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nozokimi住宅事情

 春ですね。
入学、入社と新しい生活が始まるこの季節、住まいを新しくされる方も多い事でしょう。
それだけでも心が浮き立つもの。
知らない土地での新生活、新たな出会いに
益々ワクワク。
でも勝手が違うと、戸惑う事もしばしば。
外国なら尚更でしょう。
 
 アメリカでの留学の後ロンドン郊外に住む時、旅行中に声をかけた子とフラットをシェアしてました。
スーパーの掲示板で探した、一階に大家さんが住んでいて二階の2DKのフラット。
週払いの光熱費込み、家電家具付きでした。
でも時は秋。緯度では北海道より上のロンドン。日本人には寒すぎです。
それで電気ストーブを買い足して暫くしたある日の午後、大家さんが下からダダダと上がってきてドンドンドンと大きなノック
「あんた達、何してるの!すぐ下に降りて来なさい!!」嵐のように電気メーターの前に連れて行かれたのです。
「コレ見なさい、こんなに早く回ってるでしょ!使っちゃダメ!」
もう何枚も何枚も着込んで寒さを我慢。
その後、IHでフライパンを使った後、つい気を抜いてキッチントップに置いて焦がしちゃって、謝り倒したけど、、大家さんは優しくて近くに住む日本人家族も紹介してくれたし、バイト先は問題無いけど、帰ると寒くて寒くて引越しを考え始め、結局
シェアメイトの語学学校のクラスメイトのフラットに2人して転がりこんだのでした。
街中でリビングも凄い広いし、お金持ちの娘なんかぁと快適ライフを過ごした日々。
一度、その子が「日本人の顔の違いなんて分かんないわよ」って高級会員制スパのカードを貸してくれて、目一杯リラックスさせて貰った事があった。スチームバスの後3mくらいの深さの丸いプールに飛び込んだ気持ち良さ、33年前、まだまだ今のようなサウナブームもなく、「コレがターキッシュバスか」物見遊山でのゴージャス体験でした。
面倒見のいい子だったから、私達の他にも2,、3人泊まり込んでたし、いつも誰かしら居たし、人生初のインフルエンザで寝込んだ事もあったけど、楽しかった思い出しかない。とにかく毎日アールグレイとシリアルと芽キャベツだけ食べてた記憶しかないけどね。
 
 そのワイワイさは、初めての語学留学先、アメリカはニュージャージーの大学の寮でも同じ。一部屋に2台二段ベッドが置いてある4人部屋だけど、大学生の寮長次第では2人部屋もありで、隣りの部屋とバスルームをシェア。シャワーとトイレと洗面台があるのだけれど、使用中は隣り側の鍵を掛け忘れちゃうと、バンって入って来ちゃう。逆に使用後、開けるの忘れちゃうと向こうが入れなくて、ドンドンと廊下側から「開けて」と要求される。留守だと大変!他の部屋に借りに行く。
携帯も無い時代だったから、寮の廊下にそれぞれ階に2台、映画でよく見る公衆電話が掛かってて、ベルが鳴ると近くの人が出て、取り継ぐ形。
不思議なんだけど、電話に出ると何故だか分からないけど「あ、この人黒人だ」と思う事が。骨格の違いからか、声がくぐもって聞こえてた。ホントがどうか確かめた事はないけどね。
 
 スイスのシオンという町では、最初イタリアのユースホステルで知り合った中国人の人が奥さんと娘に会いに帰るって事で、一緒させて貰って何日か泊めて貰った。
その後スペインの夜行列車でブルゾンをナイフで切られてお金を盗まれたから、お金を作る為にアフリカ経由でイタリアからスイスへ入って、そのお宅に2ヶ月程厄介になった。
中国人の旦那さんは船乗りだから居なかったけど、奥さんはその大きな一軒家で保育園を経営してたからベビーシッターを兼ねて寝泊まりとご飯を食べさせて貰った。
と言ってももうエジプト人の住み込みシッターさんが居たから、奥さんの知り合いのレストラン経営者にお願いして、皿洗いとオーナーの家の掃除でバイト料を貰った。
特にヨーロッパ旅行中はあちこちで現地の人の家に泊めて貰ってたから、石の文化のヨーロッパでは石の家が多かったけど、
スイスは懐かしの木の家。やっぱり落ち着く。保育園の子供達にも優しい。
オーナーの家はカッコいいアパルトマン。
薪ストーブが四角じゃない最新のヤツ。
でもカラフルビキニブリーフが寝室に平気で落ちてたけどね。
 
 ロンドンに住んでた頃、学生でもないけど学割で安い航空券買って、1ヶ月エジプト旅行に行った。知り合ったギザの人の家に4泊泊めて貰った。ピラミッドを見上げるギザの村。舗装無しの泥道、日干しレンガの家、でも2階建て。お風呂はタライにお湯溜めて入る。「トイレどこ?」って尋ねたら、あそこって指差してる。中庭って言うとなんか凄いけど、ただ広い場所に半畳程の掘建小屋が。ドアを開けると穴が掘ってある。そして水の入った空き缶ひとつ。要するに不浄の手を洗う物。小は出来ても大は無理。
毎朝、わざわざバスに乗ってナイルヒルトンにトイレを借りに行ってた。そこで
しこたまガラガラガラとトイレットペーパーを頂いて、ロビーで寛いでから帰ってた。それをバッグの底に隠して近場の観光に出かけ、夕方帰って来ると必ず妹に抜き取られてた。紙は貴重だからね、仕方ない。
でも去年、テレ東の有吉さんの番組でギザの町がLive中継で出て、歩いてスフィンクスに向かってて、"えっ、カイロじゃなくて、ギザ⁈"  アスファルトの道で建物も日干しレンガじゃなく普通の町。そうだよね、もう32年経ってるもんね。
5年位前かな、サグラダファミリアをテレビで観た時もビックリしたもんなぁ。
 
 そう言えばモロッコではモロッコ人の父とフランス人の母のハーフの人の家はあんまり違いがないけど、地方の田舎の方では
トイレが50×50cmのセメントで作られたすり鉢状の穴の無水洗。そこで、ボウルの水でお風呂も済ます。
コレが旅行の醍醐味だよね。
ヒルトンのロビーでくつろいでる時、一度日本人の紳士に声掛けられて話してたら
「いいねぇ、バックパッカーは。妻がねぇ
変な所には泊まれないっていうからねぇ」と言ってた。まぁ、若いからね、出来ることかもね。
でも30年以上経っても、段ボールにくるまって野宿してるけどね、醍醐味!
 
 オーストラリアでは着いた次の日にはバイト先決めて、住む所も探せた。日曜版の地元紙で。イギリスとアイルランドのハーフの子とシェア。この子とはホントに意気投合して、ラジオっ子だったからよく私の為に曲をリクエストしてくれた。
次のフラットは2人で一緒に移動して4人で暮らしたの。そこでは食洗機も付いてたけど、みんな使わないから使いにくくて。
それがシンクに洗剤液を作ってそこでお皿を洗ってたんだけど、洗った後すすがないのよ!!それが信じられなくて!私は絶対水ですすいでたんだけど。
イギリスでさっちゃんのホームステイ先では夜トイレの水を流すなと言われてたって。ヨーロッパは水があまり潤沢ではないしね。
所変わればだけど、容認出来ないことは
やっぱりある。
 そう言えば私が第一子妊娠中はイタリアに住んでたんだけど、「赤ちゃんの為にワインを飲め飲め」とよく勧められた。
最初は飲んでたけど、やっぱりダメよねって飲まなくなったけどね。
イタリアでの話はホント沢山あるから、
次回に。


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