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謙遜の美徳 と 傲慢さと見られる正義感

虎に翼 今週もバリバリ進んでますね!
穂高先生の最高裁判事退任祝賀会での一幕は
色々と手を回して 先生とのわだかまりを解こうとした先輩方と
穂高先生ご自身の顔に 泥を塗ったという意味では
「何様だ?」とか「だから女は」と言われがちで
傲慢と取られるのかも知れません が。

自分に女子部を勧めて 法律を学ぶ楽しさや厳しさを教えてくれた先生と生徒
恩師と弟子であるからこそ「尊敬して感謝もしてる」けど「許せない」のです。
それを直接 本人にぶつけることのできる間柄なのが
先生が寅子を愛している(可愛がるという意味での師弟愛ですよ)ところですし
だからこその 先生の「ダァー!!!」みたいな声だったのかな、と。
「謝ってもダメ、あれもダメ、これもダメ、私は一体、どうすれば?」と
先生が仰るのも分かる。
それを「時代のせい、男女の性差のせい」と括ってはダメですね。
即効性のある 特効薬みたいな解決策は有りませんから
何が必要かと言えば やっぱり「対話」でしょうかね。
男と女の違いは有るのですから それを それぞれ理解しようとする力と
男女の違いだけじゃなく 個人個人の違いを認め合いながら
それでも「敵じゃないよ、互いに分かり合った方が メリットが有るかも
知れないから 話し合おうよ」という姿勢を貫く、とかね。

ともすれば 女であるというだけで
慎み深く 謙虚で謙遜するのが当たり前、と言われるのが
つい最近までの 日本の世の中でしたが
昔から 生意気と言われようが 傲慢と言われようが
「おかしいことは おかしい」と「間違っていることは 間違っています」と
言い続ける人はいた筈ですし、それが女性であろうと無かろう
「人として 見逃せないことは見逃せない」のです。
ある意味で 正義感 なのかも知れません。

非行少年の幸せのために 自分の家庭を犠牲にしている寅子の姿は
今も昔も 働く母「ワーママ」にとって 何も変わっていませんし
子供が「自分がいるせいで ママがキラキラしない」と心を痛めている姿には
ショックですが 我が子が非行に走る前に気がついて欲しいな。

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