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私のnoteに対しての勘違い

皆さんお疲れ様です。

私がnoteを始めたきっかけは何度も言うように
『会社の愚痴』から始まりました。

この時の私は文章を皆さんに読んでもらうと言うよりは自分のストレス発散の手段であり、自分の為でした。

それから
文を繋げて文章にすることを約1年間も続けました。
よく続いたなぁと自分でも感心しています。

当時noteを始めたばかりの私と
今の私では考え方がかなり変わりました

note初心者の私

noteという媒体を通して
自分が会社の愚痴をスラスラ書けている

文章を書く才能があるのではないか?
そんな勘違いをしていました。

でも、初心者には変わりはない
本屋さんで『文章術』『ライティング』関連の本を数冊買いWebメディアの基本や常識を知るため、読みました。

どの本にも共通して
『シンプル、完結に短い文章で伝える』
これが1番大事だと書かれていました。

その時、私は呆れました。
『こんな、当たり前のことを誰でもわかる。』
文字で飯を食ってるプロ作家がこんな事を
本に書いて儲けてるなんてWebメディアは楽なんだなと

同時に私はこんなことまで思っていました。
『文が読まれないのは、
自分の責任ではなく読む側の読解力のなさが原因』

こんな的はずれなことすらも
当時は本気で考えていました。

とにかく、最初の『シンプル わかりやすく 完結』など
当たり前の事が書かれていたのをきっかけに書いてある大事なことを全て悪い方向に考えました。

自分の為に書くという意義もありましたから
自分中心で考えているのが分かります。

そして、文章は読まれるもの
映画と同じ感覚で見ていました。

映画はチケットを買って席に座ってしまえば
つまらなかったとしても最後まで見ますよね?

文章は読み始めれば最後まで読んで貰えるものだと
勘違いをしていたのです。

私が書いているのは会社の愚痴
読んでくれれば共感も集まりそうだし、
フォロワーも増えると考えていた。

何もかも思い込みが逆だった

自分のための文章から
相手のための文章へ

全ての考えが幼稚であった。
そもそも文章は読む側が
面白いと思わないと読まれない

映画の話でいえば
文章は面白くないと思えば途中離脱が
いつでも可能なコンテンツだ。

そういうことが分かれば必然と
『シンプル わかりやすく 簡潔に』
これがどれだけ大事か分かるはずだ。

読解力は書く側が配慮して作るべきだ
難しいと思われたらそこで試合は終了。

読む側の問題なんてのは言ってられない
というより言える立場じゃない。

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