孤独で寂しがりやな独りぼっちのあなたへ
特に、子供や旦那や恋人に、つい、イライラしてしまう人にも何か気づきがあればいいなと願いを込めて。
※全文無量で読めます。
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毎朝行くコーヒー店の店主を見ていると落ち着くのは何故だろうか。
それは、自分より背負っている責任や、不幸が軽く見えるからである。
自分より不幸が軽「そうに見える」人が出す空気に、私たちは幾度となく助けられてきた。
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「自分が辛い時に呑気にしている旦那を見ると、ついイライラしてしまうんだよね。」
アイスコーヒーのストローを回しながら、優子が言った。
優子は、19の時に結婚して現在は働きながらママをしている、私の中学からの友人だ。
ちなみに、バリキャリである。本当に尊敬している。
「そうなんだー、家庭を持つのってやっぱ大変なんだね…」
そう言いながら、私はほうじ茶ラテを口に含む。
こういう話は、周りが結婚していくと同時にやたらと聞くようになってきた。
みんな、誰かしら、何かしらにイライラしているのだなぁ、と思う。
特に、
『自分が大変な時に、能天気な人』
には、特別イラつくようだ。
こういう話を聞くと、私はいつも、父親を思い出す。
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私が子供の頃、
父は、いつも、帰宅が深夜12時を回っていた。
そして、よく、帰宅後に私の寝室を覗き、
ベッドの側でじっと立ち、
しばらくしたら立ち去るのだ。
なぜその習慣を私が知っているのかというと、
夜8時前には寝ていないといけないという躾を受けていた私は、当然寝れるはずもなく、
ゲーム機をベッドに持ち込んで、布団の中でプレイしていたからだった。
父親の帰宅の音を聞くとすぐに画面を閉じ、寝たふりをしたものだった。
当時はその習慣が
「寝ているかの確認」だと思っていた。が、
そうではないのだろうなと思うようになった出来事があった。
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私が6歳の時、
弟が誕生した。
年の離れた弟が出来た時、
なんだか嬉しくて、
両親の真似事をしたものだ。
そんな中で、
夜、ぐっすり眠った弟を見ながら気づいたのだ。
なんの理由かは忘れたが、
誰かにいたく叱られた日の夜であった。
『この小さな体の持ち主は、
きっと、いろんな嫌な事と、嬉しい事を経験して、今日、眠ったのだろうと思う。
私も今日、ものすごく嫌な事があった。
けれど、私の「嫌な事」は、
何度目かの「嫌な事」だから、
彼が「初めて経験する嫌な事」に比べると、
相当大したことがない。』
という事だ。
よく考えれば、
どんな失敗をしても、
どれだけ辛い気持ちになっても、
その後、どうしたらいいのかは
冷静に考えれば、分かる。
分かるようになってくる。
成長というのはそういうものだ。
だから、
こんな小さな体で、1日に起きる嫌な事を消化して、
こんなに可愛い顔で寝ているんだなと思うと、
私よりもたくましく、誇りに思えた。
父親が実際、こう思っていたのかは知らないが、
それが父親の気持ちだったのではないかと、
今でもふと心によぎる。
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人は、目に見えない事を軽視してしまいがちだ。
あなたのそばにいる人がニコニコしているのは、
辛くないからなんかじゃない。
あの人がニコニコしているのは、
沢山の辛い事を抱えて、これでもあなたの前では、
その辛さをどこかに置いて、「今」を見ているから。
それは、ゲームかもしれない。
映画かもしれない。
あなたはそれを見て、イライラするかもしれない。
「理解をしてくれない」と、
孤独を感じるかもしれない。
でも、彼らは
あなたを孤独にしたい訳ではないのだ。
どこかで、同じように歯を食いしばっているのである。
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悲痛な叫びをそのままにぶつける前に、
胸に手を当てて深呼吸して欲しい。
こう言うと、語弊があるかもしれないが、
誰もが、お腹パンパンになるまで辛さを飲み込んで歩いている。
と、私は思っている。
幸せな事しか無かった人なんていないと思う。
もしかしたら、あなたは、もう、歩けなくなって、動けなくて、涙も出なくなるまで歩いてきたかもしれない。
でも、関係ないよ、関係ない。目の前の人には。
目の前で、ただ、「未来」を見て、「今」を生きているだけなのだ。
なぜ自分だけが、自分の気持ちを慮れと叫ぶ必要があるのだろうか。
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毎朝行くコーヒー店の店主を見ていると落ち着くのは何故だろうか。
それは、自分より背負っている責任や、不幸が軽く見えるからであると言った。
でも、それだけではない。
「今という時を、黙って一緒に過ごしてくれるから」である。
だとしたら、
『いつも、ただ側に居てくれる。』
これが、
どれほど愛おしい事実だろうか。
そう考えると、
紡ぐ言葉もまた、違ってくるはず。
だからといって、もちろん、ただ鈍感に生きる事を推奨している訳ではない。
だれかが辛さを持ちきれなくなっていたら、
「自分の方が」と思っても、
相手よりも「痛い」と感じる事も、
とても重要だと思う。
そうやって、「存在」を感じて生きていけば、
少しでも、
誰かの重荷を肩から降ろせる人になるのではないだろうか。
包んでほしい時こそ、相手を包んでみようじゃないか。
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