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ドキュメンタリー番組「囚人A(原題:prisonerA) “戦犯”と呼ばれた女

199×年。南東欧の連邦共和国で起きた内戦は、数々の戦争犯罪を引き起こしました。

人口の約4割を占める民族が、他の少数民族が暮らす地域を武力で併合しようとしたのです。それに抵抗した少数民族の武装組織と、鎮圧しようとする政府軍の間で、住民を巻き込むすざまじい攻防が繰り広げられました。

捕虜の虐待、処刑。民族浄化を目的とした強姦も組織的に行われました。
そのなかでも、海外のジャーナリストによって公開された、無関係な市民を小学校の倉庫に閉じ込め機関銃で掃射する凄惨な動画は、この内戦を象徴するジェノサイド事件として人々に記憶されることになります。

そして、この悲劇的な虐殺を起こした部隊を率いたのが、29歳の若い女性指揮官であることは一層世界中を驚かせたのです。


197×年。彼女は首都郊外にある党幹部宿舎の一室で生まれました。
彼女の父親は、連邦共和国の政治を担う党の若き幹部として、国防省に勤務していました。
 
彼女の叔父はこう語ります。
「私たちの家族は、一言でいうと体制側です。彼女の父親は軍政に携わる役人として、祖父と祖母は建国前にパルチザンとして活躍していました。物心がついた時から党員に囲まれて過ごしていますし、彼女自身も、それを当然の環境だと思っていたでしょうね。」
 
 
「特に、目立った印象はありませんでした。どこにでもいる、普通の女の子だったと思います。」

彼女の幼少期を知る女性教師は、そう言うと古いノートを取り出します。
「私が彼女の担任だった小学4年生のときの成績の記録です。この頃から算数が得意だったようですね。生活面では…ここを見てください。教師の言うことをちゃんと聞く、まじめな児童だと書いてあるでしょう。」
 
幼い頃の彼女は、後の姿からは想像もできないほどに誠実な少女のようでした。
 
 
中等学校を卒業した彼女は、軍のエリートを育成する士官学校に入学します。

当時の連邦共和国は、外国に依存しない独自路線を歩む社会主義国家でした。特に軍事や科学技術の分野では、優秀な人材を確保するためにも、出身民族や性別の垣根無く受け入れられていたのです。そのため、彼女のような模範的女子生徒が士官学校の道に進むことは、決して珍しいことではありませんでした。
 
約3年間の士官学生生活で、彼女はいったい何を学んだのでしょうか。
連邦共和国の士官学校制度では、軍事に関係することだけでなく、通常の大学で学ぶような語学や、一般的な教養も身につけます。
 
彼女の成績は、ここでも総合的に高かったようです。特に数学の分野では優秀な成績を収めていました。しかし、国際法の成績は他と比較すると少し物足りないようにも感じられます。
 
 
「彼女は飛びぬけて優秀というわけではありませんでしたが、それでも同期のなかでは目立った存在だったと思います。講義は熱心に聞いていましたし、教官の手伝いも進んでしていました。」
そう語るのは、彼女の同期で在学時代の友人です。
 
「秀才の優等生でした。ですが、それ以外はどこにでもいる普通の女学生でしたし、彼女とは趣味や恋愛の話だってしていました。」
「人と違うところがあるとすれば、周りからの評価を気にしすぎるところでしょうか。自分で決めたレールの上を、どれだけ順調に進めているか。それを気にしていた印象があります。」
 
 
これは、士官学生だった彼女が軍の広報に出演している動画です。
現役の学生として、学校内の雰囲気についてインタビューを受けています。
 
「ここの部分はもちろんカットしました。軍の高官や政府関係者まで見る広報には載せられませんからね。」
かつて、連邦軍で広報官をしていた彼は、そう語ります。
 
「彼女をインタビューの対象に選んだのは、やはり容姿が優れていたからです。彼女も快く受け入れてくれました。私は人にマイクを向けるとき、いつもアイスブレイクを心掛けていますが、彼女には『お綺麗ですね、お付き合いをされている方はいらっしゃいますか?』と聞いたのです。彼女は顔を赤らめ、少し間をおいて、『共和国こそが私の恋人です』と答えました。」
 
 
士官学校を21位のハンモックナンバーで卒業した彼女は、希望していた陸軍の情報分析局に配属されました。そこで彼女は、順調にキャリアを積み、優秀な情報将校として軍歴を終えることもできたでしょう。しかし、当時の社会情勢は彼女にそれを許しませんでした。
 
彼女が少尉として仕官してから僅か半年後に、連邦共和国は崩壊の危機に直面したのです。

カリスマ的指導者の死、イデオロギーという時代の終焉、経済の停滞…。
そして何より、複数の民族で構成されたこの国は、国民感情の中に潜む民族主義という大きな爆弾を抱えていました。
 
そして199×年。連邦を構成するいくつかの共和国が独立を宣言したのです。
 
 
連邦共和国は元々、一党制の社会主義国家でした。
統治は比較的に安定していて、それが上手くいっている間は誰も、この国の体制に不満を持ってはいませんでした。しかし、偉大な指導者を亡くしてからは、政治の方向性を見失い、経済も行き詰まり始めたのです。
 
連邦共和国はひとつの大きな決断をします。それは、構成国規模での民主的な選挙です。
日増しに高まる民族主義の声は、もはや連邦政府が力で抑え込めるものではありませんでした。民族レベルで開かれた自由な選挙は、この問題を穏やかな形で収めようとして考えられたものでした。
 
しかし、その予想は大きく外れます。
民主的に選ばれた各地の議員たちは、より一層過激な民族主義の実現を主張したのです。なかには非合法な政党を立ち上げ、党の中に軍事部門を作る民族組織まで現れました。
 
「もうメチャクチャでした。かつて二千万人が暮らした連邦は、たった数年のうちに六つも七つも分かれてしまったのですから。」
彼女の叔父はそう話します。
 
「私たちが属する民族は、連邦のなかで最も多く、そして一番豊かだったと思います。彼女もその豊かさを享受する家庭に生まれましたし、それゆえ他の同胞たちと同じように、大変なショックを受けたことでしょう。」
 
 
彼女が軍人として与えられた初めての任務は、守るべき対象だったかつての国民を、暴徒として鎮圧することでした。しかし、連邦軍は多民族で構成されており、そして構成国の独立によって混乱した指揮系統では、武装した市民相手にすら有効な対応をとることができなかったのです。
 
また、連邦軍は過激化した民族主義とは一定の距離を置いていました。
彼らが忠誠を誓ったのは社会主義体制の連邦であり、多民族国家としての連邦でした。いまや民族ごとに分化された特定の国のために戦う理由がなかったのです。
 
 
彼女の初陣は敗戦でした。そして、活躍できる戦争でもありませんでした。
内戦では彼女が得意とした数学的な分析よりも、非正規戦闘を戦い抜く愛国心のほうがずっと重要のようでした。
 
優等生としての敗北、守るべき国の崩壊、生涯をかけて研鑽するはずだった技能への不信感。それらは彼女から軍人としての誇りを奪い去りました。
その一年後、連邦共和国は解体を宣言します。
 
 
ですが、ここで彼女の人生を大きく変える出来事が起こりました。
新たに誕生した民族主義国家の親衛隊将校に選ばれたのです。連邦共和国時代に人口の約4割を占めた彼女の出身民族は、かつての首都一帯に広く居住していました。
 
民主的に選ばれた初めての大統領は、国民が熱狂する民族主義を背景に圧倒的な支持を得て就任したのです。彼が最初に着手したことは軍制の改革でした。
かつて精強で名を馳せていた連邦軍は、少数民族系部隊の相次ぐ離脱で、その戦力を半分以下に落としていたのです。また、保守派の多い旧連邦軍将校は、彼の進めたい民族主義的な政策に非協力的でした。
 
そこで彼は、国軍とは別の指揮系統に属する、大統領直下の軍隊「国家親衛隊」を新設します。国家親衛隊の主な任務は、国内の治安維持と戦時における非正規戦闘、そして国軍の監視でした。そのため、国家親衛隊員には軍人としての能力よりも、大統領に忠実な民族主義者であることが求められました。
 
 
それでは、なぜ士官学校で優秀な成績を収めた彼女が国家親衛隊に編入することになったのでしょうか。
 
彼女が連邦陸軍の情報分析局に配属された時、その上官は、なんと父親の親友でした。
彼女の父親はすでに病気で亡くなっていましたが、彼は親友の愛娘をまるで家族のように扱いました。彼との関係性が、後に彼女の将来を大きく変えることになるのです。
 
「彼は、熱心な民族主義者でした。かつてのような社会主義連邦を再興することができないのなら、同胞だけでもう一度軍事大国を復活させることを夢見ていたのです。そのためには、国内に留まる少数民族や、今となっては敵になった隣国が目障りでした。そして、彼自身、出世欲の強い男であったことは間違いありません。」
連邦軍の元参謀長であった老人は、書斎でそう振り返ります。
 
そして彼は、大統領とのコネクションを巧みに使い、なんと国家親衛隊の総司令官に任命されたのです。彼女もまた彼の推薦で国家親衛隊へ転属されることになりました。
 
彼女がこの転属を心から望んでいたかまでは分かりません。
ですが、度重なる失意のなかで、新たなキャリア形成を模索していたことは充分に考えられるでしょう。その選択が後に大きな過ちを犯し、自分の人生を狂わせてしまうものだとは、まだ分かってはいませんでした…。

To be continued…?


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