多分ADHD

俺は多分ADHDだと思う。病院に行って診てもらって医者の診断とかが出たわけではないからもしかしたら違うかもしれないけど、多分そうだと思う。

そもそもADHDとは?って説明するのも面倒なので、普通に自分で調べてほしい。俺も正確な意味を知ってるわけじゃないし、注意欠陥なんたらかんたらっていう正式名称があることしか知らない。

俺のイメージの中のADHDが取る行動としては、遅刻する、すぐ気が散る、課題とか提出期限ギリギリで出す、留年する、多動、片付けられなくて部屋が散らかってる、忘れ物する、話聞いてない、などである。これを読んでいる人も大体こんなイメージを持っているのではないだろうか?

このような行動はどれも社会人が取ったら一瞬で無能の烙印を押されるようなものだと思う。

じゃあ俺は上記で挙げたそれらの行動を取るのか?と聞かれたら、まあ結構当てはまるものもある。

まず、俺は本当にすぐ気が散る。実際この文章も、他の文章を書いているときに気が散ってそれを急に放り出して今書いている。もうこの文章の存在自体がADHDの証左である。

勉強してるとツイッターや5chが気になって見てしまうし、最近は多少マシになったが、中学生の時には朝読書の時間といってホームルーム前に本を10分くらい読む時間があったのだが、読書に集中できなさすぎて10分で1ページくらいしか読めず、結果1ヶ月で20ページくらいしか読めなかったこともあった。

あと、俺は人の話がマジで聞けない。これは気が散るということと被るかもしれない。頑張って集中して聞こうとすることはよくあるのだが、20秒後くらいには違うことを考えている。

例えば高校のとき、全く分からない数学の問題の解説をちゃんと聞こうとしても、少し経ったら全然違うことを考えてしまい、我にかえって集中し直そうと思った頃には何について話しているかよく分からなくなり、帰った。

他にも、俺は英語が好きで、英語のリスニングも英語を聴き取る能力自体は自信があるのだが、放送される会話文などを聴いているうちに違うことを考えてしまうので、いつの間にか何について話しているか分からなくなり、勘で答えるハメになったことはよくあった。多分日本語のリスニングでも同じことは起こると思う。助けて欲しい。

あと俺はよく遅刻する。余裕で待ち合わせに間に合う時間に支度が終わっても、コーヒーを淹れてそれを飲んでるうちに遅刻したりする。俺はホットコーヒーが好きなのだが、猫舌なのでコーヒーを淹れると多少冷めるまで待たないと飲めず、それを待っている間に遅刻したりする。

こんな感じで俺はADHD傾向が強いのではないか?と思う。幸い友達にもADHDみたいなやつばっかりなのでどうにかなっているが、もし周りが全員健常者だったら今頃いじめられて死んでいたかもしれない。

なんだかんだADHDぽいとはいえ、高校も卒業できて大学まで来ているので、ADHD気味でもまあええかと思うこともある。

しかしそうは言っても、自分なりに結構頑張っても無能すぎて事務仕事ができない時に、「お前はADHDやな」と言われると悲しく感じることもある。そういう時はADHDという言葉を少し恨む。自分の努力やあらゆる事情を非情にも全てその一言に収斂されてしまう気がするのだ。

ADHDという言葉に嫌気がさすことも時にはある。


だけど、もしADHDという言葉がなければ、今の自分はどうなっているだろう?

自分が忘れ物をしたり遅刻したり、人の話を聞かなかったりすることを、「ADHD」の代わりに「怠惰」であるとみなされるのではないだろうか?

怠惰とは、改善可能なその個人の性格であるというイメージがなんとなくある。

お前が遅刻するのは、怠惰なせいだ。本気でやればそんなことは起きない。とか言われそう。

つまり、怠惰はあくまで自分のせいで、自分がやる気がないせいで生じているということで、自分が怒られることになるのだ。これは辛すぎる。

だけど、もしその怠惰がADHDによるものだとしたら?


ADHDは「病気」なのだ。ということは、それは俺のせいじゃないのだ。

遅刻しても、忘れ物しても、俺のせいではないのだ。全部病気のせいだ。俺は何も悪くないのだ。改善不可能な病気で何かができない人を怒る人なんているだろうか?

乙武氏に、「歩けないのはお前のやる気がないからだ!」と言う人はいないだろう。その時は流石に誰もが乙武氏の肩を持たざるを得ないだろう。肩ないけど。

病気は仕方がないことなのだ。ということは、ADHDという言葉は、俺をあらゆる「怒られ」から守ってくれているのだ。ADHDという言葉は、お守りである。

繰り返すが、俺は診断を受けているわけではないので、本当にADHDであるかは分からない。

だけど、だからと言ってADHDを確定させるために診断を受けて、もしADHDじゃないことがわかったら、俺の遅刻や注意散漫は「怠惰」になってしまい、ADHDというお守りは消えてしまう。だから敢えて診断には行かず、「多分ADHD」でいたい。

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