カレンダーが存在してなかったら? 11mar,2020

大家好☻

最近、気になっていることは火と時間。
ずっと考察している火についてはいつしか書くとして、今日は時間について思ったことを記します。

もし、産まれたときからカレンダーが存在してなかったらどういう暮らしをしていたと思いますか?

一年を可視化できるのが当たり前、という社会が私達が生まれたときに用意されていました。年、月、週、日、時、分、秒という概念と共に当たり前に育ちました。多分それを疑う事なく殆どの人が育ったと思う。もし、それらが用意されてなかったらどうなるのでしょう…?急に暑くなって、暑くて暑くてどうしようと思っていたら今度は寒くなりだして…どうしよう死ぬかも…と思っていたら和らいで…。二度目の夏を体験しても、また冬が来るかなんて分からない。そんな中で過ごすって大変なことだと思う訳で、それがサイクルだと気付くとか…もう、勝手に先人への敬意の念が内から湧いてきてしまいますね。

さてさて、私は毎月満月の夜に、望の茶稽古というお茶の稽古を豊川市にあるてのものがたり千両宝辺さんにて開かせていただいております。そこは100年古民家で四季折々、家屋やお庭から呼吸をするように色々なことを学ばせていただいております。
毎月、床の間やお部屋に飾られているお花はお庭で採れたもの。その季節にはその時期のお花が咲く。
昔の人が作ったお庭は大体そうで、なんて豊かな生活を送っていたのだろうと思っていました。

けど、少し立ち止まります。そもそも昔はカレンダーが無かったのですよ。となると、四季を簡単に知る手掛かりとなるのは…植物でしょう。と、考えると、季節によって花が咲く庭の木々は立体的なカレンダーだったのかもしれない。となると、お庭の木々の成り立ちは豊かな暮らしのためよりも、これから来る季節を読むために、自分たちが生きるために、植えたのかもしれない。

考えてみたら当たり前の事なんですけど、最初から与えられているカレンダーという情報が原始時代からあるものだと錯覚しているので、自分の価値観でしか物を見ることができてなかったのです。視野が狭い(汗)。

植物だけがカレンダーの役割を担う世の中になると生きている心地がもっとあるんでしょうね。
きっと時間が計れなかったらすごく豊かな毎日を送れるのでしょう。
ほんきで夢だなーその世界。

JENI

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