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どのようにして迷妄を抜けられるか 其の一

イスラームの道に入って4年目になる。
しかし、私はろくな回教徒とはいえないだろう。クルアーンを読めば読むたびに苦しく、訳文に線をひいては「なぜそこまでされねばならないのか」「なぜそうしたのか」と書き込むような人間はどう考えても「イスラーム」に適してはいない。

私は昔から、自分だけの安心する世界が欲しかった。
中学生の時、学校に行きたくなかった。しかし行かなければ勉強についていけないので、なんとか心のなかに聖域を作ってそこに逃避していようと思い、オウム真理教について調べ倒し短波放送で朝鮮の声を聴いていた。クラスの誰も新実智光の不敵な笑みを知らなかった(と思う)し、クラスの誰も朝鮮の音楽を知らなかった。だからそれらについて思いを巡らせることは、私にとって「学校やクラスメイトというものに決して侵犯されていない領域」、すなわち聖域に逃避することであった。

その頃の私は、人間は心のなかに必ず「神棚」のようなものを備えており、そこに任意の神聖な存在を据えるのだと思っていた。つまり、聖性に対する天性の希求はかならずあり、ある人は神をえらびとることで、あるひとはそれを仏性としてとらえることで、倫理のバランスを保っているものだと思っていた。

私は学校という苦痛からのがれるために長く長くオウム真理教と朝鮮の音楽に没頭した。しかし、私は「主体思想」を「神棚」にそなえることはおよそできなかったし――そのように人間中心のある意味マッチョな思想をえらびとることは不可能だったし、オウム真理教にしても、事件云々をすべて取り払って考えたにしてもストイックすぎるから、私には無理だった。

しかし、(オウム真理教を通じて知った)シヴァ神は別だった。シヴァ神は破壊の神であった。いつの日か正しくすべてが破壊されてほしい、ごく些末な私の苦しみさえもすべて無に帰してほしいとの思いから、私はシヴァ神に祈ることにした。

そして中学生から大学生の終わりごろまで、私は日々額に入れたシヴァ神のポストカードの前でマントラを唱えていた。

三眼をもつシヴァ神を讃えます。
万物を養われる、甘い香りのするお方。
瓜の実が熟して蔦から落ちてゆくように、 私たちが輪廻の蔦から解き放たれ、不死へと至るようにお導きください。

イスラームに出会ったのは、たまたま大学で科学史の授業を受けていたときであった。
「イブン・スィナーは医学典範において、ガレノスよりも正確な図を残した。それはイスラームの禁忌を犯して人体の解剖を行ったからだ」と、私はその授業で習った。
たまたまその頃知り合ったムスリムに、それならばイブン・スィナーはなぜ禁を犯して解剖をしたのだろうかと問えば、その答えは「敬虔であったからこそできたのだろう」というような抽象的なものであった。私にはその時なにも理解できなくて、これはイスラームの道に入らなければわからないことかもしれないぞ、と思った。

さて、元来私は非常に小さなことに大きな幸福を覚える人間てある。夕暮れ時の匂いがやさしかったとき、夏の夜に雷の音を聞きながら眠るとき、私はそれらから常に何らかの愛情を感じざるを得なかった。これは私にこの匂いを感じさせてくれているのだ、これは私に聴かせてくれる雷鳴なのだといつも思っていた。

そしてさらには、イスラームと出会ったのは私が大学で生化学を習っている最中であった。この生化学的な複雑な反応が小さな人体の中で行われているという事実、そしてこの世界のすべてが私にその美を教えてくれているというような感覚は、イブン・スィナーへのあこがれと同じくらいに私をイスラームに誘った。唯一神がすべてをなしているのであれば、何事もうまく設計されているのは当然だと思えたし、慈悲あまねく慈愛深い御方が統べる世界なのであれば、雷鳴一つも美しいのは当然と思えた。

この頃私は相変わらずシヴァ神に祈りを捧げていたが、自分がヒンドゥー教徒になるという方法はわからず、外から改宗した場合シュードラからスタートするらしい(本当かどうかはわからない)ということも知ってしまったので、野良の信仰者であり続けることはできても、それ以上にはなれないと感じていた。
その点イスラームの改宗は簡単で、信仰告白さえすればよい。先にイブン・スィナーについて話したムスリム以外にも、たまたま知り合ったムスリマに「やるだけやってみればいいじゃない」というようなことを言われ、私は少なくとも、いつかはイスラームの門をくぐるだろうと感じていた。

(続)

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