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その1 他人と比べるな

まだ記憶に新しい

2023年ワールドベースボールクラシック、

通称WBC、侍JAPANの劇的な優勝


大谷選手のアノ名言も生まれました。

憧れるのを辞めましょう。

(中略)

憧れてしまったら越えられないので、

僕らは超えるために、トップになるために来たので、

今日1日だけは、

彼らへの憧れを捨てて勝つことだけ考えて行きましょう。

さあ行こう!!

2023年WBC アメリカとの決勝戦を前にチームを鼓舞した言葉


準決勝のメキシコ戦。

9回裏、5対4と敗戦ムード。

日本最後の攻撃。


大谷翔平選手の先頭ヒットを皮切りに、

続く吉田選手が四球を選び

ノーアウトランナー1,2塁。

ここで打席に登場したのは、

今大会 大不振にあえぐ

ヤクルトの主砲 村上宗隆。


大谷翔平選手が2塁ベースから鼓舞する中

日本中のファンの期待を背負った村上宗隆選手が

逆転サヨナラのタイムリーヒットを放ち

日本はメキシコに勝利。


この準決勝の勝利の勢いそのまま

続く決勝戦ではオールスター軍団アメリカを

3対2で撃破し、見事優勝。

数々の名場面が生まれました。


この侍JAPANの指揮をとったのが

名将 栗山英樹監督。


今回の記事でスポットライトを向けるのは

選手たちではなく、この栗山監督です。


栗山監督は、

日本ハムファイターズ在任中は

10年間でリーグ優勝2回

日本ーを1回という

好成績をおさめています。


しかし、現役時代は苦難の連続


タイトルの他人ひとと比べるな」


これは、栗山監督が不振にあえいだ現役時代に

勇気をもらった言葉だと言います。


先日、テレビ番組でその特集がされており

メッセージがあまりにも心を打ったので

記録として、ここに留めさせてもらいます。


以下は長文ですが、

・夢を追いかけている人
・苦しんでいる人
・ついつい他人と比べてしまう人

に読んでいただきたい内容になっています。

きっと勇気をもらえると思います。

(なお、現在は監督ではありませんので、

以下、栗山さんと呼称させていただきます。)


監督としては堂々たる成績の栗山さんですが、

実は、ご自身の現役生活は苦難の連続だったと言います。

まず、プロ入り早々に周りのレベルの高さに驚愕。

プロに入った時に、本当にプロ野球選手はすごかったです。

最初のアップからキャッチボールするところまで一緒に初めてやった時に

「この人たち何なんだ」

っていうぐらい野球うまかったです。

地方の大学から入ったプロの世界。

仲の良い同期の選手には

「お前は六大学やってたら、絶対プロテスト受けていない」

と言われるそうで、

要するに、(六大学なら)周りのレベルが分かるんで、

「そんな無謀なこと(プロ入り)しないから。お前のレベルで。」

ってよく言われてましたけれども

それもある意味 今となればその勘違いも大事で。

(中略)

ただですね、
何かある意味完全に落ちこぼれる状況になって。

早々に自信を失った栗山さん。

人が自分に自信がなくなると

こんなに何もできなくなるんだ

っていうのは、本当に感じました。

(中略)

「僕プロ野球選手です」

っていうことさえも言えないぐらい

こう自分がダメな感じっていうのがすごくあの当時あって。

もう本当に野球下手くそになっていって。

それでも夜になると

「なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ」

って

グラウンドに出ると なんか自分 不安になって

みたいなのを繰り返していく。

そんな状況だったんです。

そんな栗山さんを救ったのが、

当時の2軍監督だった内藤監督。


その内藤監督が栗山さんに送った言葉が

「栗、他人ひとと比べるな」

「お前がちょっとでもうまくなったらそれでいいんだ」

それを受けて栗山さん

人が苦しむ時って 大体 比較論ですね。

誰かと自分を比べて 自分どうなっちゃってんのとか。

特に野球もそうですけど 競争社会ではあるので

周り気にしなきゃいけないんですけど

「お前がちょっとでもうまくなったらそれでいいんだ」

って言ってもらった時に、めちゃくちゃ楽になったんですよ。野球やるのが。


ですから、急に野球は上手くはならないですけど

エラーしても このエラーが次に繋がるんだっていうふうに思えるようになったので

どんどん思い切って練習ができるようになっていった

こんなこともあった。

1年目の終わりの秋季キャンプ。

足が速かった栗山さんですが

もっと特徴を出さなければ活躍できないと考えていた。

そんなとき、当時現役選手だった

若松選手から指導をうけることに。


右打ちの栗山さんの、あるクセを治すために、

あえて左でスイングする練習をしていた。

左ではクセが出ず、右だとクセが出る。

そんな練習を何度も何度も繰り返していた時に

若松さんに聞かれた

若松「お前いくつだ?」

栗山「23です。」

若松「もう遅いな」

スイッチヒッターの可能性を示唆する会話でしたが

「もう遅い」となかば見放される


しかし、プロとして生き残りをかけていた。

なんとしてでもスイッチを習得したかった

「(生きる道は)そこしかない」

翌日若松さんのもとへ

「すいません。命懸けでやります。教えてください!」

そこから、栗山さんのスイッチヒッターへの道が始まる。

そして、見事スイッチヒッターとして一軍レギュラーの座を掴む


こう振り返る。

もしあの時自分で行かなければ

あのまま本当に早くファームのまま野球人生終わってた。

一軍を見ないで終わってたんだろうな

っていうふうな感じがあります。

そんな矢先、

さらに思いもよらぬ苦難が・・・


ということで

思ったより長くなったので、

今回はここで終わらせていただきます(;´∀`)



その前に振り返りと自分の感想を少しだけ、

他人ひとと比べない
・ちょっとでもうまくなったらそれでいい

つまり、

他人ひとと比較せず、自分自身の成長に目を向ける」

成長速度も、伸ばすべきところも、伸びしろも

人はなにもかも違う。


他人ひとと比較しても意味がない。

徹底的に自分自身と向き合う。


もちろん、ある程度の競争意識は、

成長を促進すると思いますが、

過剰反応して萎縮するのは違う。


当時の栗山さんは

そのことを知ってようやく地に足がついたんだと思います。


本当に勇気をもらえるエピソードです。


次回のその2では、

病気になった栗山さんの話になります。

次回もお楽しみください✨️

サポートありがとうございます!これからももっともっと頑張ります(*´ω`*)