自己紹介

初めまして。中国ではCHEN JIA(チェン ジャ)、日本では吉村 嘉(ヨシムラ ヒロ)と言います。

これからたくさんの方と出会うと思うので、ここで自己紹介をさせていただこうと思います。

〜中学

小学校低学年からインターナショナルスクールに通っていました。当時本当に常識とか、遊び方とか何も知らない野生児みたいなもんでしたが、部活(バスケ)に入ることで友達から常識を教わり、人間らしくなりました。
ただ、のちに知ることになるのだけれど、インターナショナルスクール内の文化・人間関係と日本の文化や距離の詰め方って違うんだよなぁ。

〜高校

高校では日本の文化・人間関係に苦労しました。
インターの方では距離感が最初から近かった・幼い頃から一緒にいたこともあって、普通の小中学校よりも仲が良かったのです。なので、その分初めての人間関係というものが少なく、友達作りの経験がなかった。

だから高校1年生の時に日本人からすると距離感がバグっていて、あまりクラスに馴染めなかった記憶があります。日本式の仲良くする方法を知らなかった。(日本って絶妙な距離感から関係をスタートさせるイメージで、最初からヘーイ!!肩をバシバシッ!って感じの接し方したら引かれたのを覚えている)

それに当時受験意識が強く、遊びというより勉強熱が強く、部活動にも入っていなかったので、学校の人間関係は本当に壊滅的でした。(2年以降は多少慣れてマシになりましたが)。学校で一言も話さない日もしょっちゅうでした。1年の頃はしんどかったな。精神衛生上良くない。やっぱり国ごとに言語がわかっていても文化的なものまでわからないと真の意味では馴染めませんね。

話を戻すと、僕はその分学校以外の活動に力を入れようと、
・自転車旅(高1夏休み)
・東大受験(高一の冬から)
・ボクシング(高2の夏から冬まで)

をやってました。
自転車旅では素敵な出会いがあったし、ボクシングも仲間ができて楽しかったです。

でも高校時代は今から考えると大分勿体無いことをしていた。後悔が残るものだった。勉強に青春を注ぎ込んだのもいいけれど、もっと遊んでいれば、部活などに熱心であれば良かったと思った。

結果で言うと、東大は2次試験で数十点差で普通に落ちました。他にも様々な要因があると思いますが、高校2年生までしっかりとした勉強方法を知らなかったのが敗因だと分析してます。時間だけは投入したんですけどねぇ。
しかし、東大受験を通じて学べたことは本当にたくさんありました。
例を挙げると
・天才的な塾講師からの学び
・考える力、考えるプロセスを学べたこと(whyから始める学問が一番理解度が深まる)
・本当の天才は意外と少ないこと(天才だと思われている人の9割は努力型の秀才)
・当時一緒に東大受験を頑張った友達ができたこと
・生涯通用する勉強方法を学べたこと。

18歳〜21歳

・浪人時代
・留学準備・留学時代
・ニート時代
・起業時代
・42tokyo入学後

浪人時代は毎日一人で勉強、正直辛かったです。親の目線も気になるし。
そんななか、おそらく人生を変えただろうことが起こりました。

それは将来どうしようと漠然とした不安で、仕事についてネットサーフィンしている時です。海外でエンジニアをするメリットを知り、自分の適性と時代が求めているものだと思い、僕は国内受験から、海外留学を目指しました。(細かい部分は省略しますが、海外大学のコンピューターサイエンス専攻の方が都合が良かったのです)。ここで浪人し続けていたら、今の僕は全く違う誰かになっていたでしょう。

その後IELTS等の受験に必要なものを準備し、無事イギリスのとある大学に合格することができたのですが、ちょうどコロナ、ウクライナ戦争、円高が同時期に起こり、費用的な面でも、環境的な面から考えても断念することことになりました。

これで晴れてニートになった僕が出来上がりました。その時はもう高校卒業からおおよそ1年。国内受験するには時間が足りないのです。かといって2浪大学に入ることのメリットを感じませんでした。

しばらくニートの生活をしていました。(僕はこれを擬似的なFIREと呼んでいます笑)。この時が一番苦しかったですね。何者でもない。誰にも顔向ができない。社会的な地位もない。職業を聞かれるのが怖い。家族からの冷たい(ように感じる)視線。自分の存在意義・存在価値・人生の意味を毎日考える日々でした。

でも大多数の人が経験することのない、一日中暇、仕事・学校に行かなくてもいい生活ってやつを体験することができたのはいい経験でした。一日中アニメ・漫画・映画見たりゲームをしたりすることを何日もできるわけです。そして、人生についてじっくり考えることができたのも大きい。おかげで今の自分の軸になっている自己哲学のようなものが出来上がった。でも結論、あんなもんは3ヶ月体験できれば十分。一人でできることなんてすぐに飽きる。

色々考えた結果、前から興味のあった起業をしてみようと思いました。実は浪人時代〜留学準備期間にちょいちょいyoutubeやってみたり、ブログを作ったりしていたのです。それで収入源になるのなら少しは社会との隔離を紛らわせることができるかなと思ったのです。

時系列にすると次のような感じ。

2021年に高校卒業
2021年11月くらいにシェアハウス事業(部屋リフォームなど)
2022年の1月に留学合格、
2022年の4月に留学を断念し、ニート・ビジネス開始
2022年5月〜7月までブログ(独学ブログ)
2022年5〜11月にチューターシティを完成。(最初は東大受験仲間との起業アイデアでチケット制の家庭教師)
2022年9月に放送大学入学
2022年10月くらいから塾&自習室を始める
2022年11月に42東京を知る。そっからピシン対策して、3月受験、5月入学。

チューターシティは簡単に言えばココナラの資格試験特化型サービスで、他は名前でわかるものばかりですね。

起業期間は楽しかったです。自分でサービスを1から設計する経験は貴重なものだったなと思ってます。事業計画書を作って、ターゲット・ペルソナ、ポジショニング、そういうのも考えてました。もう忘れた部分も多いのですが、かなり熱中していました。そら自分の生活がかかっているのでそうですが笑。チューターシティは本気で事業拡大させてM&Aで売却してそのお金で投資して人生上がろうと思ってましたよ。

結局集客できずに終わってしまいました。今考えるとセキュリティがやばいことになっていたのでこれで良かったのかもしれませんが。

個々のビジネスのお話はまた個別の記事に書こうと思います。

なんだかんだやって全部満足に稼ぐことができずに、強い不安を感じていました。そんな中、たまたまツイッター(X)に流れてきた42tokyoっていうエンジニア育成スクールのことが気になって調べていくうちに、自分と相性がいいのではないかと思い、応募しました。

その後無事に合格して、現在42tokyoでエンジニアの卵として修行中です。42tokyoには本当に感謝しています。プログラミングだけでなく、人と関わることの大切さやコミュニケーションスキルを身につけられる機会を提供してくれている場でもあるので。自分が独立したら、ぜひ恩返しがしたい。

これからはエンジニアとして経験を積み、その傍で自分のサービスを作れるようになりたいですね。もしくは面白いところにどんどん飛び込んでいきたいです。

ここまでご覧いただきありがとうございました!

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