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流れる季節の真ん中で、溢れているモノ



保健所の指示は無いにしたって、自宅待機してた方が良いような空気で、半ば無理矢理休んでしまった。ブラックから休暇を勝ち取ったんだから、感染症の力は絶大だと思う。

急に降って湧いた連休に。するべきことはいっぱいあるのに結局携帯を触って時間が流れていくことに絶望しつつ。そんな日もあるかと思って。

世間の4連休を恨みつつ働いてた木金土から3日遅れでやってきた想定外の連休は、自宅待機というフワッとしたもので、なんだかもて余してしまう。

◇◇◇

そしてまた、どうで良いようなことをいっぱい思い出したから、書くことで記憶から放り出せるのなら、思考が少しは楽になれるのなら、

なんでこんな時代に生きてるのかって思うこともあったけど、こんな些細なことすらも手軽に投げられる場がある時代で良かったなと思いつつの投稿。

よく言われるんだ。素直だねって。

そう、私はよく騙される。

自分の考えを主張するよりも、他人の話を聴く方が好きだ。人に合わせることに、必要以上の心地良さを感じる。

過去、色々なものの押売りにあってきた。横浜の中華街を歩いていたら、オネーさんイマ買うとおトクと言われお腹いっぱいなのに栗を買わされ(これは普通に美味しかった(о´∀`о))、

家電量販店に行ったら携帯の充電器を買うはずだっただけなのに、気づいたらカウンターに座らされ、2年縛りのポケットWi-Fiを契約させられ、なんなら支払いのためにとクレカまで作らされてしまった。(Wi-Fiなくても通信環境足りてたのになあ。その後買ってしまったからにはと使いもしないけど持ち歩いていたら暫くして落として液晶を割り、それを修理に持っていった家電量販店で押しの強い陽キャなお兄さんに乗り換えキャンペーンとかと捲し立てられぜったいに要らないのにポケットWi-Fi2代目を契約させられたのも出費としては痛かったなあ笑)

20歳の頃、家出しよーって思って賃貸の契約に行ったら、ベランダも無いような部屋なのに、物干し竿を2本もオプションで付けられた。でも保証人なしで部屋を貸してくれるならそのくらい安いよなって思っていた。担当のお姉さんがどうしても今物干し竿売らないと会社から怒られるって言うから、なんだか可哀想になってしまったんだ。物干し竿は、去年今の団地に越してきた時に持ってきて、購入して5年越しにやっと出番かと思いきや、結局長さが合わずに使えなかった。

道をボーっと歩いているから声をかけられやすいみたいで、冷凍されたケーキをワゴンにのせて移動販売している謎のお兄さんにそれぞれ違う駅で半年の間に3回も声をかけられ、別に食べたいわけでもないのに断れないから購入した。(そーんなに美味しくはなかった。)

最近も宅急便だと思って玄関を開けたら◯◯会の勧誘で、よく分からん動画を1時間近くにわたって見せられた。先月やった集会です!って言われたけどこの緊急事態みたいな時代に100人200人レベルの数の人が集まっていてヤバいなあと思った。定石通り2人組でやってきたおばさまが置いていった新聞にはなんだか不穏なことがいっぱい書いてあって怖かったけど、新聞は湿気を吸ってくれそうだから、今はサツマイモとにんじんを包むのに使っている。連絡先を聞かれたけど、携帯壊れてます!とかいうバレバレの嘘をついて断れただけ成長した気がする。

いろんなものを押売りされてきて、それでも今感じることは、自分にとって要らないものでも、だけど、それを売ることで少しでも売上になって助かるのなら、良いのかなということだ。

お金を出して、欲しくないものをもらって、結局使わずに捨てるものもあるから環境に負荷かけてるなーって思うけど、私が買わなくても生産されてる時点で環境は負荷だし、結局ものもお金も循環させるしかないのなら、それで良かったんだろうなあとしか思わないのだ。

◇◇◇◇◇

部屋を見まわして、増やさないようには気をつけているけれど、まだまだものが多いなあと感じる。

なんかあった気がするんだよなあ2:8みたいな法則が。きっと2021年この地球上にあるものは8割くらい無くてもなんとかなるようなものである気がする。

身の回りの溢れるものを有効活用できたら、持続可能な地球🌏みたいなsdgs的には良いんだろうけど、要らんものはやっぱり要らんってものも多かった。

◇◇◇◇

そして自分の部屋に最近ものが増える原因がもうひとつあった。

仕事で基本高齢者を相手にしているから、みんなものをよくくれる。(もらうのも良くないのは充分分かってるけどね、断るエネルギーが私には無いんだ)

サイズの合わなかった服、昔買ったけど使わなかったハンドバッグ、昨日買ったんだけど食べきれなかったパンの残り、車で外まわりしてるからこの時期は腐るって言ってんのに要冷蔵のもの、、、もう何でもアリだ。

因みに、もらってしまうのは在宅の人だけだ。施設の患者さんもいろんなものをくれようとするけれど、監視ガチガチだから物品の授受なんてこっちの立場が危うくなるようなことはしていない。所詮訪問でマッサージしてるだけの業者だ。何か問題を起こせば、利用者さんがいくら気に入ってくれてたって施設の意向で明日にでも出禁になるw自分を守るために超えちゃいけないいけない線はしっかり守っている。

生まれたときにはバブルも弾けていて、不景気と言われながらも食べ物も着るものも困ったことがない、ある意味滅茶苦茶恵まれた環境で育った私には感覚的には理解できないけれど、戦時中やその後の焼け野原から復興させた世代の人たちが、未だにものを捨てられない感覚は想像ができる。

ぜったいに自分が使わないよ、と思うものでも、貰って喜んだ顔した方が、利用者さんは喜ぶのだ。そして、きっと元の持ち主に使われなかったもの達は、「使ってくれる(であろう)人に譲る」ことで、ある意味成仏されるというか、人に渡すという行為自体に意味を持たせることが出来るような気がする。

大量のものに囲まれてきたから、ものがあることは当たり前。むしろものがあることがストレス。そんな感覚を、80代90代の人に説明することに意味なんてない。

わたしは人と軋轢を生みたくはない。それはどんな場面でもで、お互いのため。人に合わせる、状況に合わせるっていうことは、自分を曲げることじゃなくて、柔軟に対応しているだけだ。そうすることで、最近は、自分の意にそぐわないことがあっても穏やかな気持ちでいられることが増えた。

根本的な問題は、大量生産大量消費で物が溢れ返った社会構造だと思う。問題意識は必要だけど、私一人が足掻いたところですぐに解決するようなことでもないしなあ。でもそれだって地の時代に起こるべくして起こったことで、

これから風の時代になれば、物理的なゴミは減るんじゃないかなあと思っている。

今は変化が激し過ぎて混乱しているけど、どうせ、世界なんてどうにかなるんだよ。

◇◇◇◇

今夜も月は綺麗だ。

雲っているし、外壁工事の足場があるから見通し悪くて今は見えていないけれど。雲の向こうで、きっと光を放っている。そんな想像だけで救われる。

みんな、夜だよ。おやすみ⭐


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