STRANGE JOURNEY -乙女座長☆銀河団「ズッ友 BEST FRIENDS」発売に寄せて-

乙女座長☆銀河団(以下乙銀)、というユニット名から当初私が想像したグループ像は「元気、ヤル気の裏にある戸惑い、切なさ」と、なんだねそりゃまるで人間そのものだねっかねと突っ込まれそうなありふれたものだった。また、それ別にアイドルじゃなくてもそんな人物像いそうだけどね、と更に突っ込まれそうではあるが、これが乙銀なのである。先ほど挙げた要素だけ並べればどこにでもいそうな等身大の女の子たちなのに、人々を引きつけてやまない笑顔で、背伸びなし・等身大でフロアに己の全てをぶつけてくるステージパフォーマンスを繰り広げるのだ。誇張に聞こえるかもしれないが、私は乙銀以外にそんなアイドル像を知らない。

実際、彼女らのライブパフォーマンスはとてもパワフルで、血がたぎるような激しい音が溢れる楽曲を背に、「みんなまとめて笑顔になろう!」と言わんばかりの問答無用の数十分を展開してくれる。出会った当初から今に至るまで、それが欠けたステージは一度たりとて見たことがなかった。
結成当初から2周年に至るまでのレパートリー(あみか、ももは、りかチャン、あんり)を収めた1stミニアルバム「サヨナラ/フリクション」。
次いでゆでたまごを加えソリッドさに磨きがかかった3人体制での2ndミニアルバム「-534-」では、持ち曲にエレクトロなダンスミュージックを加え、フロアの狂熱感を更に強いものにしながらも聴き手を突き放すことはない、優しさを兼ね備えた作品に仕上がった。

そして2ndの核となっていたゆでたまご卒業から約一年、今の乙銀メンバーで表現しうる最高の音源を届けんとばかりに満を持してフルアルバム「ズッ友 BEST FRIENDS」がリリースされる運びとなった。ただし、”最初で最後の”という枕詞が付いてしまうのが残念でならないのだが。
ユニット名どおり銀河を駆け抜けるような速度と力強さを前面に打ち出していたそれまでの作品とガラッと異なった最終作。どこか肩の力が抜けたような、それでいて笑顔の裏にある拭いきれない寂しさと孤独をはらみ、ストレートに怒りをぶつけたり…と、これまでの作品中、最も等身大の女の子らしい生々しい作品に仕上がっている。これまで暗い銀河の中を無我夢中・全速力で駆けていたと思われていた女の子たちは、実は我々のほんの身近にいたんだということが新鮮な驚きと共に耳を通して現れるようにも感じられるのだ。

前置きが長くなったが、これから一曲ずつその最終作11曲の魅力を拙著にて伝えていければと思う。

M1 The kiss of life

まるで朝を告げる鳥のさえずりのようなボイスサンプリングから幕を開けるオープニングは、可愛らしいタイトルとメロディー(サビではファンも「So kiss kiss kiss」、「So kiss of life」と共に明るいサビを歌う光景が見られる)に反し、並ぶ歌詞は妙なアグレッシブさがにじみ出ている。
歌詞にある「たった100年の常識」とはまさに人生そのものであり、この時からまた生まれ変わっていくことを示唆している。そしてともすればそれは、ここまで進化してきた自分たち(乙銀)の姿さえも変えていこうという決意のようにも見えてくるのである。

M2 永遠のペンデュラム

可愛さを打ち出したオープニングに続いては、ところどころのキメが張りつめた静謐な空気を作り上げている静と動のメリハリがついたミディアムナンバー。「ペンデュラム(pendulum)」とは振り子の意味で、「動き続けてほしい」という願いが込められている。2019年のあみか生誕の日に初披露された。

M3 Say my name ~シュレーディンガーの猫の話~

「シュレーディンガーの猫」とは、量子力学論における有名な思考実験であり、詳細を記すとここで説明しきることは不可能と言って差し支えないし何より私の頭がそこまで追いつかないので、

「箱の中に猫を閉じ込めてそこに毒ガスを噴射した場合、猫が生きているか死んでいるかは観測してみる(=蓋を開ける)まで分からない」

…と半ば強引にここでは説明づけ、それを前提で感想を記す。
自分(=乙銀)のいる場所が箱の中であり、「誰かが観測してくれなきゃ消えちゃう」と危惧し、フロア(≒ファン)へ向けて私の存在を見つけて、私の名前を呼んで…という内にこもりながらも切迫感に満ちた曲。
曲のうち幾度となく出てくる”Wow Ho”という馴染み易いコール&レスポンスもこの曲の印象をより強くさせている。また歌メロの殆どはハイトーンであり、”ハイ:ももは、ミドル&ロー:あみか”の対比が見られたそれまでの楽曲とは一線を画している。

M4 虹のレクイエム

アルバム発売時点では新曲であり、「この時期にこの歌詞を持ってくるか…」とため息が出るような切なさ全開の恋する気持ちを綴った歌詞が特徴的。サビではハンドクラップを誘発するような作りになっているのだが、実際ライブで披露されたらどうなるのか非常に興味深い。 また「眠れない」を歌詞に盛り込んだのは「Goodbye To Love ~愛よ、さようなら~」以来であるが、あちらよりはまだどこかに救いがある歌詞なのが幸いである。

M5 SUPER SAW ATTACK!!!!

ハコでこの曲のイントロが流れた瞬間に室温が3,4℃は上昇しそうな、どう転んでも盛り上がり必至じゃないかと思わせるイントロからグイグイと音圧で攻めてくる、本アルバム中最も高濃度の楽曲。中間部は初の試みとなる高速ラップパートがあり、リリックにはそれまでの楽曲タイトルの一部がずらりと並んでいるため、それまでの楽曲に馴染んできた団員には一目で分かるサービスとなっている。そしてここまで盛り上げておいて最後は荘厳なピアノの音で終わるという、徹頭徹尾に感情をみなぎらせた現時点での新曲。
 因みにタイトルにも用いられている「SUPER SAW」とはROLAND社製のシンセサイザーに搭載されたのこぎり状波形(の音色)を指すとのこと。

M6 秘めた想い墓場まで

前曲からテンションを持続させたまま雪崩れ込むギラギラしたダンスナンバーで、中盤の間奏部分ではメンバーもファンも一斉に踊りまくるハードな光景が見られる。乙銀の曲の中では珍しい喜怒哀楽の”怒”が表現された歌詞も注目どころ。
楽曲は2018年5月12日に初披露された。ゆでたまご在籍時から披露されていた楽曲であり、アルバム収録曲の中ではもっとも旧い。発表当初はタイトルに(仮)がついていた時期もあった。

M7 …いつか

それまでの流れをいったん断ち切るかのように優しい鍵盤の音で始まる、切なくも優しいスローバラード。特筆すべきは中盤のエモーショナルなシンガロングパートから展開する間奏部分なのだが、ここは是非ライブ会場でその空気を確かめてほしい。特にシンガロングパートではフロアも含めての大合唱となる。
歌詞については非常にストレートな表現で過去から現在までの心情、理想と現実のはざまでの苦悩が描かれでおり、それはまるで「私は私で 君は君で」と歌った『I VS 世界』の影・憂鬱を歌っているようにも見て取れる(※個人差があります)。

M8 羅針盤

それまで爽やかなギターロックを提供してきた児玉氏であるが、乙銀への最後の提供曲は2ビートのハイスピードなメロコアナンバー。激しいだけではなくしっかり二人のヴォーカルにより可愛らしく色付けがなされている。
歌詞は同氏がブログにも言及しているように"旅"がモチーフとなっており、アルバム中の曲の並びを見るとまさに「来るべくしてこの位置に来た」と言わんばかりの立ち位置である。

楽曲は3分に満たず、乙銀のレパートリーの中では最もトラックタイムが短い(音が鳴りやんだ瞬間は3分未満)。

M9 君が笑った この場所で

大トリ前、映画のラストシーンにあたるここに配置されたのは、富山のコンポーザー・まさぷー氏による嵐のようなギターが唸るメロディアスなロックナンバー。
同氏は他にも空野青空、ピコピコ☆レボリューション、また高田本町商店街PRアイドル・がんぎっこなどへの楽曲提供をしており、2018年5月に活動終了した高田本町商店街PRアイドル・がんぎっこへのサポートをしていたあみかとの縁が今回の楽曲提供に結び付いた。
そのためか楽曲はがんぎっこのレパートリーのオマージュとも呼ぶべき構成となっており、メロディーラインやオケのところどころに"それらしい"フレーズが出現する愛ある仕掛けが施されている。また曲の尺は乙銀のレパートリーには珍しい5分超の最長曲となっている。
(※僕らの場所、Laugh! Laugh! Laugh!などの一部が顔を出している)

M10 I VS 世界 Acoustic Ver

6年を走り抜けた乙銀の軌跡の集大成であるアルバムの最後の最後の曲は、結成当初から披露されていた乙銀のアンセムにして名刺的レパートリー「I VS 世界」のアコースティックギターによるスローバラードアレンジ。ギターを弾いているのは新潟県長岡市出身のシンガーソングライター・枝村究(乙銀・カナビスの定期ライブ『TURN TABLISM』開催場所であるGOLDEN PIGSのスタッフでもある)氏によるもの。
必要最低限の音で再構築された同曲はとても美しく、たくさんの音像が行き交う『ズッ友』の余韻に浸らせてくれるこの場所に配置されることで、まるで青春映画のエンドロールのようにも感じられる。

M11 I VS 世界 Acoustic Ver…..

M10とオケは同一なのだが、過去メンバー3人の歌を含めた計5人によるスペシャルヴァージョン(曲タイトルのドット5つがその証である)。当時の歌割りと聴き比べてみるのもいいかもしれない。

以上が乙銀6年間の軌跡の集大成の全貌となる。とはいえ、100人の聴き手がいれば100人それぞれの感想が出てくるのは当然であり、拙著はその1/100なのである。
楽曲解説中の「シュレーディンガーの猫」の喩えを再び引き合いに出すが…ありとあらゆる二人の持ち味がこの盤には封じ込められている。その盤の中から彼女たちの想いを解き放ち、2人の名前を呼んでくれる方がこれからの数か月間、もしくは活動終了の時を迎えたとしても現れてくれることを切に願う。彼女らが今いることへの”存在”のカギとなるのは、やはりその目でライブを観てくれる方々によるものなのだから。

放たれよ、銀河を駆けるハチャメチャ乙女。

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