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子どもを持つ、持たないを通して見えるもの

NHKの あさイチで
「子供のいない人生の生き方」というテーマをやってました。

こう言っちゃぁ 身も蓋もないけれども
結婚してる夫婦にとって 子供が居ようが居まいが
他人も身内も とやかく言うて良いわけ無い ですわな。
そもそも結婚しない人生があっても良いのです からね。

夫婦二人で話し合って
子供は欲しいな、と思う人たちは不妊治療を頑張るのもありだし、
私たちの人生に 子供は必要ないかも、という人たちが 居ても良い。
良いんですよ、だって 自由ですから。
親といえども 夫婦で話し合ったことに 口を出してはいけないと思う。

NHKの夜ドラで「燕は戻ってこない」もやってるから
色々な「子供を欲する理由」があって 恐怖さえ感じているのだけれども。

なんて不条理な社会、理不尽な世の中なのだろうか、と思う。
一見 自由な、なんでも出来そうな世の中だし、時代だというけれども
女性の置かれた状況は 100年前と何も変わってないし
今も 不条理は続いている。
女は 子供を産む道具としてしか 考えていない人も 未だ存在する。
特に保守派と呼ばれる 国会議員なんて その権化だし。

結婚すれば 相手の親が 子孫を残して当然と言う。
私は「結婚して3年 子ナシは離縁」と言われました。
子供に障害があると分かったら「嫁の遺伝子が悪いからだ」と言われました。
ふざけんな、遺伝子の影響は 半分半分だわ。
「子供を産んで一人前」だの、「子供は3人産まんと女とは言えん」だの
余計なお世話だわ、と思うので ござる。
病気で入院中には 初対面の婆さんたちが当たり前のように 上記の言葉を
投げつけてくるのですよ。失礼 極まりない。
だから こちらも「そんなデリケートな話題を 初対面の私に向かって
当然のように言うのは失礼ですよ。嫁や娘に言えないことを 私にぶつけて
発散するのは辞めて下さい、傷に障ります。」と返しました。
嫁と同じような年齢の女に言い返されたことも無かったのか、
鳩が豆鉄砲 喰らったような顔してました。
一度や二度じゃなかったですよ。
(病室変更して貰ったこともある。だって 長期入院なんだもの。)

最近になって 声をあげよう、話してみよう、という「風が吹いてきた」けれど
まだまだ 何となく気不味い雰囲気があるんだろうな、と感じる。

子供が何人居たって、老後の不安なんて変わらないです。
コロナ禍前の手術入院だったので 家族が入れ替わり立ち替わり
入院しているお婆さんたちの所へ見舞いに来ていたけれども
誰も 退院後に「家へ来て療養しなよ」と言ってませんでした。
「退院後に ご家族がご飯の用意とかしてくれますか?」と聞かれて
「誰も(いない)」と言っている人が多かった。
「子供たちは それぞれ家を建てたり 遠くで暮らしていて 誰も田舎の
私のために 仕事を休んでまで面倒を見てくれない」と こぼしあっている
お婆さんたちが圧倒的だった。
お爺さんたちは もっと悲惨だったようです。
談話室にいるお爺ちゃんたちには 見舞いの人もいなかった。
様々な病気で手術したり入院したりしてるけど 退院後の行き先は
直接 介護施設や老人施設だったり。
田舎の家を どうやって処分しようか。
売れなかったら 施設の費用は誰が出すのか 言い争う声も聞こえていました。

子供を産んだからって、老後の面倒を見させるなんて考えちゃダメです。
子育ての目標って 何でしょう?
子供が自立して生きていく、子供が自分の人生を歩めるように考えて支えること
では無いのでしょうか?
私の親は そんな人たちでは有りませんでしたし、
今も「育ててやったのに、恩も知らない」と平気で言うような人たちですが
子供として覚悟して 親の近くに住んで 親の経済的、身体的な介護をしつつ
人生を送るので 実感しています。
こんなの、望んだ人生じゃないって。
恩を売るような人生、望まないです。恩を売られるのも お断りです。

田舎ですら これだけ横のつながりが壊れて
コミュニティなんて崩れている現実を 目をそらさずに
見つめなくちゃダメでしょう。
これからは もっと孤立も増えます。
でも 孤立せずに横のつながりを新しく作れるのも
自分らしく生きてこそ、だと思います。

サポートありがとうございます。自分の時間をゆっくり作り出すために、遠慮なく使わせて頂きます🙇‍♀️。