見出し画像

介護の仕事での忘れられないひとこま

いまはもう辞めてしまったのですが、以前、高齢者介護の仕事をしていたことがあります。

別に介護の仕事に興味があったわけではなく、お年寄りがすきだったとか、福祉の精神があったわけでもなく、とにかく家事やこどもの用に合わせられる条件だった、というだけで始めました。

なんの知識も経験もなく、認知症のお年寄りに接したことなどありません。はじめはなんだか怖かったし、どうしていいかわからないことばかり。

けれども、やっていると慣れてくるもので、いろんな症状の方にそれなりに合わせた会話、対応がだんだんとできるようになってきました。

日々接するなかで思い出になったことも多いのですが、きょうはそのなかの忘れられないひとつを書いてみたいと思います。


わたしが勤めていたその施設では、デイサービスとして、日帰りで通ってこられる方の他に、様々な事情からそこで暮らしておられる方もいらっしゃいました。

そういった方々の、就寝準備をあわただしくしていた夕方のことです。わたしたちスタッフにとって、夕食後は歯磨きやトイレの介助、パジャマへの着替えのお手伝いなど、忙しい時間です。

暮らしておられる利用者さんのなかに、ご夫婦が一組、おられました。

わたしは、利用者さんの寝床を準備したり、着替えを手伝ったりしていたんですが、車いすで介護度が高く、介助に少し時間のかかる、そのご主人にちょっと待っててね、と言って、別の作業をしていました。

ご主人が車いすでじっと待っておられると、奥さまが様子を見に来られました。奥さまは体力的にはお元気ですが、認知症があり、つじつまがあわなかったりすることもありました。でも、奥さまなりにいつもご主人を気にかけておられるようでした。

しばらくお二人でたわいもない話をされていたかとおもいます。

そうしたら、突然、ご主人が

「なあ、〇〇子」と奥さまを呼ばれました。

「はい?」と柔らかく奥さまがお返事されます。すると、

「あした、おいしい海の幸でも、食べに行こうか。」

とおっしゃったのです。

わたしは手を動かしながら、一瞬「え?」とご主人をみました。ご主人は体が不自由だし、施設に入居している以上、自由にでかけるわけには現実的にいきません。普段、あまりそういうことはおっしゃらないので、びっくりしたのです。

だけど、奥さまは「あら、嬉しい」とにっこり微笑まれました。本当にうれしそうでした。

奥さまは、状況が正確にわかっていらっしゃらないので、本当に行けるとそのときは思ったのでしょう。

ご主人は、体は不自由だけど、お話はわりとふつうにできる方だったので、ご自身の状況は理解されていたと思います。

それを十分承知で、願望としておっしゃったのか、あるいは、もしかしたらその瞬間は過去のご自分になっていたのか、よくわかりません。

施設では出されたものを食べるしかなく、食べたいものを食べることはできません。新鮮な、生のおさしみなど、施設では実際に出せません。また、小規模な施設で個室などなく、静かに夫婦でゆったり、といった時間も場所もありませんでした。ご主人は、やはり奥さまと水入らずでおいしい食事を楽しんだりといった自由な暮らしがしたかったのだと思います。

けれども、現状としてそれができないことをよくよく知っているわたしは、聞いていてつらく、なんともいえない気持ちになり、ただ下を向いて作業を続けました。

奥さまにはスタッフとしては対応に困ることもありましたが、とても笑顔がかわいい方でした。ご主人は物静かな方でしたが、きっと奥さまのその笑顔が昔からとっても好きだったんだろうなーと思ってました。

後に別の施設に移られることになりました。奥さまには本当のことを言うと混乱されるかもしれないので、「お買い物に行くから外出しましょう」とお話しし、次の施設の職員さんが迎えに来られた車に乗って、行かれました。

いまもお元気だといいなあ、お会いしたいなあ、と時々思いだします。わたしにとっては、忘れられない出来事でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?