェンプ
ラリー ジョー・ベッサー モー


ラリー モー カーリー・ジョー


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