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「誰にも負けたくない」 -ハンドボール男子日本代表 吉田守一選手-


する人、みる人、支える人、活用する人など…。
様々なフィールドで活躍するハンドボーラーをnoteで紹介していく「シンボルハンドボーラープロジェクト」。

【第1回】
ハンドボール女子日本代表:グレイ クレア フランシス選手

第2回目となる今回は、ハンドボール男子日本代表「彗星JAPAN」の吉田守一選手にインタビューをしました!

《吉田守一 / Yoshida Shuichi》
2001年3月26日生まれ(21歳)。ポーランドリーグ・Unia Tarnów(タルヌフ)所属。高校からハンドボールを始め、わずか4年で日本代表に招集。2021年に開催された東京オリンピックにも出場。ポジションはピボット。

強靭なフィジカルを武器に、若くして日本代表でも存在感を放つ吉田選手。
バスケットボールからハンドボールへの競技転向や競技歴4年でのフル代表招集、海外での経験や今後の目標など…。
吉田選手のルーツから未来について伺いました。

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◇空手で全日本チャンピオンに


――地元はどちらですか?

出身は和歌山県の紀の川市で、自然豊かでとても住みやすい街です。これといった特徴はあまり無いのですが、ご近所付き合いというか、近所同士での繋がりが強いことが良いところだと思います。道を歩いていると、すれ違ったおばちゃんやおじちゃんが笑顔で挨拶してくれるので、僕も笑顔で挨拶していました(笑)。

――家族について教えてください。

父と母、それから2つ上の兄が一人います。僕は身長193cmあるんですけど、父は185cm、母も172cmあるので、自分の大きな身体は両親からもらったものだと思います。

父がボクシングや総合格闘技などの格闘技が好きで、その影響で幼稚園のころから空手を始めました。当時は特にやりたいこともなかったので何となく始めたんですけど、最高成績としては全日本の大会で優勝しました。あまりはっきり覚えていませんが、家にたくさん謎のトロフィーがあります(笑)。

――すごい経歴ですね(笑)。空手はいつまで続けていましたか?

空手は小学校6年生まで続けて、6年生の秋からバスケットボールを始めました。兄が先にバスケをやっていたのがきっかけです。

――全日本で優勝した空手からバスケに転向したのは、何か特別な動機があったのですか?

あまり特別なことは無くて、兄がやっているのを見てシンプルに「一緒にやりたい」と感じたことが一番大きいかなと思っています。

中学校でもバスケ部に入って全国大会を目指していたのですが、結果的には近畿大会出場が最高成績でした。僕含め、チームとして力が足りなかったのが悔しかったですね。

――全国大会など、小さい頃から何をやるにしても頂点を目指すような性格だったのですか?

昔からとにかく負けず嫌いで、ジャンケンですら負けたくないと思っています(笑)。格闘技好きの父親の影響かもしれませんが、「勝負ごとは負けることが許されない」という感覚が自分の中にあります。

頂点を取って注目されたいという気持ちもあるんですけど、根底には「誰にも負けたくない」という想いがあります。なので、競技は違いますが空手やバスケでも一番上を目指していましたし、今もハンドボールで頂点を取るべく努力しています。


◇甲子園優勝の目標から一転、ハンドボールの道へ

――高校でハンドボール部を選んだ理由を教えてください。

進学した那賀高校はバスケがそこまで強くなかったので、入学したときは「バスケはもういいかな」と思っていました。もともとは野球をやりたいと思っていて、当時は甲子園で優勝して、ドラフト1位で巨人(読売ジャイアンツ)に入団するのが夢でした。

体験入部の期間で野球部に行ったのですが、野球部の先輩の話し方や態度がちょっと嫌な感じで…。「こんな先輩とやりたくないわ」と腹を立てて、野球部に入るのは断念しました(笑)。

そうなったときに、中学校で全国大会に出場したハンドボール経験者の何人かが、ハンドボール部に入るという情報を知りました。「とりあえず全国大会に出たい」と思っていたので、一番可能性が高い気がしたハンドボール部に入ることを決めました。自分でも思いますが、ハンドボールを選んだ理由は浅はかです(笑)。

――嫌な先輩がいなければ、プロ野球選手になっていたかもしれないですね(笑)。入部した当初はどのポジションでしたか?

最初からピボット(※)でした。当時はゴールキーパーだけはやりたくなかったですね。シュートを決めて目立ちたかったので(笑)。

ですが、今考えるとキーパーも目立てる瞬間がたくさんあるので、キーパーをやってもよかったかなと思います。

※ピボット
エリア際でディフェンスと身体をぶつけながら味方の攻撃を支えるポジション。身体が大きく力強い体格の選手が配置されることが多い。ポスト、ラインプレーヤーとも呼ばれる。

――高校での目標と、その結果について教えてください。

チームとしての目標はインターハイ出場でしたが、結果としては達成することができませんでした。

高校最後のインターハイ和歌山県予選の決勝で、僕は前半でレッドカードを受けて退場してしまったんです。僕はチームの得点源だったこともあり、チームのみんなをインターハイに連れて行くことができず申し訳なく思っています。とても悔しい思い出です。

――インターハイ出場はなりませんでしたが、春の全国選抜大会での活躍もあり、高校3年生のときにU-19日本代表に招集されました。ハンドボールを始めて約2年での招集でしたが、当時の心境を教えてください。

選抜では2回戦で敗退してしまいましたが29得点をあげて、10位以内の得点ランキングに入りました。いま冷静に考えたら、なぜピボットでそんなに得点取れたんだろうって思います(笑)。

選抜大会で全国を経験してから日本代表も意識するようになったのですが、選ばれたときは本当に嬉しかったです。目標としていた場所でしたし、「JAPAN」の文字が入ったTシャツに憧れがあったので、それを貰えたときは心が躍りました。

――ご家族の反応はいかがでしたか?

家族は特に驚かれなかったですね。「そんなの当たり前や、国際大会で結果出してから言え!」と(笑)。でも内心はすごく喜んでくれたと思います。


◇大学で手にした日本一

――高校卒業後は筑波大学に進学されました。このときの経緯を教えてください。

高校3年生のとき、なぜか先生に「筑波大学に行きたい」と言っていました。ハンドボール部は強豪で、学業もしっかりしているイメージが何となくあったんだと思います。

すると顧問の先生伝いに、筑波大学の藤本監督が和歌山県まで話しに来てくれました。練習時間やトレーニングの方針などを聞いて、「ただやるだけではなくて、しっかり考えてハンドボールするチームだな」という印象を持ちました。

ウエイトトレーニングにも力を入れていることも魅力で、藤本監督の下でハンドボールをしたいなと思えたことが、筑波大学に進むことになったきっかけです。

――実際に筑波大学に進学して、どんなことを感じましたか?

チームメイトは先輩・後輩関係なくコミュニケーションを取りますし、単純に仲が良いですね。そこも魅力の一つだと思いました。

藤本監督も、最初に和歌山県に来てくれたときは「固そうな人だな」と思っていたんですが…。すごく話しやすくてノリも良くて、そこが入部前と後での一番のギャップでした(笑)。

――チームとしては大学1年生のときに全日本インカレ優勝という結果を残しました。優勝の要因は何だったと思いますか?

インカレのようなトーナメント戦は連戦が続くので、いかに疲労を残さず戦えるかがテーマになります。その点で言えば、試合前後のケアをしてくれるスタッフが3人ほど帯同してくれて、毎試合万全な状態で試合に臨めたことが大きいと感じています。

インカレなどの大きな大会に限らず、チームスポーツである以上は選手を支えてくれる周囲の人の存在は不可欠だと思っています。今でもサポートしてくれる方々には感謝しています。

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◇競技歴4年でのフル代表招集

――インカレ優勝の後、2020年1月にはフル代表に初招集されてアジア選手権に出場しました。当時の心境を教えてください。

世代別代表での経験もあったので、フル代表への憧れみたいなものは特に無かったです。U-19の監督やコーチにも「早くフル代表に行ってチームを引っ張れ」と言われていたので、自分としては「やっと呼ばれたか」という感じで、早く活躍したいと思っていました。

――世代別代表に選出されたときと比べて、ご自身の中で意識の変化はありましたか?

特に大きな変化はありませんでした。世代別代表のときから国を背負って戦っているという自覚は強く持っていましたし、とにかく良い結果を残すことにフォーカスしていました。

ただ、プレー面はより突き詰めていかなければいけないと感じました。大学ではフィジカルも強いほうでしたけど、フル代表は全員身体も大きいですし、それこそ海外選手はもっと大きくて強いです。そういう選手たちに勝っていくために、食事なども含めて、細かいところに気を配るようになりました。

コート上で結果を残すことが選手として最大の使命だと思っていますし、良い結果を残せば日本代表が注目されるようになると思います。これからもその部分に集中して、代表活動に臨んでいきたいです。

――高校からハンドボールを始めてわずか4年でフル代表に招集されましたが、何が大きな要因だったと思いますか?

ハンドボールを始める前にやっていた、空手とバスケの経験が大きいかなと思っています。

空手のパンチやキックは腰を起点にして動かすのですが、それがピボットで相手を背負った状態からターンする動きに応用しています。バスケでもパスを受けてからのターンやディフェンスのフットワークが、そのままハンドボールにも活きていると思います。

小さい頃に色々な競技を経験することが、大人になってからの動きのクオリティにも繋がってくると思うので、幼少期に何をやるかが重要だと感じています。

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◇ポーランドへの移籍と成長

――アジア選手権後、ポーランド1部リーグのタルヌフに移籍しました。移籍の背景を教えてください。

もともと海外でプレーしたいと思っていて、アジア選手権の最中に当時タルヌフでプレーしていた徳田廉之介選手(現ドイツ1部リーグ・リュベッケ所属)に相談しました。

すると、徳田選手がタルヌフのオーナーに映像を渡してくれるとのことだったので、世代別代表などでのプレー集を作りました。自分で作ったので映像のクオリティは良くなかったですが…(笑)。

その後、ありがたいことに映像を見てくれたタルヌフからオファーをいただいて、移籍することになりました。

――なぜ海外でプレーしたいと思っていたのですか?

きっかけは世代別代表での経験ですね。国際大会で海外選手、特にヨーロッパの選手たちと戦う中で、「もっとレベルアップしたい」と思うようになりました。そのために、海外でのプレーは必須だと考えていました。

あとは、自分の実力が海外でどれほど通用するのかを試したいという気持ちもあって、海外挑戦をすることにしました。

――実際にポーランドでプレーしてみて、どんなことを感じましたか?

まず、日頃のチーム練習から海外選手とプレーできることはとても良い経験になっていますし、自分の実力を測る指標にもなっています。

プレー面では、日本ではフィジカルの強さで優位に立てていたので相手をブロックするプレーが多かったですが、海外選手相手だとブロック一辺倒では守られてしまいます。なので、ディフェンスの裏のスペースに走ってパスを受けたり、ポジショニングを細かく考えるようになりました。プレーの幅は広がったかなと思っています。

ポーランドの上位チームは強豪で、欧州チャンピオンズリーグでも上位になるようなチームです。日本ではそういうチームと戦うことはできないので、かなり貴重な経験をしていると思っています。世界トップレベルのチームと対戦することで「こんなに凄い選手がいるんだ」と自分の世界が広がったり、「自分もこのチームでやりたい」などの目標がどんどんできるので、海外に来て良かったと思います。

――海外移籍にあたって、苦労したことはありますか?

移籍して間もない頃はコミュニケーションが全然取れなかったので、かなり苦労しました。日本とは環境も文化も違うので、ハンドボール以外の生活面も、すべてがストレスになりましたね。

逆に、最初の時期を乗り越えるとかなり楽になりました。僕の場合はチームメイトに徳田選手がいたので、彼に色々とアドバイスをもらいながらチームに馴染んでいくことができました。身近な日本人の存在は大切だと思います。

今はアパートで一人暮らしをしていて自炊もしているのですが、料理のレパートリーが少なくて悩んでいます。いい料理があればぜひ教えてほしいです(笑)。

――ポーランドで選手としてプレーする傍ら、筑波大学の学生としての一面もあると思います。学業との両立についてはいかがですか?

授業があるときは大変ですね。基本的にチーム練習が午前と午後の両方あるんですけど、合間の時間を見つけてオンラインの課題をこなしています。自分でしっかりと計画を立てておかないと苦労するので、そこは意識するようにしています。

ポーランドでプレーするとなったとき、大学を辞めてハンドボール一本でやっていこうと思った時期もあったんですけど、栄養学やコーチング論など、授業での学びがハンドボールに結びつくこともたくさんあります。

選手としてだけではなく、人として生きていく上でも学業は大切だと思ったので、今も両立できるように頑張っています。

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◇悔いが残った東京オリンピック

――2021年の夏には東京オリンピックに出場されました。吉田選手にとって、オリンピックはどのような大会になりましたか?

うまく言い表せないのですが、選手村に入ったときから嫌な空気がつきまとっている感じがしていて、集中しているつもりでも集中できていない感覚がありました。試合前は無観客開催なのでそこまで緊張しないとは思っていたんですけど、終始ふわついているような感じで…。

それもあってか、シュート確率も悪いまま大会を終えてしまいました。チームに貢献しきれなかったことをとても後悔しています。ただ、逆に準備の大切さを知れる機会にはなりました。東京オリンピックではいつものルーティンを維持することができなかったので、そういう部分を含めて細かいところを突き詰めていきたいです。

――最終的な結果としては予選ラウンド敗退という形になりましたが、ポルトガルに勝利するなどポジティブな結果もあったと思います。大会期間中、印象に残っているシーンはありますか?

プレー中はとにかく自分のプレーに必死だったので、これといったシーンは特にありません。初戦からシュート確率が良くなかったので、それをどう改善するかに徹していて、あまり周りを見る余裕がなかったのかもしれません。

プレー以外では選手村の設備がとても良かったです。もちろんジムはありますし、24時間開いている食堂は色んな国の料理があって、どれも美味しかったのでとても満足していました(笑)。

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◇吉田守一の未来

――ハンドボール選手としての今後の目標を教えてください。

最終的な目標としてはヨーロッパのビッグクラブに移籍して、主力としてチャンピオンズリーグで優勝することです。すぐにでもステップアップしたいと考えているので、チャンスを勝ち取るために日々トレーニングや試合に臨んでいます。

自分の実力を証明するためでもありますが、日本人でもヨーロッパの一線で活躍できることを示したいです。日本人が活躍することでヨーロッパから見た日本の評価もグンと上がりますし、日本から海外移籍もしやすくなると思います。誰かが先陣を切ってやらなければいけないことですが、僕がその役割を果たせればと思っています。

――日本代表としての目標はいかがですか?

2024年のパリオリンピックがダグル・シグルドソン監督(男子日本代表監督)の指揮する最後の年なので、何としてでもメダルを取りたいなという想いを強く持っています。

その頃には代表歴も長くなるので、コート上では攻守の要として活躍したいですし、コート外でも日本を引っ張っていく存在になりたいと思っています。

――日本のハンドボール界全体の発展について、どのように思われていますか?

僕自身はハンドボールというスポーツに誇りを持っていますし、多くの人にとって見れば面白いスポーツだと感じています。日本ハンドボールリーグ(JHL)をはじめ、色々な人に見てもらうきっかけを作っていければと思います。

日本のハンドボールが今よりずっと盛り上がった状態で、僕がJHLに参入するストーリーがあれば個人的には面白いかなと思っています(笑)。

――将来的には日本でのプレーも考えていますか?

JHLを一度も経験したことがないので、やってみたいなとは思います。自分が日本のリーグでどれだけ活躍できるかも気になりますし、今は海外選手の日本移籍が増えているので、そういった選手と日本人選手がどのように融合して勝利を目指しているかが気になります。1シーズンでも経験できればなと思います。

――今後も選手として活躍していく一方で、引退後のキャリアでイメージしていることはありますか?

現状はとにかく選手としての目標を達成するために努力しているので、引退後については考えていません。ただ、指導者には興味があります。

選手としてトップを目指すことも面白いですが、指導者としてチームを勝たせるということも、違った面白さがあるんじゃないかと思っています。選手としてヨーロッパで培った経験を、指導者として還元したいですね。

――ハンドボール以外で、今後取り組んでみたいことはありますか?

今は大学の授業もあって中々できていないですが、YouTubeはやってみたいですね。単純に楽しそうだなと思うのと、海外で一人暮らしだと寂しいので(笑)。

海外のプロ選手がどんな生活をしているのか、みたいなことを発信して、色々な人に海外のハンドボールに興味を持ってもらえたらいいなと思っています。

――世界選手権やオリンピックなど、吉田選手の活躍を見て日本代表を目指したり、「もっとうまくなりたい」と思う子どもたちも多いと思います。そういった子どもたちに向けてメッセージをお願いします。

僕は20歳で、あと10数年は代表でプレーを続けたいと思っているので、今の子どもたちとも日本代表で一緒にプレーができるんじゃないかと思います。また、日本に帰ったときはハンドボールクリニックなど、子どもたちとハンドボールを楽しむ機会も作れたらと思っているので、とても楽しみにしています。

今は僕が日本代表の中で最年少という立場ですが、もっと下の年代からの底上げも重要だと思っています。そういう意味でも、一緒に日本のハンドボールを盛り上げることができれば嬉しいです。

僕が活躍できているのは周りのサポートがあってこそだと思っています。そういう方々への感謝を忘れずに、これらもトップを目指して頑張っていきたいと思います。

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吉田選手のハンドボール人生、いかがだったでしょうか?
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ヨーロッパでの挑戦、そして日本代表としての活躍に期待です!
吉田選手のこれからの歩みにご注目ください!

【シンボルハンドボーラー記事公開予定】
2022年5月中:第3回
2022年6月中:第4回

取材・文=坂 柊貴

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