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好きだった友達

一年前くらいに好きだった友達から最後の手紙がきた。そこにはともに作った思い出の数々もあったし、彼のさまざまな悔悟や未来に対する希望のような、哀願のようなものもあった。そして最後に、「出逢えたことの喜びだけを見つめて、あなたに幸があれと願っている」と書いてあった。

彼と「友達」らしく会って喋って遊んだりした期間は一年にも満たなかったが、その間に様々なことをした。そもそも、実際に会ってから数ヶ月の間彼は閉鎖病棟にいたから、実際に交流を持ったのは半年やそこらかもしれない。REAL-Tの故郷をたずねて生野に行ったし、西成で飲めば飲むほど安くなる酒を飲んだし、美術館に行った。古着屋に行った。「男たちの挽歌」も観たし、一緒に曲を作ったし聴いた。動画を撮った、写真を撮った。ブランデーに金柑を漬けた。出汁をとらなかったらただの濁った汁だが、出汁をとったら味噌汁は美味いのだと教えた。クルアーンも何章か読んだ。一緒に礼拝もしてみた。なんらかの些細なことであれ生の肯定につながってほしかった。
私には、その友達はとても危うく脆い存在に見えた。ふらりとどこかに行ってしまうように見えた。だから、おそらく必要以上に接近していた。少しでも様子がおかしければ夜行バスに乗ってまあ飯でも作るから食べようと言った。そんなことはするべきではなかったのかもしれない。

私がそのような、己の不安ゆえに彼をなんとかこの世に引き留めようとするような――そしてそれが「見え見えである」行動をしなければ彼は私と友達でいて楽だったのかもしれない。
彼が働き始めたとき、あきらかに様子がおかしくなってくるのを感じて、私はもう一度夜行バスに乗った。そのとき、丁寧に柱にくくりつけられたロープを見つけた。
私は、どうしていいかわからなかった。どうしていいかわからないから、何も見なかったことにしてコインランドリーにいき、洗濯が終わり、乾燥が終わるのを待った。小銭が全然なかったから、彼の家に置いてあった小銭を使ってコインランドリーを回していた。ただ、私は一体どうしたらいいのだろうと考え、そしてそのときどこかで自分が何をしようとも人の心の辛さに立ち入ることはできないのだと思った。
そのあとで、彼は私のことは信頼できないと言った。私にとって、家においてある数十円を使ったりするのは当たり前のことだったが(着払いとか、何らかの帳尻合わせのために小銭を置いておくのは私の家の習慣だった)彼にとっては「小銭であれ金を勝手に使う信頼の置けない人間」とするに十分な行為だったのだろう。

そのときの、自分の驕りや常識のなさを思うと涙が出る。そして何回も最後にくれた手紙を読み返している。私は何をするのが正解だったのかわからないし、何かをできると思っているのが間違いなのだろうが、それでもただ彼に元気でいてほしい。

もし読んだならば、あなたの譲ってくれたコートを大事に着ているし、私も同じくらいあなたの幸福について祈っている。

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