愛も花もない夜を越えて

今日はラーメン食べた後に、焼肉を食べた。
ボクはラーメンを、焼肉を食べる直前に食べた。
僕はラーメンを焼肉を食べまる30分前に食べた。

全部同じ意味。
全部事実。
全部違う表現。

時系列落ち込み楽しみ嬉しさ全てを盛り込む。


ああ



変に面白くしようとする記事ばかり書く。
ひょうきんであろうと思う。

たまには心の椅子に腰を下ろしたような言葉を吐きたいと思う。そんな知らない街からの記事。





授業前の暇な時間、友達に何のために生きとると思う?と聞いた。そしたら「億万長者」「金稼ぐため」と言う。僕の所属する大学では就職率がすごく良いのでなんとなく理由はわかる。という軽いノリで聞いたため、薄っぺらい答えが返ってくるのはよく分かるが。

お金のために今生きていいのか。

人が作った紙切れのために。

お金は世界と共に作られたわけじゃない。世界のために、他の生命のためにでなく、金のために生きるのか。

そう渦まいた脳内とは裏腹に貼り付けたような笑顔を展示する。

僕は何のために生きれば良いのか。まだ20歳で「そのうち分かるさ」という大人(精神的大人)は居るが、30、40になったとき言ったら「良い歳して何言ってんだこいつ、」ってなるだろう。
あと、ニ倍しかないのに。今焦りを感じても良いのではないのか。

むしろ、焦りたいまである。しかし、同時に苦しみもある。

僕は何のために生きてるのか。


今日は父の元へ電車で1時間揺られ会いに行った。焼肉を食べた。

1時間かけてかえる。

今日は「良い日」だと思う。それで良いんじゃないかと思う。金稼ぐどころか、浪費して「良い日」となる。

まぁお金が無いとそんなこともできないというてんでは僕はものすごく贅沢で傲慢なことを言っている。自覚もある。
だからと言って、心の闇が消えるわけでは無い。

マライアキャリーか誰だか知らないが、富も名声も金もある人間が「実に空虚だ」と言って死にたがってた話を聞いた。

幸せにお金は必要ではあるが、お金があれば確実に幸せでは無いと思う。

いや、違うって思う方は是非お金稼ぎまくってほしい。しかし棺桶に札束をいくら詰めたところで幸せにはなれないのだ。


ただ、誰かのために、お金を稼ぐなら生きがいはあるかもしれない。


ああ、どういうルートを辿れば幸せが滲み出るのだろうか

「俺の人生は好きに生きる」とかよくイキったやつもしくは覚悟決めた人間が使うことばがあるが、俺にしか無い人生なのに答え誰も知らないのは怖すぎる。あまりにも怖すぎる。

ああ、正解も不正解もない世界で、自分で「これでよし」と言い切る勇気が必要だなあ。

まいったな

冬の季節がくるなぁ

僕らは変わるかな

同じ空を見上げているよ





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