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情報は自ら取りにいくもの。

私たちは今、おびたたしい量の情報に囲まれて生活しています。


多すぎる情報の中から何を選択し、自分の人生に活かしていくのか・・・
昨日はこれ!と思ったものが、今日にはまた新しいものに置き換えられて
また明日はどうなるの?という風に知らず知らず振り回されている感がありますね。


それとも素直に毎日TVやSNSで目にする今の情報を受け止めてはその内容についてジャッジをしている日々かもしれません。

それで今、あなたはどうなっていますか?

この情報あふれる環境下で何を考えていますか?

何も感じませんか?

何かを感じますか?

そうなんだ!信じられない!とか、そうだよねー、やっぱり。。とか。

私は以前、テレビが大好きでした。
今旬の話題はなんだろう?
今世界で何が起こっているんだろう?
が、手っ取り早く映像でわかりますし、何も考えずに大笑いできる「お笑い」が大好きなので。

でもだんだん疑問が出てきました。

特に報道番組なんですが、どの放送局もいつも同じタイミングで同じ内容。。例えば継続的な事件や事故について、その後はどうなったのか?と思い出す頃にはどの放送局でもその案件については取り上げられていません。
それはなんで?

確かに日々発生する新たなニュースがありますから、時間の関係上新しい方が優先されるのはわかります。

それでふと思ったのです。


「ああ、視聴率ありきなのだな」と。


そんなこと当たり前と言われたらそれまでなんですけど、テレビは「視聴率」、新聞や雑誌は「売り上げ」が最優先なんですよね。何故ならその番組や紙面はスポンサーありきだからです。視聴率というのは視聴者が食いつきそうなトピックをいかに早く、特別感を出して、キャッチーに伝えられるかが勝負。


となると、合点がいく。


このポイントに気づくと色々なことが見えてくるようになりました。

メディアには取り上げられない情報ってたくさんあるのだなと。

そして色々調べていくうちに、時間や枠という理由だけではなく、「色々な理由」があって「取り上げてはいけない事実情報」もあるのだと。

この記事ではその部分について論じるつもりはありません。

ただ私たちが全てと思っている情報は全てではないということ。
そしてそれらが正しいかどうか、間違えではなくても、巧妙にすり替えられてはいないだろうかという意識を持つことは大切だと思います。

また自分が「正しい」と感じることが、他者にとっては「正しくない」ことであったりします。

全てを疑い、ジャッジすべし。ということではありません。

最近になって「進撃の巨人」を観たのですが、そこからもそう感じました。自分が正しいと思っていたことが正しくないと感じる一面もあり、困惑する。。。

物事は全て良し悪しではなく、ただそこにある「真実」ということ。


しかしながらマスコミの内容はよく考えると
「そもそも・・・」と言いたくなるようなこと、多いですよね。


私個人としての感じ方ですが、昨今頻繁に発生しているテロやテロ的な事件は、とても許せないあってはならない出来事ですが、そもそもなぜそんなことが起きるのかという疑問があります。


あのようなことが実行されてしまう背景について歴史、宗教と論じる部分は
多岐に渡ります。しかし本当にそれだけでしょうか。


歴史的、宗教的な争いが長年続いているから?
それだけではないと思うのです。
私が戦場の地に生まれていたら、どんな教育を受けるかなって考えると
その答えも一因になるのではないか。
そもそもなぜ戦争があるの?
戦争をするからには参戦している国があるよね。
武器を売って利益を得るという商売もあるでしょうよ。。。。という展開になります。

何においても全てビジネスの匂いがする。

とはいえ、遠くで起こっている事だし、自分にはどうすることもできないしと思って終わってしまう。

では日々の事件についてはどうでしょう?
恐怖を感じる事がとっても多いと思います。
事件の真相を知るにつれて怖さ倍増、「怖いことが起きても大丈夫なように」防衛強化に勤しみます。リスクヘッジの重要性がプライオリティです。
でもそれで社会が良くなるのですか?

でもこれも個人ではどうしようもないよね。
と、救世主を待つしかないのでしょうか。


物事(特にネガティブ)の表面、結果のみを見て、大騒ぎするということは、感情にコントロールされているだけです。

何ならコントロールされています。

どうしたらそのコントロールから外れるか、は防衛的観点ではなく根本的観点から知る必要があると思います。


今日私がこの記事でお伝えしたいのは、
個人レベルの意識の大切さです。


その一つとして、常に今目の前にある物事の背景はなんだろう?と考える
クセをつけておくといいよということです。


こういった疑問、質問を常に自問していると、自ずと色々知りたくなる、
調べたくなる。


そしてその自問が自分の人生に活かされる情報へ導いてくれると思います。


そこまでして取りに行った情報が正しいか正しくないかは自分の判断で決めることでいいかと思うんです。

一番避けていただきたいこと。
それは

「言われた通りにしていたらとんでもないことになった!」

ということ。


例えば今テレビで流れているCMの商品が全て本当に安全かどうか。


「みんなが使っている、売り上げNO1」
「イメージがいい」
「特番で良いと証明されていた」


このような理由で物事を判断していないでしょうか。


そしてここでもう一つ考えてみてください。


「タバコって体に良いものですか?」


タバコって「百害あって一利なし」って誰でも知っていますよね。
それがなぜ売られているのでしょうか。


ここで働く判断基準は
「悪いと知っていても買う。病気になるのは自己責任。」
なんですよね?


ここで気づいて欲しいのは、健康を損なうモノが平気で売られているということです。つまり私たちの周りにはタバコ以外にもこういったものがたーくさん存在しているということ。


こういう社会に生きていること。


ここをまずは知って欲しいと思います。
無知は危険です。


知った上でそれでもいいのだ!と判断するのは自己責任です。


だから情報は受けるのみならず、取りに行く。

それが私たち一人一人の責任です。
そして私たち一人一人がちゃんと人生に責任を取ることをすれば自ずと安心、安全な場所が築けると思います。

自分の人生をちゃんと生きること。
その一人一人の意識が世界を変えていく。
そう思います。

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