最上のわざ
私はこれまでのキャリアの半分を、がん患者様の告知、治療、再発、終末期の各場面で寄り添う仕事をしてきた。
そして最終的に癌の終末期を専門とするホスピスに辿り着き、ケアや仕事への向き合い方を知り、多くの患者様からたくさんのことを教えていただいた。
そのホスピスの一角に、一編の詩が書かれた大きな額が飾られていた。最初のうちは忙しくて読む機会がなかったのだが、ある時じっくり読んでみると、その内容は深く、私の心を揺さぶるものだった。
その詩は「最上のわざ」という詩で、上智大学学長を務めたヘルマン・ホイヴェルス神父が、ドイツに帰国後、南ドイツの友人から送られた詩であり、神父の著書「人生の秋に」の中の「年をとるすべ」という随筆の中で紹介されているそうだ。
最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。
Hermann Heuvers
先輩が患者様と散歩中に一緒にこれを読んでいた時、患者様が涙ぐまれていたと聞いた。
私たち人間の人生は、喪失の連続である。
大切な人の死、健康、体の機能、若さなど様々なことを喪失しながら生きているのだ。トイレに行くという当たり前のことが出来なくなり、このような非常にプライベートなことを誰かに委ねなくてはいけなくなったとき、その人に与える衝撃は計り知れない。
死を目前にした時、自分は何もできなくなったと悲しまれる人も多い。死に対する不安を口にされる方もいる。
そんな時に声をかけるのは本当に難しく、「そんなことないよ!そんなことを考えてはダメ」と言いたくなってしまう。
私はなるべく「あなたはそこにいてくれるだけで尊いのだ」と伝えている。ご家族はもちろんのこと、ケアをする私もあなたに今日会えて嬉しい、と言葉で伝えていた。
それはきっと「最上のわざ」の中にある、
「神は最後に一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ。」というあの一節が、いつも心の中にあるからかもしれない。
死にたくない、もっと生きたい、その望みも叶わず最期の瞬間を迎えるまで、多くの人の祈りを見守り続けていた。
私が大好きな写真。
この小さな女の子の寄り添いや優しい気持ちが伝わって、大きなゾウさんも耳を垂らしリラックスしてくるのが伝わってくる。
自分もこの女の子のような人でありたい。
ある日ひとりの女性の手を握っていたら、「さっき夢の中であの人と、お友達の〇〇ちゃんと、お母さんが、会いにきてくれた。」と教えてくれた。いわゆる「お迎え現象」かもしれないが、続けてその女性が、
「私の人生、幸せだったってことね」と仰った。
私は涙が溢れるのをグッと堪えた。
癌に限らず、あらゆるエンド・オブ・ライフケアの場面で、自分の経験が役立てばいいと思って働いてきた。今後それを続けるかは未定だが、自分が死にかけた経験も踏まえ、誰かのちょっとだけ役に立ちたいと思っている。
最後に『最上のわざ』で最も好きな一節を。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。
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