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一部の意見を全体かのように煽る人々

日本人ってのは世界の常識から外れてる
オヤジはみんなキモい

これらが普段は人権やハラスメントに対し意見をしている人の口から発せられると、なんだかなぁ〜と思わずにはいられない。

常識から外れた政治家や著名人もいるだろう、それが日本人を代表するものではないのは明白だ。

キモいオヤジもいるだろう。しかし全体へと拡げてしまえば、それもまたハラスメントである。

ソーシャルメディアとはパーソナルメディアの集合体だ。個人がメディアを手に入れ「声なき声」を代弁する人がいなくとも意見を募り同調者に拡げることができる時代となった。

しかし、所詮はパーソナルメディアである。数百RTされたところで、それが世論を代表する意見のはずもない。

twitterはフォローしている人によってタイムラインが変わるのだが、人は自分のTLこそtwitterであり、そこに書いてあることが世論だと思い込む傾向にある。

そして数十人のいいね!があれば、我が意を得たりと主張に拍車が掛かる。

やがてレッテル張りが横行するのだ。

差別というのは一部の事象を全体かのように表現し、該当する人々に当てはめようとすることから始まる。

主義主張の手段を手に入れ、それを使い表現したいのだろうが、自身の主張と違うことを言われるとつい熱くなり反論までして、後日冷静になってから頭を抱えることはないだろうか。

炎上している事象をバッシングするために誰かにレッテルをはるのは同根である。

インターネット歴が長い人は直ぐに飛びつかず、ひと呼吸置いてから参戦する。そういう人をフォローしておくと冷静かつ客観的な意見を見ることができるから試してみて欲しい。

また、偏った考えか否かのバランスを取るために趣味のサブ垢持つことを提案したい。
例えば私はベガルタ仙台アカウントを持ってるが、燃え盛るTLから一歩退き冷静になるために重宝しいてる。

そこには世論と思っていたことが驚くほど流れて来ないからバランスが取れるようになるのだ。

勢い余って発信してしまえば、自らにも「そういう人だ」とレッテルをはるようなものである。少しだけ落ち着いてみてはどうだろう。

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