里菜ちゃんのこと byごうすけ

里菜ちゃんが「私が勝手にメンバー紹介をします!」と宣言して、みんなを紹介してくれている。

彼女が書いたメンバー紹介は、一人ひとりの性格の特徴をピンポイントで掴み取り、軽やかな文章で読むものを引きつけ、適度に愛のある「いじり」を加えつつ、最後にはオチをつけて読者の笑いを取り、誰も傷つけずに楽しい気分にさせる、といったかなり高度な文章力を要求される見事な代物、もはや文学である。

そしてその反響は控えめにいってもかなり好評であり、彼女の文体からは「愛の眼差し」と「親しみやすい剽軽さ」が見え隠れしているので、メンバーは見事、里菜ちゃんにすっかり惚れ直している。(なんてことだ。)

そして読者の皆さんもメンバーと同様に、あるいはそれ以上に里菜ちゃんに対して好感を持ったのではないだろうか。(な、なんてことだ。)

ここまで彼女の思惑通り、というところだろうか。これを計算ではなく天然でやってのけているのだから、なんとも末恐ろしい、人たらしの天才である。他者を紹介していると見せかけて「愛のあるいい女」という人柄をちゃっかりアピールしちゃう構図になっているのだ(笑)

なんて憎まれ口を叩いているぼくだが、正直言って里菜ちゃんのパーソナルな経歴はほとんど知らない。だけど、ぼくたちにはいくつかの共通ポイントがある。地元が同じ兵庫県、関西弁、既婚、牡羊座、肌が浅黒い、音楽、絵、文章を書くことが好きetcだ。似ていると言えば似ているのかも知れない。

彼女とは、ウインドイーグルという、素敵なネイティブアメリカンの女性から叡智を学ぶ合宿に参加したときに出会った。そのときの印象は「子どもが大好きなんだなぁ」ということと「なんだか全然大人っぽくないなぁ」ということ。そして彼女に二人の息子さんがいると聞いて「お母さんなの!?」という驚きがあったことだ。(良くも悪くも二児の母には見えなかった(笑))

里菜ちゃんのことをもう少し知れたのは、共創塾のメンバーで皇居奉仕に参加したときだ。地元が近いからか、彼女と話していると、ぼくは自然に関西弁に戻る。(東京に出てきて10年、すっかり標準語に馴染んでいる)彼女のボケに対して容赦なくツッコミを入れても、ひらりと交わし倍返しにしてくるので、そのやり取りが懐かしく、楽しくもあり、無理なく自然体になれた。

さてさて、そんな里菜ちゃんだが、確かに「愛の眼差し」もあるし「愛嬌」もあるし「センス」もある「いい女」「いいお母さん」なのだろうと思う。

・・・でもそれは彼女が皆に見せるほんの一面にしか過ぎないのではないか、とぼくは見ている。

あれはたしか勤労奉仕の最終日だった。皆が奉仕に励んでいるとき、彼女は芝生をウロウロして何かを探している素振りを見せていた。

「どうしたん?」とぼくが近づいていくと、
「え、、」と一瞬戸惑った様子を見せたが、
「眼鏡がないねーん。たぶんその辺に落としたわ。」
とコソコソ打ち明けてきた。
「皆に聞いたらいいやん。引率の人もおるし、聞いたろか?」
と発破をかけると
「え、絶対イヤやわ!そんなんやったら(皆に知られるぐらいなら)新しいの買ったほうがまし!」とそそくさと逃げていった。

つい先程まで皆とアホな冗談を言い合っていた剽軽者とは思えぬ言動である。結局そのあとすぐに眼鏡は見つかったが、ぼくはこのとき彼女の「なにか」を垣間見た気がする。

里菜ちゃんのオトボケ劇場は盆暮れ関係なく年中無休で開演している。奉仕活動も終わり、皆で会場で帰り支度をしているときのことだ。

係の人からアナウンスがあった。なんだか少し戸惑っている様子である。

「えー、女性用の下着を、、トイレに忘れた方、いらっしゃいませんか?」

仮にも天皇皇后両陛下の元へ奉仕にやって来た身分である。トイレに下着を忘れるというのはどういう状況なのか、、、会場の頭上に?マークが浮かんでいた頃、ひとりじっと下を向いている人がいた。皆さん既にお気づきの通り、眼鏡に続き、このブラトップも、炎天下ゆえに汗だくになり脱ぎ捨てられた里菜ちゃんの忘れ物だったのだが、彼女はその場では名乗り出ず、あとでこっそりと受け取っていた。

そして下着を忘れたことに動揺したのか、会場を出る時には荷物が一式入ったスーツケースを置き忘れて、慌てて取りに戻っていた。

じぶん共創塾の洞爺湖合宿でも暴走は止まらない。

手洗いした下着(本人注釈:綿100%のパンツ)を車の後部にひっかけ干していたのをすっかり忘れて、買い出しに車を走らせ、洞爺湖の風に揺れる下着を子どもたちに気づかれ爆笑を誘うという偉業を成している。(他にもエピソードはいっぱいあるが割愛させていただく)

こんな面白い人はなかなかいない。里菜ちゃんの周りにいる人は大人も子どもも、皆いつも笑ってる気がするのだ。まさに愛すべき天然である。しかし当の本人は「なかったことにしてくれ」と言わんばかり、コソコソ恥ずかしそうにしている。

それにしても大人失格レベルのモノ忘れっぷりであるが、これはもはやモノ忘れではないのかもしれないと思う。たぶん彼女は何かを忘れているというよりは、そもそも「興味のないもの」を認知していないのだ。

里菜ちゃんを観察していると、人の話がつまらない(たぶん彼女は話の内容よりもその人が発するエネルギーを聴いている)と判断すると(おそらく無意識で)興味関心レーダーはスリープモードに、ふむふむと相槌を打ちながら段々と別の世界にフェードアウトしていく。その見分け方は、一瞬顔の表情が無表情になり、すぅっと薄い笑みを浮かべているのですぐにわかる。

そのかわり、彼女はじぶんが愛したいもの(とくに子どもたち)には抜群の記憶力と知性を発揮する。合宿の夜、スタッフで振り返りをするときも子どもたちの発言を一語一句覚えていたりするし、アヘアヘ笑ってるかと思えば突然に鋭い指摘をしたりする。

彼女は「愛したい」と心動かされたものに対する貢献力は半端なく強いのだ。日常生活に支障をきたすレベルで没頭してしまうので、眼鏡も下着もスーツケースも置いてきてしまう。彼女の天然っぷりは、愛の代償なのである。(買いかぶり過ぎかもしれない)

そんな里菜ちゃんは生命への愛と、その生命があるがままに生きることに底知れぬ情熱を持っている(そしてその生命の輝きを奪うものに対しては強い怒りがある)から、まさにじぶん共創塾は彼女の没頭力を存分に発揮する場になると思うし、彼女はこれからも、いらないものは軽やかに脱ぎ去り、忘れていくと思う。(※下着は履いてほしいけどね)

最後になるが、里菜ちゃんはよく泣く。美しいものに触れるとすぐ泣いてしまうのだ。合宿中は毎晩のように、参加者たちの成長に感極まって泣くのが定番になっていた。あんなにもすっと感情を出せるなんて、僕は内心ちょっと羨ましかった。

しかしそんな彼女もほんの数年前までは「人前で涙など決して見せないタイプ」だったらしい(本人談)から、素敵な仲間と出会って、少しずつあるがままの彼女をさらけ出せるようになってきてるのかもしれない。きっと彼女の「いい女」修行は順風満帆なのだろう。

さて、ここまで歯に衣着せぬ物言いで、ひょっとしたら彼女が赤面するエピソードを赤裸々に書いてきたけど、それもきっと里菜ちゃんに対してだからできるのだと思う。冒頭にも書いたけど、彼女は人が自然と素のじぶんをさらけ出せる懐の広さを持っていて、そこに感謝しているというのはここだけの話だ。

最後の最後に彼女の好きなカッコいいオトナたちを挙げておく。白洲次郎、樹木希林、美輪明宏、笑点の歌丸さん、そして彼女のお爺さんが一番のヒーローらしい。なんとも渋い好みである。渋いと言えば、最近は布施明の『君は薔薇より美しい』をヘビロテ&熱唱してるとのこと。なぜ好きなのかは是非、本人に直接聴いてほしい。

P.S. この文章を読んだ皆様に、里菜ちゃんのことはともかく、筆者であるぼくの「いい男」っぷりが世にアピールできていれば、それにまさる歓びはない(笑)


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